ニュース・最新情報

プロフィール・バイオグラフィ・リンク

いろいろな意味で、Sex Pistolsは音楽的な偉大さというよりも社会現象だった。言うまでもなく、パンクはPistolsの出現より遥か以前から存在していた。その起源を遡れば、Question Mark & The Mysteriansのようなガレージバンドか、あるいはElvis Presleyまで辿り着くかもしれない。そしてその後には、Pistolsに直接的影響を及ぼした'70年代半ばの、Ramonesに代表されるニューヨークのバンドがいた。

だがこのバンドに先導されてイギリスから火が点き、やがて全世界へと広がった“パンクムーヴメント”以降のパンクは、それ以前とは明らかに別物である――現在我々が目にしているファッションも小道具も、ほとんどはここで生まれたものばかりだ。

そもそもバンドは、ロンドンで『Sex』というブティックを経営していた企業家Malcolm McLaren(後にNew York Dollsのマネージメントを手掛けた)の発明品だった。メンバーのSteve Jones、Paul Cook、Glen Matlockが、Ramonesのロンドン公演に触発され、トリオでプレイしていたところへ、McLarenがJohnny Rottenと名乗る若いゴロツキ(本名John Lydon)を連れてきて、フロントマンに据えたのである。すべてはそこから始まったのだ。

Pistolsはバンドの目標を「ロックンロールを破壊すること」と公言してはばからなかった――もっとも彼らが言っていたのは、制約だらけに成り下がってしまった当時のロックンロールをブッ壊すという意味だったのだが。「God Save The Queen」のような曲をシングルとしてリリースすることは、'90年代から見れば別にどうという事もないと思えるかも知れないが、ちょうど女王の在位50周年祝典を迎えていた当時の英国においては、これは誰もが神経を疑うような破廉恥きわまりない行為だった。

バンドはライヴ活動を行なう前にそこら中の会場から締め出しを食った。そして、英国内でのヒットシングル数枚とアルバム1枚を出すより前に、PistolsはMatlockを追い出し、かの悪名高きSid Vicious(本名John Simon Richie)を加入させる。この男は楽器などまるでプレイ出来なかった代わりに、また違うレベルの極悪非道をバンドにもたらした。

当然の成り行きと言うべきか、惨憺たる結果に終わった'78年の全米ツアーの最中にバンドは空中分解する。Rottenはサンフランシスコでのギグの最中、ステージの上から脱退を表明。ViciousはガールフレンドのNancy Spungen(言わばCourtney Loveのプロトタイプ的存在)を刺殺したかどで逮捕されて間もなく、ニューヨークシティでヘロインの過剰摂取のために命を落とした。

Pistolsはその後、オリジナルメンバーでの再結成を実現させ、'96年にはワールドツアーを行なったが、本物の“パンクス”たちは、バンドがその歴史と“純潔”を自らの手でメチャメチャにしてしまうのではと戦々恐々だったようだ。しかし、意外にも実際には、このツアーでの彼らは、昨今のシーンで幅を利かせているPistolsの子孫を自負する大部分の若手よりも、遥かに素晴らしい演奏を聴かせたのである。

ライブ・コンサート・チケット