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89年に製作された Jerry Lee Lewis の伝記映画『Great Balls of Fire!』で、Chuck Berry の前座という扱いに憤慨した Dennis Quaid 扮する Jerry が、ピアノにウィスキーをぶっかけ火をつけ客を煽り捲くるシーンがある。前座でそこまでやられたら Chuck Berryもさぞ出にくかったと思うが、The Who のギターを壊すパフォーマンスより10年近く早いこのキレ具合は、その後の彼の人生を思うとステージ上の演出だけではなかったのではないかと考えられるのだ。 「生きてる間に伝記映画が作られたという点で、俺はElvis より偉大だ」とJerry はのたまっているが、さすがに映画になるだけあってその人生は、まさに火の玉のような狂気じみたものであった。

Jerry Lee Lewis は'35年9月29日ルイジアナ州フェリデイで生まれた。幼い頃からブルースやカントリーに親しみ、8歳でピアノを始める。'49年、13歳の時に10ドルのギャラでプロの初舞台を踏んだ。

'56年、Elvis Presley や Carl Perkins などを輩出していたメンフィスの名門 Sun Records のオーディションを受け、合格する。デビュー・シングル「Crazy Arms」はローカル・ヒットで終わったが、翌'57年6月に発表した第2弾「Whole Lotta Shakin'Goin' On」は、ブギ・ウギ・ピアノをフューチャーした彼独特のスタイルで、あっという間に全米第3位の大ヒットとなる。7月にはテレビの『Steve Allen show』でこの曲を演奏。狂気じみた眼でカメラを睨みすえながら、"パンピング・ピアノ"と呼ばれたワイルドなピアノ奏法と強暴なヴォーカル・スタイルを披露し視聴者の度肝を抜く。以降彼は"ザ・キラー"という異名を与えられ、まるで悪霊にとりつかれたようなパフォーマンスを繰り広げることになっていく。

続く「Great Balls of Fire」(邦題「火の玉ロック」)「High School Confidential」「Breathless」と次々にヒットを連発、'58年の春には R&R のトップに君臨していた。ところが落とし穴は私生活からふっと沸いて出たのだった。

早熟な Jerry は下積み時代2度の結婚を経験し、1児の父になっていたが、'57年12月に13歳の従姉妹 Myra と3度目の結婚する。前妻とは正式に離婚しておらず、実際は重婚だった。'58年5月、イギリス公演に出かけた Jerry が13歳の従姉妹と結婚したことを発表、すると教会などから非難が殺到し、Jerry のレコードは全米のラジオ局から放送禁止処分を受け、公演もほとんどがキャンセルされた。以降彼は謹慎を余儀なくされ、人気は下降の一途を辿る。

'61年に Ray Charles の「What'd I Say」をリメイクしヒットさせた後は Smash や Mercury といったレーベルで活動を続けたが、私生活においての荒れ方は激しくなっていく。例えばバンドのベース・プレイヤーに銃をぶっぱなしたり、酔っ払って運転していたロールス・ロイスを溝に落としたり、Elvis の邸宅の前で面会を強制して逮捕されたり…。'81年には長年に亘る酒とドラッグ漬けの生活のツケがまわり、多量の出血をともなう潰瘍を引き起こし瀕死の状態に陥っている。女性関係も相変わらずで、'70年代と'80年代を通して何度も花嫁を取り替え、'83年には5番目の妻が様々な疑惑に包まれたまま亡くなったりしている。

しかしこの事実に呆れるというよりは、セックス、ドラッグ、ロックン・ロールというお題目にドップリ漬かった真性ロックン・ローラーぶりに感心さえしてしまう。道徳や社会に反逆する不良性のようなものが、R&R をリアルにするという考えに沿って言えば、レコードに刻まれた彼が叩き出すピアノの強烈なリズムには、商業主義に溺れる前の正真正銘の R&R の息遣いが確実に存在しているといえるだろう。 '86年にはロックの殿堂入りを果たし、'90年代にもニュー・アルバムを出し、ツアーを続けている。火の玉は消えるどころか転がり続けているのだ。