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グラミー賞と複数のラテン・グラミー賞を受賞したリッキー・マーティンは、この世代のラテン・ミュージック界の中心的人物である。彼の生まれ持ったリズム感、パフォーマンスへの情熱、そして寛大な思いやりの心は、世界中のファンに愛されている。

メヌードの一員として過ごした5年間の間に既にスポットライトを浴びることに慣れていたリッキー・マーティンは、1991年にセルフ・タイトルのソロ・デビュー作をリリースし、独自の音楽の道を歩み始めた。初期の2作がスペイン語圏におけるスーパースターとしての地位を瞬く間に確立した中、マーティンの人を惹きつけるパフォーマンス能力が、当時ラテン・ミュージック・アーティストに存在すると思われていた限界を超えたところのオーディエンスを魅了するようになるまで時間はかからなかった。1995年の〈マリア〉や、世界的ヒットとなった1998年のワールド・カップ賛歌〈ラ・コパ・デ・ラ・ヴィダ(ザ・カップ・オブ・ライフ)〉など、シングルの画期的な成功を次々と収めてきたマーティンは、真のグローバル・スーパースターや生まれながらのパフォーマーのレベルへと一気に上りつめ、迫り来ていた文化的革命を先導するようになる。

「話題を席巻する」決定的な例として挙げられるのが、1999年2月24日の夜に行われた、第41回グラミー賞授与式での〈ザ・カップ・オブ・ライフ〉の歴史的パフォーマンス。リッキー・マーティンがアメリカ人音楽ファンの意識に飛び込んだときだった。ニューヨーク・タイムズ紙は、そのグラミー賞の名場面を「ポップ・ミュージック界の火口(ほくち)に火を点けた」と絶賛し、瞬く間に地位を確立したマーティンを「アメリカのラテン・カルチャーにおける新たなメインストリームのシンボル」と称した。

ビルボード誌に「世界的ポップ・アイコンにしてラテン音楽界のグローバル・アンバサダー」と称され、ラテンレコード協会からは史上最年少で「パーソン・オブ・ザ・イヤー」の栄誉を与えられたリッキー・マーティンは、これまで6,000万枚のアルバムを売り上げており、現在も世界中のスタジアムやアリーナを埋め尽くすオーディエンスに向けて演奏活動を行っている。マーティンはそのキャリアの功績と幅広い慈善活動を称えられ、名誉ある国際的な賞を数十回受賞している。

マーティンはそのペルソナと音楽への愛情に不可欠な一部分として、リッキー・マーティン財団(RMF)のプログラムを通じて幅広いチャリティ活動にも同様に献身的である。同財団は社会正義、教育、健康などの重要な分野において子供たちの幸福を支援している。マーティンは議会でのスピーチをはじめ、児童売買という恐ろしいものへの対策を語り合う世界政策会議におけるスピーチ、ユニセフの世界大使、ビル・ゲイツ氏とマイクロソフト社との提携によるラテン・アメリカの子供たちのためのオンライン・セーフティ・プログラムの開発、人身売買された子供たちのための国際シェルターへの個人的訪問など、この分野において数々の実績を上げている。RMFは最近はハビタット・フォー・ヒューマニティへの長年にわたる支援をさらに深めており、ハイチとチリでの壊滅的大地震からの再建活動を支える主要パートナーとなっている。

双子の息子、マッテオとヴァレンティーノを育てるため、2年半近く音楽業界から遠ざかっていたリッキー・マーティンは、個人的・音楽的人生への理解をさらに深め、芸術的スポットライトの下という本来いるべき場所に帰ってくる。高い評価を博した自伝「ME」がニューヨーク・タイムズ紙のベストセラー・リストに登場したリッキー・マーティンの待望の12作目のアルバムは、海外で2011年1月にリリースされた。