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Ramones以上に知的で芸術的で、中身が濃いパンクバンドはいる。Ramones以上に哲学的で詩的で政治的なパンクロックバンドもいる。しかし、このクイーンズで最高の偽の兄弟達と肩を並べるバンドは存在しない。

''75年、彼らは最初のアルバムをリリースした。ロックの歴史の中でもおそらく最も頭を悩ませるデビューアルバムかもしれない。初歩的なロックンロールが14曲、どの曲も2分半以下の長さ。何でも大げさに過剰に、というやり方が支配していたあの時代、このアルバムは非常に衝撃的な存在だった。

究極にまで突き詰めたそのミニマリズムも奇跡なら、彼らがそのスタイルをほとんど変えることなく、20年以上も活動を続けてきたこともまた奇跡と言えるだろう。とはいえ、彼ら自身は昔の「1-2-3-4」で始まるサウンドだけでなく、ファンが驚くようなサウンドへも手を広げてきたのだが。

“音の壁”を作り出すことで有名なPhil Spectorがプロデュースしたアルバム、『End Of The Century』には、“Do You Remember Rock''N''Roll Radio?”や“Rock''N''Roll High School”といった名曲の他に、奇妙に感動的な“Baby I Love You”のカヴァーも収録されていた。

一方、元PlasmaticsのJean Beauvoirがプロデュースした『Animal Boy』は、もっとメタルよりな作品だった。『Acid Eaters』は彼らのロックンロールの師達に捧げられた作品で、『Brain Drain』にはパンクのクリスマス賛歌“Merry Christmas(I Don''t Want To Fight Tonight)”が収められていた。

当時芽生えたばかりのパンクロックが育つための、重要な音楽的土壌をRamonesは作り上げた。しかし、パンクと常に結びつけて考えられる政治的思考を掘り下げて披露するようなことは、彼らは決してしなかった。もちろん、時には幅広い政治的関心を見せることもあった(検閲やホームレス問題、そして当時の大統領だったRonald Reaganも楽しげにからかっていた)。

しかし、特定の問題を大きく取り上げるようなことはしなかった。それが、彼らの政治的関心の低さから来たことなのか、それともそういう次元を越えていたからなのかは、はっきりしない。20年間以上にもわたって“Hey-ho-let''s-go”の信念を貫いた彼らは、''96年のロラパルーザでプレイした後、その活動の歴史に終止符を打った。