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1955年2月13日、東京生まれ。3歳でピアノを始める。高校生のころからジャズスポットに出没し、天才少女の名をほしいままに。1974年にはバンド、ザリバでシングル「ある日」をリリースしデビュー。が、直後にバンド解散。1976年7月にソロでアルバム『JAPANESE GIRL』(なんとリトルフィートがバックを務めている曲あり)で再デビュー。独自の活動とは別にティン・パン・アレイやムーンライダーズのライヴにも積極的に参加。1997年にはYellow Magic Orchestraのワールドツアーにもキーボードとして同行している。同年リリースのアルバム『東京は夜の7時』はYMOの3人など実力派ミュージシャンをバックに起用、コーラスには山下達郎が参加している。1980年のアルバム『ごはんができたよ』から、坂本龍一との共同プロデュース作業が始まる。

1981年には化粧品のCMソングにも起用された「春咲小紅」が大ヒットとなり、広く矢野顕子の存在を知らしめることとなる。1982年のアルバム『愛がなくちゃね。』ではJAPANがバックバンドとしてサポートしたり、1984年リリースのシングル「ラーメンたべたい」は教科書に掲載されたりと、常に話題にあがる音楽活動を行なっている。

ライヴ活動も通常形態にとどまらず、児童合唱団との共演や、依頼とピアノがあれば日本中どこへでも出向く<出前コンサート>などユニークかつ自由奔放で、実力ある矢野ならではの活動を行なう。

1982年2月、アーティストの坂本龍一と結婚。

1987年年末の<GRANOLAツアー>をもって、一時、音楽活動休業を宣言し、主婦業に専念。約1年後の1989年4月に発表したアルバム『welcome back』で音楽活動を再開する。1990年にはアメリカNYに移住。独自の制作はもちろん、CMソング、映画のサウンドトラックなど精力的に活動を行なう。

1996年からは毎年年末に日本でコンサートを行なうための<さとがえるツアー>を敢行。

2004年にジャニス・シーゲルのゲスト演奏者としてブルーノート・ニューヨークに出演し、ブルーノート東京では2003年から米国在住アーティストとスペシャルユニットを組んで、毎年コンサートを行っている。

2017年3月には、ジャズピアニストの上原ひろみとのセッションライブを収録した『ラーメンな女たち』をリリースした。

2018年11月、毎年夏のWill Lee、Chris Parkerとのトリオが10周年を迎え、限定ライブ盤をリリース。幅広いアーティストとコラボしたアルバム『ふたりぼっちで行こう』をリリースし、年末のさとがえるコンサートに、松崎ナオ、大貫妙子、YUKI、奥田民生、細美武士の各氏を各地のゲストに迎えた。

ロック、ジャズ、民謡、クラシックなどをミックスし、それを“矢野顕子の歌”として納得させてしまう楽曲の完成度、自然で流麗なメロディ、既成概念にとらわれないフリーな歌詞、そして一度聴いたら忘れられない歌声。すべては天才のなせる技だろう。

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