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1950年2月4日、ナット・キング・コールの次女としてカリフォルニア州ロサンジェルスに生まれる。

幼い頃から父ナットの音楽に囲まれて育ち、11歳でステージ・デビュー。大学を出てクラブ・シンガーとして活躍の後、キャピトル・レコードと契約、75年にデビュー作『インセパラブル』を発表する。グラミー賞(75年度)の「最優秀新人賞」に選出されると同時に、「ジス・ウィル・ビー」が同賞の「最優秀R&Bヴォーカル賞」に輝き、アルバムはゴールドの売り上げを記録するなどセンセーショナルなデビューを飾る。

翌76年『ナタリー』で再びグラミーを受賞する。同年、「東京音楽祭」のため初来日し、アルバム『ナタリー』に収録の「ミスター・メロディ」を歌ってグランプリを獲得する。続く『アンプレディクタブル』、『サンクフル』、『ナタリー・ライヴ』、『アイ・ラヴ・ユー・ソー』などすべてがゴールドやプラチナ・アルバムに輝き、名実ともに大物歌手の仲間入りをする。

80年代に入ると喉の疾患などでしばらくアルバム制作を休止したが、87年にワーナー(ELEKTRA)に移籍し『永遠の夢』で表舞台に戻り、89年の『グッド・トゥ・ビー・バック』からは「ミス・ユー・ライク・クレイジー」のメガ・ヒットが生まれる。そして91年、父ナットへ捧げたスーパー・アルバム『アンフォゲッタブル』を発表。同年度の第34回グラミー賞で「レコード・オブ・ジ・イヤー」「アルバム・オブ・ジ・イヤー」など7部門を授賞。

その後も、『テイク・ア・ルック』や『スターダスト』といった大作でグラミー賞を獲得。父に勝るとも劣らない人気と評価を確立する。

02年にはヴァーヴ・レコードに移籍して『アスク・ア・ウーマン・フー・ノウズ』を、06年には、ダラス・オースティンをプロデューサーに迎え、再び彼女の音楽のルーツに立ち還った究極のR&Bアルバム『リーヴィン』を発表した。音楽活動と並行して、熱帯雨林基金、小児糖尿病基金、アメリカ赤十字などの慈善福祉活動にも力を注いだ。

2015年12月31日、LAの病院で鬱血性心不全により死去。65歳だった。

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