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ジェネレーションXと呼ばれるユースカルチャーが、Billy Idolの昔のバンド、Generation Xにちなんで名付けられたかどうかは疑わしいが、 このイギリス人ミュージシャンのソロアーティストとしての活動は、多くの人に受け入れられている。ソロになってからのニューウェイヴナンバーはチャートに衝撃を与え、Generation X時代のパンクミュージックは1つのジャンルの形成に貢献したのだ。

Idolのソロとしてのキャリアは、Generation Xの“Dancing With Myself”のクラブリミックスで波に乗った。この曲は、Tommy James & The Shondellsの“Mony Mony”とともに、'81年のEP『Don't Stop』に収められていた。ニューヨークに住み、ギタリストのSteve Stevensと活動していたIdolは、翌'82年にはデビューアルバム『Billy Idol』をリリース。このアルバムからは“Hot In The City”や“White Wedding”がトップ40ヒットとなり、“White Wedding”のビデオはIdolをMTVのスターに押し上げた。そしてトレードマークの雄叫びとブロンドの逆毛によって、彼はティーンエイジャーの女の子達が憧れるピンナップポスターになってしまった。

'83年のアルバム『Rebel Yell』は活きの良いダンスロックで、Idolのキャリアをさらに前進させた。“Eyes Without A Face”や“Flesh For Fantasy”、アルバムタイトル曲“Rebel Yell”のヒットもあり、彼はグラミー賞の最優秀男性ロックヴォーカルパフォーマンス賞にノミネートされる。'86年の『Whiplash Smile』でも再度グラミーにノミネートされるが、このアルバムには以前のようなエネルギーと説得力がなく、スポットライトもStevensに奪われていた。続いてIdolはダンスリミックス集『Vital Idol』をリリース。すぐにNo.1に輝いた“Mony Mony”の新ヴァージョンのお陰で、このアルバムもトップ10に食い込み、プラチナセラーとなった。その後StevensはAtomic Playboysを結成するためにIdolの元を離れている。

次のアルバム『Charmed Life』の完成までには3年を要した。ところが皮肉なことに、リリースを待っている間に悲劇が襲う。'90年2月、ハーレーに乗っていたIdolは事故に見舞われ、複雑骨折と筋肉損傷の重傷を負ってしまったのだ。しかしIdolは事故から生還しただけでなく、回復するや否や、出遅れた『Charmed Life』のためのツアーを始めた。 おかげで“Cradle Of Love”はトップ5ヒットとなった(Idolはオリバーストーンの映画『The Doors』で主役級の役をもらえるはずだったが、残念ながらこの事故により、ちらっとゲスト出演するだけに終わってしまった……しかも松葉杖姿で)。再び3年かかって作り上げた次のアルバム『Cyberpunk』は、音楽とビデオやコンピューターグラフィックス、巧みに操作されたイメージなどを組み合わせたもので、ポップミュージック界で高まっていたコンピューターへの関心を賛美するものになるはずだったが、単にIdolが最新の流行に便乗しているという印象を与えただけだった。
2001年に音楽活動を再開し、2005年に12年ぶりのアルバム『デヴィルズ・プレイグラウンド』をリリース。2006年に発表したクリスマスアルバム『Happy Holidays』は、収録曲のほとんどがスタンダード・ナンバー(「White Christmas」、「Silent Night」他)であった。

2014年にオリジナル・アルバム『Kings & Queens Of The Underground』を発表、トレヴァー・ホーンはプロデュースを務め、盟友スティーヴ・スティーヴンスが共作/ギターで参加している。