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1973年、ディープ・パープルに加入したとき、デヴィッド・カヴァーデイルは22歳の若者だった。世界最大のハード・ロック・バンドのシンガーとなった彼は大観衆を前にステージに立ち、『紫の炎』(1974)、『嵐の使者』(1974)、『カム・テイスト・ザ・バンド』(1975)という3枚のアルバムに参加。ロック界のトップ・ヴォーカリストへと成長していく。

バンド解散後にホワイトスネイクを結成、『白蛇の紋章』(1987)で自らが世界のトップ・アーティストとなってからも、古巣ディープ・パープルを忘れることがなかった。「幸運な兵士」はホワイトスネイクのライヴでお馴染みのナンバーだったし、2004年のワールド・ツアーでは「紫の炎」「嵐の使者」をオープニング・ナンバーとして披露した。

2007年にはデヴィッドとジョン・ロード、グレン・ヒューズが集まり、第3期ディープ・パープルの再結成に向けての話し合いを持ったが、実現することがなかった。その後、ジョンが2012年に亡くなったことで、この計画は夢に終わってしまう。 だが、そのことはデヴィッドとリッチー・ブラックモアを再び結びつけることになった。彼らは連絡を取り合い、共演プロジェクトが実現寸前となる。このことで、デヴィッドの中のディープ・パープルへの情熱と敬意が再燃。名曲の数々にホワイトスネイクとして、新たな生命を吹き込むことになった。

「私はジョンとリッチーを、音楽における巨人と考えている。彼らからさまざまなことを学ぶことが出来たのは、かけがえのない経験だった」とデヴィッドは語っている。それから長い道のりを経てきた彼が、多大な影響を受けてきた偉大なる先輩たちへの感謝の念を込めて作り上げたのが、『ザ・パープル・アルバム』なのだ。 『ザ・パープル・アルバム』に収録されているのは、デヴィッドが在籍した第3期・第4期パープルの3枚のアルバムからの楽曲だ。「バーン」「嵐の使者」「幸運な兵士」「ミストゥリーテッド」などに加えて、「嵐の女」「レイ・ダウン・ステイ・ダウン」「ユー・フール・ノー・ワン」「カミン・ホーム」などのパープル・クラシックスが“スネイク・アップ”された形で蘇っている。

デヴィッドのみならず、それらのナンバーを演奏するメンバー達もディープ・パープルを聴いて育ち、尊敬してきた。元ナイト・レンジャーのジョエル・ホークストラがバンド加入後、初めてそのギターの腕前を見せつける。レブ・ビーチ(ギター)、トミー・アルドリッジ(ドラムス)、マイケル・デヴィン(ベース)ら実力派ミュージシャン達のプレイも熱気に満ちたものだ。 『スーパーロック’84+ジョン・ロード最終公演』はジョン・ロード、コージー・パウエル、メル・ギャレーという、去っていった友たちへのデヴィッドの想いを込めた作品だった。『ザ・パープル・アルバム』は彼にとって盟友であり師匠だったジョン・ロードとリッチー・ブラックモア、そして自らの“青春”に捧げるアルバムだ。 デヴィッドはこう語る。「リッチーに言ったんだ。“この旅路に送り出してくれたのは、君たちだよ”ってね。ディープ・パープル大学は、最高の学校だった。このアルバムは我々が生んできた音楽へのセレブレーションなんだ」

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