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Frank Zappaとはプロフェッショナルな扇動家であり、ドゥーワップとR&Bをこよなく愛しながらも、ロックに対してはアンビヴァレントな態度で臨み、アヴァンギャルドなオーケストラ音楽には自然に愛着を感じていた天才音楽家であった。彼はこうした音楽形態のすべてを、時として奇妙な取り合わせで自身のガンボ(南部風煮込み料理)に溶け込ませ、膨大かつ豪快な作品群をこの世に残したのである。一方でZappaは辛辣な皮肉屋でもあり、水準をクリアする作品も多かったが、同じくらい自身の目標を満たせないこともあった。真のZappaとは何かを突き止めるのは難しい。何故なら彼は、ロックと(クラシックの)現代音楽からまごうことなきサード・ストリーム・ミュージックを創造した音楽家と、バカバカしい下ネタを連発してオーディエンスを煙に巻く人物との間で常に揺れ動いていたからだ。

Zappaは'40年にMaryland州ボルチモアで生まれた。初期に受けた音楽的影響としては、'50年代のR&Bやクラシック以降のアヴァンギャルド音楽が挙げられるが、中でも'20年代から('50年代までずっと)先見的なサウンド・スケープを描き続けた作曲家Edgard Vareseを特に好んでいた。カリフォルニアに移ったZappaは'64年にSoul Giantsというバンドに参加、後にこれをMothersと改名する。'66年にはVerveで最初のレコーディングを行なったが、この際にレーベル側がバンド名にOf Inventionを付け加えている。このThe Mother Of Invention(TMOI)の1stアルバム『Freak Out!』(Zappaの全リリースはRykodiscから発売中)は、R&B、風変わりなロック、社会派メッセージ、サウンド・コラージュの魅力を山盛りにした彼らの最高傑作の1枚である。『Freak Out!』はブっとぶには最高のレコードと言われたが、一度も薬物中毒にはならなかったZappaの意図した結果ではなかった。彼の実験への取り組みは熱烈な音楽家精神によるもので、人をびっくりさせたり奇妙なサウンドを追求することだけに興味があったわけではない。

'68年、そうしたヒッピー的なもの全体に対する蔑視をできるだけクリアに表明するために、彼は時代のトレンドを巧妙な形で葬り去った痛烈な『We're Only In It For The Money』('68)を発表。同年には初めてのコラージュ大作『Lumpy Gravy』もリリースしている。翌'69年にMothersは、さらに2枚の傑作をものにする。時としてこっけいだが演奏面では大胆な『Uncle Meat』と、大半がインストルメンタルの『Burnt Weeny Sandwich』だ。さらに同じ年、Zappaは後に数多く発表されるギターをフィーチャーした作品の第一弾『Hot Rats』も制作している。

'70年以降のZappaには問題も多かった。それでも中には極めてポイントの高い『Apostrophe』('74)といった素晴らしい作品もあった。だが、かつては刺激的で必要と思われたユーモアが、ゲイや女性、混乱した10代の若者たち(『Over-Nite Sensation』('73)の大ヒット以降は彼のオーディエンスの大半を占めていたのだが)、そしてFrank Zappa本人以外のあらゆる人々に対する彼個人の嫌悪感を反映したジョークで彩られることになってしまった。しかしながら一方で彼は、大オーケストラやアヴァンギャルド志向の小アンサンブルを用いて、自身のインストゥルメンタル音楽でも最良の作品をいくつか送り出していった。

Zappaには、ギターを中心としたアルバムにも数多くのリリースがある。ギタープレイヤーとしてのZappaは、彼のいくつかのペルソナの中でも最も好ましい人物だった。ギターを手にした彼からはマッドな音楽学者の表情は消え去り、代わりに雲に向かって吠え、ドキドキするような感受性を吐き出す豪放なロマンティストが現われるのだ。これはある意味では伝統的なもので、古典的なギターヒーローの最高のソロは殉教者の最後の言葉のように聞こえるものなのだ。だが、彼が創造したすべての音楽の中で、エモーショナルな核がごたくによってあいまいにされることなく表に出ているのが、この分野の作品であることは間違いない。最期までその作品に取り組み続けたFrank Zappaは、'93年12月4日にガンのため死去した。

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