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ザ・ゲーム、このカリフォルニア、コンプトンが生んだ“今最も危険な臭いのするルーキー”のルーツとなったレコードは次の3枚、だそうだ。

N.W.A『Straight Outta Compton』(‘88)
ICE CUBE『Death Certificate』(‘91)
2 PAC『All Eyez On Me』(‘96)
「バブルガム・ブルシットでしかない今の殆どのラップ・ソングには興味がねえ!」
そう豪語する彼は伝説のグループ=N.W.Aを生んだ街コンプトンをレペゼンし、“フッドの連中にリアルに突き刺さる“ギャングスタ・ミュージックを送り出す為に、自分をフックアップしてくれた50セントのクルー“G‐ユニットの一員となり、あのドクター・ドレの“アフターマス”と契約した。“伝説を継ぐために”ザ・ゲームは最良の選択をした、という事になる。 「G‐ユニットだぜ!50セントは、2パックやビギーが死んだ後、眠っていたシーンを揺り動かしたんだ。エミネムだってそうだぜ。そしてドクター・ドレー。奴は生ける伝説なんだ!」この不適な顔構えの男ザ・ゲームはつまり紛うことなき“ラップ・ジニアス”なのである。しかも10年に1人クラスの逸材。ポテンシャルの高さは50セント以上、なのかも知れないのだ。

その才能を逸早く見抜いていたのはベイエリアの大物JT・ザ・ビガ・フィガ、だった。2002年2月にLAで行われたヒップホップ・サミットでザ・ゲームのライヴを偶然目にしたJTは「コイツはモノが違う!」と自身のレーベル“ゲット・ロウ”にザ・ゲームを誘う。その一週間後にザ・ゲームはフィルモアにあるJTのスタジオに行き、大量の楽曲をレコーディングする。続いてザ・ゲームをフックアップしたのは、あの50セントで彼はこの“ストリートで5発の弾丸を浴びた過去”のある元ドラッグリーダーのアップ・カマーの将来性を信じG・ユニットの仲間に引き入れた上、ドクター・ドレーに紹介しドレーの“アフターマス”とサインさせたのだった。ドレーと言えば、N.W.A~ソロで輝かしい経歴を持つヒップホップ・ジャイアントであり、またスヌープ・ドッグやエミネムをブレイクさせたトップ・プロデューサー。そのドレーが完全バックアップするラッパー、という触れこみだけで彼は最早“成功”したも同然だった。

こうして“G‐UNITS NEWEST MEMBER”となったザ・ゲームは、DJケイスレイの人気ミックステープシリーズ『Streetsweepers』のホストを始め数々のストリート・アルバムに顔を出しては、エクスクルーシヴ・トラックを提供し、ストリートのバズを集めた(中には故2パックや故イージーEとの擬似共演も。またジョー・バドゥン、メンフィス・ブリークらとのビーフも話題を呼んだ)。ハスキーなキラー・ヴォイスでリアルなストリート・ライフを歌う彼のスタイルはNWAや2パック、ジェイ・Z、ノトーリアスB.I.G.、クールGラップといった先達からの影響(何せ彼は自らの体にN.W.Aやそのリーダーだったイージー・Eのタトゥーを入れているほどの“ビッグ・ファン”なのだ)こそは感じさせるが、彼はその誰とも違う“マインド”を持っている。自分だけの経験や生き様、考え方、そして言葉やフロウだってそうだ。決して誰かのモノマネなどではない。彼は一発でそれをザ・ゲームのものだと認識させるだけの強烈な個性を有しているのだから。

その“ウエッサイ云々”では収まり切らないラップの魅力は“ゲット・ロウ”発の『Q.B.2 Compton』(Nasの未発表音源とのスプリット盤)『Live From Compton』、『Untold Story』でも伺い知ることは出来たが、この“2005年最初にして最大の爆弾”と噂される正式なデビュー・アルバム『ザ・ドキュメンタリー』に息づく熱気はそうした過去の全てを逢かに凌駕するものとなっている。 “Westside Story”、“Higher”そして“How We Do”で確実に心拍数が上がってしまった者にとっての更なる“驚き”が待ち構えているのは言うまでもない(“本物”の周りにはこれだけの才能が集まるものなのだ!)。“リアリティTVなんかいらねぇ!”という人々にとって最も刺激的なドキュメンタリーにしてエンターティメント、それがこのアルバムなのだ。「俺のこの21年の人生が詰まってんだぜ!アツくて当然だろ!?」かつてバスケ等のゲームに興じてばかりで祖母より“ザ・ゲーム”という愛称を与えられたこの男はヒップホップという名の真剣勝負(=ゲーム)に大きな揺さぶりをかけようとしている。これは決して脅しなどではない。

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