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 黒人から見た社会的・政治的な関心事と、度肝を抜く音作り――サイレン、銃声、スクラッチ音、ニュース番組からのサンプリング――という、対照的な組み合わせから、Public Enemyは黒人のラップファンにも、白人のロックファンにも、同様に好かれていった。

 野太い声のChuck D(本名Carlton Ridenhour、''60年8月1日ニューヨークシティ生まれ)と、鼻にかかった声のFlavor Flav(本名William Drayton、''59年3月16日ニューヨークシティ生まれ)が率いたこのグループは、ロングアイランドのアデルフィ大学が主催するラジオ番組をきっかけに結成されている。
 Public Enemyとしての1stアルバム『Yo! Bum Rush The Show』(''87年)を聴くと、当時のグループ――“情報庁長官”と呼ばれたProfessor Griff(本名Richard Griffin)とターンテーブルの魔術師Terminator X(本名Norman Rogers)も在籍――がまだ、自分たちのサウンドを模索中だったことがわかる。
 2作目の『It Takes A Nation Of Millions To Hold Us Back』(''88年)は傑作だ。『Bring The Noise』では、Hank Shocklee、Carl Ryder、Eric(Vietnam)Sadlerがプロダクションに尽力してくれたお陰で、表題に掲げた公約は果たし、Chuck Dのラップは、マスコミ(“Don''t Believe The Hype”)からクラック中毒(“Night Of The Living Baseheads”)まで、片っ端から真っ向勝負を挑み、Flavor Flavのコミカルな“Cold Lampin'' With Flavor”でホッと一息。反ユダヤを公言したGriffが脱退を余儀なくされたあたりから、物議がグループを呑み込んでいく。
 本人はその後、2枚のソロLPを制作したが、記憶に残る作品ではなかった。Shockleeの兄弟、Keithをプロダクションチームに迎えたPublic Enemyは、''90年、『Fear Of A Black Planet』でガツンと返答。その聴きどころは、Spike Leeの映画『Do The Right Thing』のサントラに予め収録されていた“Fight The Power”や、“Burn Hollywood Burn”、そしてFlavor Flavの黒人らしいユーモア溢れる“911 Is A Joke”など。
 プロデューサー陣を一新した『Apocalypse ''91: The Enemy Strikes Black』には強力なリリック(“By The Time I Get To Arizona”“1 Million Bottlebags”)と、Anthraxのメンバーとデュエットした“Bring The Noise”のリメイクを配していたが、音の面での革新性と、前作にあったダークなユーモアを大きく欠いていた。(Terminator Xは、''91年に初めてのソロLPを2作、発表している)

 次なるレコードは''92年の『Greatest Misses』で、収録は6つの新曲――中では“Air Hoodlum”が秀でていた――と、7つのリミックス。彼らの真っ当なメッセージは、ギャングスタラップの台頭に押されて力を失っていく。''94年の『Muse Sick N Hour Mess Age』では、ヴィンテージ物のソウルをサンプルねたに用いて、犯罪に抗うメッセージを支えたものの、黒人、白人共に、聴衆は耳を傾けようとしなかった。
 ''96年、Chuck DはソロLP(『Autobiography Of Mistachuck』)をリリースするが、同じく閉ざされた耳を前に失墜。Professor Griffが復帰したバンドは、再びSpike Leeとのコラボレーションに召集されて、『He Got Game』(''98年)のサントラに参加し、またアルバム『There''s A Poison Goin'' On』(''99年)も発表して、2つのプロジェクトでいくらか注目を集めるも、''80年代終盤の全盛期には及びもつかない。
 最近Public Enemyは長年連れ添ったDef Jamを離れ、インターネットを基盤とする一匹狼的なレーベル、Atomic Popと契約したが、Chuck Dも自身の音楽の持久力よりも、ミュージシャンのための創造とビジネスの、新たな捌け口としてのインターネットを熱心に擁護することで、もっぱら注目を集めているようだ。

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