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ピンクの口元に長いつけ睫毛。Supremesは究極のガール・グループだった。Diana RossにMary Wilson、Flo Ballardの3人組は、誰もが認めるヒット・メイカー。そのサクセス・ストーリーはショー・ビジネス界の伝説として語り継がれ、ブロードウェイのヒット・ミュージカルDreamgirlsの原作にもなっている。

ストーリーの始まりはデトロイト。Ross (''44年3月26日生)、Wilson(''44年3月6日生)、Ballard (''43年6月30日生)の3人は、Primettes というグループ名で''59年にデビュー。''61年、Supremesと名前を変えモータウンに所属する。そこでEddie Holland/Lamont Dozier/Brian Hollandのプロダクション・チームと組み、ポップス界の頂点に立つ。''64年に最初のスマッシュヒット“Where Did Our Love Go”を出すや、“Baby Love”“Stop! In The Name Of Love”“My World Is Empty Without You”“You Can''t Hurry Love”“You Keep Me Hangin'' On”と立て続けにヒット曲を放ったのである。

そして''67年の“Reflections”で、初めてDiana Ross & the Supremesとクレジットを載せた(ちょうどFlo Ballardが抜け、元Patti LaBelle& the Blue BellesのCindy Birdsongが加入)。その後3人組のプロダクション・チームHolland/Dozier/Hollandはモータウンを去るが、Supremesはもう1曲大ヒット“Love Child”を飛ばし、ついに''69年、“Someday We''ll Be Together”というドラマチックな別れの歌でRossはSupremesと決別する。

以来ソロとなったRossは、映画(代表作は『Lady Sings The Blues』)を始め、女王ならではのあらゆる分野に進出している。映画のテーマ曲からアダルト・ポップ(“Touch Me In The Morning”)、ディスコ・バラード(“Love Hangover”)、ファンク(“Upside Down”)、Marvin Gayeとのデュエット、''50年代のリメイク、Michael Jacksonとの制作等々。一方、Rossの代わりにJean Terrellを加えたSupremesは、3曲ヒットを飛ばしたが、いずれももっと評価されていい曲である(“Up The Ladder To The Roof”“Nathan Jones”“Stoned Love”)。''72年にBirdsongに代わってLynda Lawrenceが加わり、もう1曲(“Floy Joy”)ヒットを出すが、だんだんとヒット曲も少なくなり、メンバー・チェンジが頻繁になっていった。''72年2月22日、Flo Ballardが突発性心停止で死去。''88年、SupremesはRock And Roll Hall Of Fameに殿堂入りしたが、Diana Rossは授賞式に出席しなかった。

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