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James Blake(ジェイムス・ブレイク)

1988年に北ロンドンで誕生。幼いころからピアノを学びクラシックの基礎を身に着けた後、ゴスペルやティーンエイジャーのときクラブで聴いたグライムやガラージに衝撃を受け作曲をスタートする。

ダブステップの神童としてその個性が各メディアから急速に注目を受け、2011年活躍が期待される新人リスト<BBC Sound OF 2011>では2位に登場し2011年2月にデビューアルバムを発表。

繊細なメロディ、規則にとらわれないリズム、複雑なビート、張り詰めた音そして沈黙にジェイムス自信のボーカルを融合した独自のサウンドを作り上げ衝撃的なデビューを飾る。この並外れた才能は音楽の境界線を破壊するだけではなくそれを超越し音楽的な宇宙へと広げここ日本でも話題騒然。

輸入盤が大ヒットを記録するなか6月に日本デビューが決定、来日公演も実現。

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DJが誰かの人生を大きく変えることはこれまでに何度もあった。そしてこれからもあり続けるだろう。しかしティーンエイジャーのジェイムス・ブレイクが2007年に初めてロンドンのクラブ“FWD>>”(フォワード)へ行ったその時の衝撃は正に強烈で、彼の人生を変えるものになったことは間違いない。

地下にあるPlastic Peopleの真っ暗なブースでDJがグライムやガラージをかけると、ジェイムスはすぐにそのサウンドを好きになった。いやむしろ虜になったと言っていいだろう。それは聴いたことのなかったサウンド。学校の友人とドラムンベースのクラブイベントへは行ったことがあったが、そこでかかっていた音はまた全然違うもので、その場の雰囲気も初めて経験するものだった。それこそ彼が待ち望んでいたもの。ただ本人がそれを求めていたことに気付いていなかっただけ。「ここまで自分の頭の奥深いところまで導いてくれるものは初めてだってその時思ったよ」と彼は言う。「そこはものすごく暗くて、音もものすごく大きいクラブだった。」

このロンドン・ショアディッチの地下クラブでの突然のひらめきのお陰で、数年後にはジェイムス・ブレイクは22歳にして立派な作曲者となり、その並外れた作品は音楽の境界線を破壊するだけではなくそれを超越している。そしてその若い年齢に反して、彼はまったく新しいタイプのポップ・ミュージックを創りだしている。ダブステップとのゆるい関係性を保っているが、同時に驚くべき作曲とエレクトロニック・プロダクションの才能も見せている。ジェイムスの曲には卓越した美しさと魂のこもった情熱がある。FWD>>のダンスフロアー向けに作られたような「リミット・トゥ・ユア・ラヴ」は、聴いた者の心も耳も溶かしてしまうだろう。彼の音楽はそのイタズラで印象的な正直さが特徴的で、人間味あるサウンドでボン・アイヴァー、ローラ・マーリング、そしてジ・エックス・エックスなどのコンテンポラリー・アーチストと肩を並べている。

そしてそれ以上に、ジェイムスがつくる音楽の衝撃的な新しさがみんなを興奮させる:そのサウンド、ボイス、沈黙、リズム(もしくはリズムのなさ)、じらし、そして緊張感。そこまでの確信を持ってルールを破るには、ルールを知り尽くしていないといけない。大胆にも違うことにチャレンジするジェイムスは、同年代のミュージシャンよりも遥かに優れている。聴いた者はきっと初めて「リミット・トゥ・ユア・ラヴ」、もしくは「アイ・ネヴァー・ラーント・トゥ・シェア」を聴いたときのことは忘れられないはず。来年初めにリリースされる彼のデビュー・アルバムは、音楽界の流れを変えることになるだろう。

さて、この“神童”は一体どんな人なんだろう?ジェイムス・ブレイクは、ミュージシャンの父親とグラフィックデザイナーの母親との間に一人っ子として1988年に生まれ、北ロンドンの緑に覆われたエンフィールドで育った。それぞれ自営業で成功を収めた両親は、息子に自分のやり方で生き、誰のためではなく自分のためだけに働くという考えを植え付けた。6歳のときにジェイムスはピアノを習い始め、後にクラシックの教育を受ける。決して楽しいものではなかったが、その重要性を彼は理解していた。「幼い頃に、上達をしているってことは良いことなんだろうなって思ったんだ」と、彼は話す。「だからそのまま続けたよ。ピアノが上達しているのがわかったからね。」

ティーンエイジャーになるとジェイムスはアドリブでピアノを弾きながら歌うようになり、オーティス・レディングなどの古いモータウンのソウル・レコードに合わせてピアノを弾いたりもした。そうしていく内に和音を身につけていった。「クラシック和音とゴスペル・オルガンを同時に学んだんだ。最初の頃からすごくゴスペルに夢中だった。それも本物のゴスペルにね。Reverend James Clevelandとか、ピアノが魅力的な素晴らしい作品をよく聴いていたよ。それからジャズ・ピアニストのArt TatumやErroll Garnerも聴くようになった。ジャズにハマったことはないけどね。ジャズにはその良い時代があったと思うんだけど、僕はなにか違う新しいものを探し求めていた。」

父親のスタジオには充分なほどのレコーディング機材や楽器があったものの、ジェイムスはFWD>>に行くまでそういったものに興味を抱いていなかった。新しいサウンドを作るために音楽制作ソフトLogicを手に入れ、Digital MystikzのMala and Cokiの“純粋なオリジナル・ダブステップ”をコピーするようになった。そしてゆっくりと彼はそれぞれの曲に自分の音楽的センスとアイディアを注ぎ込むようになっていった。

FWD>>はジェイムスを音楽制作の道へと導いただけではなく、彼に新たな社交シーンへの扉を開けた。代わり映えのしない高校の同級生にはうんざりし、ポピュラー音楽を学んでいた南ロンドンのゴールドスミス大学にも馴染めずにいたジェイムスは、新しい居場所を求めていた。「自分と同世代で曲作りをしている子たちがいるエキサイティングな世界があって、僕はそれの一部になりたかった。そしてDJを見て、僕もあそこに立ちたいって思ったんだ。当時はDJをしても別に音楽的なメリットはないと思ってた。音楽的にとてもやりがいのある仕事だって気付かなかったし、色んな人と出会うすごく良い機会が得られるということも分からなかった。」

大学生であるジェイムスには時間の余裕があり、ラップトップで曲作りを行ったり、ブリクストン(DMZ)やショアディッチ(FWD>>)にあるクラブのダブステップ・イベントへ足を運ぶことができた。ファーストシングル「Air and Lack Thereof」は、2009年にUntoldとして知られるプロデューサー、そして今ではジェイムスの良き友人となったJack Dunningが経営するHemlockレーベルからリリースされた。Rinse FMのラジオ番組でDJ Distanceがジェイムスのトラックをかけ、それをJackが聴いたのがきっかけとなった。Jackはそれをすごく新鮮なサウンドだと思い、契約を結ぶことを決心した。確かにジェイムスのサウンドは、最近耳にする殆どのダブステップ、もしくはポスト・ダブステップのレコードとは著しく違う。まず第一に、和音が使用されている。「当時のトラックには和音なんてなかった」と彼は言う。「しかもただの和音じゃなくて、ゴスペル和音やオルガン和音だったからね。」

「Air and Lack Thereof」というタイトルは、ジェイムスの特徴的なサウンドであるホワイトノイズと関連している。「トラックの中には色んなひどいノイズが含まれているんだけど、実際には心地よく聴こえるんだ。前からノイズをレイヤーするのが好きなんだけど、そうすることによって音の存在をはっきりさせることができる。音をノイズというクッションの上に乗せることによって、それぞれの存在を確立できる。」そしてDJをする時には、沈黙を途中で取り入れることをジェイムスは楽しんでいる。別に気取っているわけじゃないと彼は話す。ただ区切りを入れたいだけだと説明する。「聴こえなくなって初めて感謝できるサウンドってあるんだと思う。」

ジェイムスは今年5枚のシングルをリリースし、すでに称賛を得ている。どういうわけかブロガーたちは彼の作品のその孤独感を取り上げ、複雑なビートについてあれこれ考えることを好んでいる。幾つかの主要トラックには、R&Bレコードからサンプルされ、派手に編集されたボーカルが使用されているが、ファイストの「リミット・トゥ・ユア・ラヴ」の斬新なバージョンでは彼自身が声をレイヤーして歌っている。非常にパワフルなトラックである。「「リミット・トゥ・ユア・ラヴ」は初めて自分のボーカルを使用したトラックで、十分に注意を払って完成させた」と彼は説明する。「せっかく自分のボーカルが入っているから、さらに革新的なトラックにしようって思ったんだ。」

その曲はたったの18ヶ月前にレコーディングされ、リリースされるかどうかも本人は分かっていなかった。アルバムの殆どのトラックはニュークロスとデプトフォードにある彼の部屋で制作されたが、頻繁に実家のあるエンフィールドへ戻っては頭と気持ちをすっきりさせて曲作りに励んだ。そこでは突然友人が遊びに来るなど、邪魔が入ることはなく、窓の外には緑と沈黙が広がっている。意外なことにアルバムに収録されている曲は、より実験的な12インチのトラックと同時期に制作された。「色んなサウンドを試してみたよ。なぜかは理解できないんだけど、アルバムに収録されているトラックは12インチ・トラックのサウンドと全く違うんだ。少しも似ていない。」

より多くの人が彼の音楽に魅了されていく中、その中毒性は一貫して変わることはない。12ヶ月前、彼の存在は世に知られていなかった。今ではジェイムスは最先端に立ち、もうすぐメジャー・アーチストになろうとしている。そして彼は自分のやっていることと立場をしっかりと把握している。「僕は感情に執着しているところがあるんだ」と、彼は言う。「ソウル・レコードのように、人が感情移入できるダンス・ミュージックを作りたい。フォーク・レコードのように、聴いた人に人間らしくオーガニックに語りかける音楽を作りたい。僕が求めているのは人間味なんだ。」