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初めてのライブ:1999年、ベルリンにて。
最初に制作したアルバムは発売されず。その後、世に初めて出たのはシングル'If I Had Known This Before';で、主にテクノシーンで受けがよく成功した。初期の頃はKISSOGRAMというよりはSitcom Warriorsという自分たちのもう一つのバンドとして活動することが多かった。また、時として'Don Multisex' や'The Blood Boysという違う名義のバンドとしても活動することもあった。

で、ハンブルグのレーベル、Buback-TonträgerからポップEP 'I'm Absolute'をリリース。それほど成功しなかったけど、当時はそれくらい。

転機は突然現れ、2003年にパリへの夜行列車に乗ったところから始まる。パリへ向かった次の日、正式に発売される自分たちの初アルバム' The Secret Life of Cpt. Ferber'のレコーディングを開始。スタジオには友人でありカナダのポップスター・ピアニストのGONZALESとプロデューサーのRenaud Letang。

楽曲'Girl In My Shower'.ではFEISTがシャワーの中で歌ってくれた。ベルリンのレーベルLouisville-Recordsと契約。NMEにもとりあげられ、世間から自分たちは'New New Wave' と定義し、僕たちを説明する単語として'Electroclash'なんて言葉が作られた。

2004末にはすでに100曲ほど楽曲が制作され、PEACHESや友人であるJeans Teamと一緒にツアーを行う。行いながらも時間をみつけて楽曲制作に励む。メンバーのセバスチャンは年間213本も映画を映画館でみるし、自分も自宅ではよく映画を見るほう。自分たちの好きな映画の雰囲気を楽曲制作にも反映させる。感じたことを歌詞やメロディーに盛り込んだり。

2007年発売、2枚目のアルバムNothing, Sirはジャケ写にアメリカ人の女優、Lauren Bacallを起用。

そこから先、バンドのカラーが少しずつ変わる。あっという間に忙しくなり、あんなに映画好きだったセバスチャンも映画館へは年間67回しか足を運べなくなった。そして、ライブは音が大きくなり、もっとワイルドにもっとアグレッシブになる。

その頃から人々は僕たちの音をロックロールディスコと表現するようになる。スペイン・フランス・イタリアなどでもライブを行ったが、主はやっぱりドイツ。KISSOGRAMのもう一つのエゴ的な音、'The Gods of Love',というビートバンドの音を表現するようになる。

Stereolab や Add N to (X)でドラムを担当していたJoe DilworthがKISSOGRAMに加入。その後に制作したアルバムではライブでのアグレッシブさを前面に出す。

本作、3枚目 Rubber & MeatのミキシングはPelle Gunnerfeldtで'The Hives' or 'The International Noise Conspiracy'らをプロデュースした経歴あり。

'Franz Ferdinand'とはTorstrasseの'Musikerklause'で出会い、すぐに意気投合して Warsawで一緒にライブを行うように。そのライブが成功したのがきっかけで Franz Ferdinand とは近い将来また一緒にライブしようと約束。というのもあって、彼らの3月から始まったヨーロッパツアーのサポートをすることに。