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ロサンゼルスの同じ高校に通う友人同士だったアンソニー・キーディス/Anthony Kiedis(Vo)とフリー/Flea(B)。卒業後も交遊を続けていた2人は、ある日、友人ミュージシャンからライヴの前座を頼まれ、やはり同じ高校に通っていたハイレル・スロバク/Hillel Slovak(G)とジャック・アイアンズ/Jack Irons(Dr)を誘いバンドを結成。

1984年にEMIアメリカ傘下のエニグマと契約。アルバム『The Red Hot Chili Peppers』を発表する(ただし、ハイレルとアイアンズは他に契約のあるバンドを掛け持ちしていたため、RHCPの契約には参加できず)。

1987年9月発表の『The Uplift Mofo Party Plan』では、インナースリーヴに全裸1歩手前の自分たちの写真を掲載し“脱ぎっぷり”のよさをアピール(!?)、ますますもってオバカ・キャラが際立つことになるが、音楽的にはテクニックもアイディアも豊富なところを見せつけていた。ところが、アルバム発売3ヵ月後に、ハイレルがドラッグの過剰摂取で他界。ハイレルとは幼馴染みであるアイアンズも、そのショックの大きさから脱退を表明。RHCPには解散説まで流れる。

しかしアンソニーとフリーは、17歳のギタリスト=ジョン・フルシアンテ/John Fruscianteとチャド・スミス/Chad Smith(Dr)を得て、新生RHCPをスタートさせ、1989年8月、アルバム『Mother’s Milk』を発表する。アメリカではこのアルバム・ジャケットがわいせつ問題にまで発展、物議をかもした。

1991年9月、鬼才リック・ルービン/Rick Rubinをプロデューサーに迎えた『Blood Sugar Sex Magic』発表。このアルバムからは「Under The Bridge」、「Give It Away」、「Breaking The Girl」などのシングル・ヒットが続出、アルバムも全米トップ3入りを果たし、一躍人気バンドの仲間入りをすることになる。ところが、1992年5月、来日公演中のバンドから突如ジョンが脱退。

1994年、新メンバーにデヴィッド・ナヴァロ/David Navarro(g:元ジェーンズ・アディクション)を迎えた彼らは『ウッドストック・フェスティバル』に出演。翌1995年にはアルバム『One Hot Minute』を発表し、「Warped」などのシングルがヒット、アルバムも好セールスを記録した。

1998年6月にはワシントンD.C.で行なわれた<チベタン・フリーダム・コンサート>に出演。ここでかねてから噂されたジョン・フルシャンテの復帰が実現。1999年6月にはフルシアンテ復帰第1弾作となる『Californication』を発表した。

2002年7月には新作『By The Way』をリリース。タイトル曲はシングルとしても大ヒットを記録し、アルバムは結果的に世界で800万枚を超えるセールスを記録した。

2006年5月、「Stadium Arcadium」をリリース。世界各国のチャートで1位を獲得。オリコンでも1位に輝いた。先行シングルとなった「Dani California」が、同年に日本で公開された『デスノート』の主題歌として採用。同アルバム収録の「Snow ((Hey Oh))」も『デスノート the Last name』の主題歌に採用された。また、このアルバムで3度目のグラミー賞を受賞している。

2009年12月、ジョンが再び脱退。2011年に、後任としてジョシュ・クリングホッファーが加入。8月に5年ぶりのアルバム「I’m With You」をリリースした。このアルバムは18ヶ国で1位を獲得。

2012年4月にはバンドはロックの殿堂(Rock and Roll Hall of Fame)入りを果たした。

2016年6月、またも5年ぶりとなる通算11枚目のアルバム「The Getaway」をリリースした。

1984年のデビュー以降、壮絶なライヴ・パフォーマンスと名曲の数々で多くのファンを獲得し、6000万枚超のセールスを誇る。

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