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オフィシャルサイト:http://www.sonymusic.co.jp/Music/International/Arch/SR/Slayer/

悪魔が楽しむのはすべて最高の曲だ。明るい気分の時にはJohnny Cash、ちょっと憂鬱な時にはRoy Orbison、そしてその中間の時にはいつもSlayerだ。地球に対して地獄の怒りに燃えている時や人間に干渉している時、あるいはただひたすら腹を立てている時などだ。

'82年にカリフォルニア州オレンジカウンティで出会ったTom Araya(ベース/声)とKerry King(ギター)とJeff Hanneman(ギター)が集まり、躁病の若いドラマーDave Lombardoが加わった。彼らはパンクロックの最高の要素とJudas PriestとIron Maidenを融合させ、“スラッシュメタル”というジャンルの旗を掲げるようになった。

Slayerの純粋なスピード感だけを強調するのでは素っ気なさすぎるだろう。彼らの主な強さはペースとパワーにあるかもしれないが、この20年間で最高の部類に入るメタルギターリフを書いたこと、そして『Reign In Blood』という1枚のアルバムを作ったことも広く認められるところだ。そのアルバムこそ、世界で最も有名な美術館に展示される芸術にも値し、29分中毎秒が野蛮で無慈悲な作品だ。それに、正直に言って、死と戦争と殺人とサタンを扱う歌詞を求める甘美な欲望を、いっぺんに満足させるものが他にあるだろうか?

Slayerが目的とする所へ辿り着くのには、しばらくかかった。'83年のデビューアルバム『Show No Mercy』には(“Black Magic”のような)素晴らしい曲もあったが、まだ漫画的要素が多すぎた。

悪名高いニューヨークのディスコStudio 54でプレイしたのと同じ'85年に、『Hell Awaits』をリリースして一般大衆に受け入れられた。このリリースがレーベルオーナーでプロデューサーのRick Rubinを駆り立て、最初にDef Jam、続いてAmerican Recordingsと彼らを契約させようとした。

'86年の名作『Reign In Blood』で、Rubinはプロダクションにおける指導的地位を確立し、プレイヤーが最大限の力を発揮できるようにし、すべての段階で究極を求めた。Beastie BoysもPublic Enemyも、『Licensed To Ill』と『It Takes A Nation Of Millions To Hold Us Back』をそれぞれサンプリングしてSlayerの才能を利用したので、彼らは労せずして他のジャンルにクロスオーバーすることにも成功した。 Slayerは生きたまま伝説になった。彼らのライヴはしばしば激しい興奮状態に陥り、警察と酒乱と喧嘩であふれかえった。実際、SlayerはハリウッドのPalladiumでの'88年の暴動後しばらくは、ロサンゼルスでプレイすることを禁止された。

しかし彼らはケタ外れに強力で、究極的に売れるアルバムを作り続けた。『South Of Heaven』『Seasons In The Abyss』『Decade Of Aggression』はすべて絶賛され、ドラマーのLombardoの脱退さえ乗り越えて、同じように上手いベイエリアのスキンヘッド、Paul Bostaphを加入させた。'90年代後半に入る頃には、しっかりしたファン基盤とわずかなプレッシャーの心地よさを味わっていた。『Devine Intervention』には少し怠惰さが表れていたが、'98年の傑作『Diabolus In Musica』でバンドは最高の状態に戻り、再び独自の音楽を楽しむようになった。ハードロックの最も過激なバンドのひとつという評判も再び戻ってきた。

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