ニュース・最新情報

プロフィール・バイオグラフィ・リンク

1957年、東京・麻布にて、法務省の後東京地検勤務の厳格な父の元に生まれる。小学校時代はアニメの主題歌を歌い、その後アイドル歌手として活躍。堀越学園芸能コースを経て、明大付属中野高校卒業。18才で作詩作曲家としての活動に移行し、ドラマやCMのテーマなど数々の作品を手掛ける。

19才大学生を中心とした学生企業を設立し、学生ツアー(バケーションシステム、ナッツベリー、オレンジペコ、レオ、エリー)など数々の業績をあげ、日本一のヤングマーケットツアーの担い手となり24才、NSOジャパングループ設立。ディスコ、カフェバー(クレオパラッツェ1.2、沖縄クレオ、ヒッボフェロー、ゼナナ、ピクシス、インフィニティー他)、旅行代理店業、不動産業など7社の経営に着手しヒットをとばし、六本木のディスコブーム、カフェバーブームの火付け役となる。

三沢千代治著「情断大敵/KKベストセラーズ」に『20代の社長が私の先生』と綴られるがごとく、時代の先端をゆく若き青年実業家として行動力のもと、与論島に総工費60億円の当時最先端のケウオーターを導入した「プリシアリゾート」を創設。リゾートブームの先駆けとして話題を集める(その後10年間リゾートとしてトップランキングに選ばれる)。与論島を舞台にした映画「星砂物語 スターダストストーリー」を企画制作する。

その後、プリシアリゾート売却し、27才にして株式会社ミサワホームグループ入りし、史上最年少の取締役に就任。「心のリゾート」と謳った数々のリゾートプロデュースを行う。そして、リゾートブームの火付け役として、業界に波紋を巻き起こす。同時期、アメリカ発の科学的自己啓発メソッドによるセルフトレーニングに出逢ったことがきっかけとなり、真にスピリチュアルな生き方を学びたいと世界各国の様々なトレーニングを受講する。

1988年ミサワリゾート株式会社(現、リゾートソリューション株式会社-東証一部上場)へ社名変更し、取締役として活躍。並行して、「真のリゾート」をテーマにオリエンタルランドや各リゾート業界の経営者向けの講演会や講師をつとめる。また、自らの部下や関係者へ真のリゾートのあり方を教育し、専門家へと育てる。(当時倉渕が育てた関係者らは、現在の日本のリゾート業界の第一線にて活躍し、リゾートホテル再生のエキスパートとして業界のリーダー的役割を担っている。)

1990年、33才で真にニュートラルな生き方を選択したいと、既存の地位や名誉をすべて捨て、本質的事業・本物であることが必要であると独立する。真のリゾートは人の心にあるとリゾート事業とセルフトレーニング事業を統合したまったく新しくスタートをきり、癒しをテーマに様々な事業を立ち上げる。

1995年、「遥かなる道」のリリース以来、ヒーリング音楽の先駆者として、感動的なTVのドキュメンタリー番組・NHK の番組テーマやBGM、CMソングを含め、その美しい音楽で様々なシーンにおいて人々の心を癒してきたMASAYA。現在、TOSHIのプロデューサーとして、ソングライターとして数々の楽曲を提供し、代表作「大切なもの」はロート製薬目薬100 周年のテーマ曲となる。TOSHIの作詞・作曲、プロデュースの他、TOSHI with T-EARTH、WANKU、TOSHI&WANKUを手掛けその他ヒーリングアーティストの育成および音楽プロデュースを手がけている。