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80年代の終わり、イギリス、マンチェスター。ニュー・オーダーが地元の若者のためにと設営したクラブ、ハシエンダでは、シカゴ生まれの新しいタイプのダンス・ミュージック、ハウスが流行しており、新手のケミカル系ドラッグ、エクスタシーと併用することが一つのモードとされていた。その土壌から、ハウス・ミュージックから影響を受けたロック・バンドが大量に生まれた。この新しいディケイドを切り開いた大きな波、"マンチェスター・ムーヴメント"の立役者として現在でも語り継がれているのが、ストーン・ローゼズとハッピー・マンデーズである。

ハッピー・マンデーズは、84年マンチェスターで、ショーン・ライダー、弟のポール・ライダー、マーク・デイ、ゲイリー・ホェーラン、ポール・ディヴィス、マーク・ベリー(ベズ)の6人により結成された。87年、ファースト・アルバム『Squirrel And G-Man Twenty Four Hour Party Peolple Plastic Face Carry Smile (White Out)』を発表。ジョン・ケイルのプロデュースにより、決して巧みとはいえない彼らのサウンドは、ライヴ・フィーリングに溢れたフレッシュなマンチェスター・サウンドとして、広くイギリス国内に「ハシエンダ」の雰囲気を伝えた。そして89年、ジョイ・ディヴィジョンらを手がけた、マンチェスター・ミュージック・シーンのドン、マーティン・ハネットをプロデューサーに迎え、セカンド・アルバム『ならず者(Bummed)』を発表。ストーン・ローゼズのデビュー・アルバムも同年発表され、このたった2枚のアルバムが、マンチェスターでいったい何が起こっているかということを、全世界に知らしめた。彼らに続きインスパイラル・カーペッツ、シャーラタンズといったマンチェ産ロック・バンドのデビューが相次ぎ、"マンチェスター・ムーヴメント"は、アンダーグラウンドのものではなくこの時代のイギリスの大きな文化となった。それを証明するように、90年に発表されたサード・アルバム『ピルズ・ン・スリルズ・アンド・ベリーエイクス』は、全英チャート初登場2位をマーク、もちろんNo.1も獲得した。だがしかし、このアルバムはまたマンチェスター・ムーヴメントの終焉をも告げる役割も担ってしまった。"マンチェスター"からの脱却を狙い、あえてLAで録音されたこのアルバムからは、数多くのシングル・ヒットも生まれたが、91年にはブラーがデビューを飾り、次なる"ブリット・ポップ"への布石が脈々と敷かれ始めていた。91年にライヴ・アルバムを発表、92年に最後のアルバム『イエス、プリーズ』を発表するが、この頃にはショーンのドラッグ問題なども絡みメンバー同士の不和が伝えられ、最終的には解散。ハッピー・マンデーズの名前はこの時点で、墓標に刻まれることになると思われた。その後、ショーン・ライダーはベズを引き連れブラック・グレープを結成。プロデューサー兼ベーシストのダニー・セイバー(U2、デヴィッド・ボウイ等の仕事でも知られる)との見事なコラボレートにより、ブラック・グレープは現在までに2枚のアルバムをリリースしている。

そして1999年、ハッピー・マンデーズはシン・リジーの「The Boys Are Back In Town」のカヴァー・シングルを収録した『グレイテスト・ヒッツ』のリメイク、そしてFUJI ROCK FESTIVALを含むツアーとともに、華麗なる復活をとげた。

フジ・ロック2006では、サプライズ出演を果たしている。

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