──ラテン・パーカッショニストとして、世界的に名の知れているカルロスさんですが、そもそもの始まりは松岡直也グループで、次がオルケスタ・デ・ラ・ルスですね。
カルロス菅野(以下、カルロス):84年に東京に出てきて、松岡直也グループに入るんですけど、同時にデ・ラ・ルスも始まったんですよ。最初はコンガやってたんですが、いったん抜けて戻ってきたら、もうコンガがいるから、マラカスとかコーラスをやることになって。
──ラテン・パーカッションについては独学なんですね?
カルロス:完全独学ですね。いろんな人に教わったりもしましたけどね、チャンスがあれば。
──映像なんてなかったですものね。パーカッショニストのなんて。
カルロス:その頃、映像の人たちがニューヨークから入手したものをダビングさせてもらって。そういうのを見ながら“ああ、こうやってるのか”って。
──アメリカに行ったのは何年ですか?
カルロス:89年にメンバーの自費で一週間いって。向こうのエージェントがラテンクラブに7本くらいブッキングしてくれてて。当時いろんなサルサクラブがあったし、コロンビア人しか来ないクラブとか、そういう所に入るわけですよ。夜中の11時からステージが始まったりして。それを日常的にやってるうちにブレイクしちゃって。それで、中南米から世界中飛び回ってるみたいな。
──何カ国くらい?
カルロス:中南米はほとんど行きました。当時デ・ラ・ルスで、90年にアルバムがアメリカで出て、ビルボードのトップに上がっちゃって、95年で僕が辞めるまでの5年間、怒涛のように海外に行きましたね。年間でツアー自体が4ヶ月。ニューヨーク行ってイベンターと打ち合わせして、次のツアーのことを決めて。全部自分たちでやりました。当時日本のレコード業界も、向こうでツアーしてビジネスするっていうノウハウは全然なかったんです。向こうのエージェントとプロモーターとやりあって。それをやんなきゃいけなかったんで。
──デ・ラ・ルスが海外のジャズフェスティバルとかに出て受け入れられて。日本の評価のレヴェルと全然違うところで評価されましたね。向こうでデ・ラ・ルスがウケるというのは、最初から思っていたんですか?
カルロス:いや、最初はやはり東洋人だってことがものすごく強く作用したと思うんです。東洋人がヒスパニックのネイティブの音楽をやってるということが、とても彼らにとって嬉しかった。最初は色々言われましたよ“なんかどこか違うね”と。でも“違うけどいいね”と言われて。違うことが逆にプラスになればいいんだと分かりました。当時、ニューヨーク・サルサとか発生して、コロンビアのバンドとか色々出てきて、それぞれノリが違うんですよ。コロンビアのバンドなんてすごくカチカチで八分音符バシバシ。ストレートにいきっぱなし、みたいなバンドとか。そういう微妙な違いの範囲の中に、東洋という選択肢が入ったという。そのくらいのところまで最終的に近づけました。
──それは、本当にラテンミュージクを始めた人にとって、一つの達成点ですよ。デ・ラ・ルスの前に、そこにいった人はいないわけですからね。
カルロス:まだ僕らが憧れていた本当のコアなところとは違うって、自分では思ってますけどね。でもね、ピュアリストになっていくと、どんどんコアに行くことが目標達成の全てになってしまう。でもデ・ラ・ルスで向こうに行って経験したのは、そうじゃないんだと。例えば、ジャズがスタートした頃から、今のジャズを考えると、全く違うノリの方法論も全部オッケーじゃないですか。それを受け入れるだけの懐が向こうにはある。だから、熱帯JAZZ楽団を作ろうと思った時に、ピュアリストにはなりたくなかった。そんなものには意味がない。各自が、自分のベースを固めるために究めればいいんだけど、音楽を全体として魅力的なものにまとめていくにはそれだけじゃないと。
──熱帯JAZZ楽団のメンバーはすごい人たちばかりですね。
カルロス:この人だったら最高だという連中にみんな声をかけました。コンセプトは僕が立てるからって言って、選曲とかコンセプトに徹して、アレンジは他の人に任せて、
という格好でスタートしたんです。
──世代的には一回り下の人達が多いですよね。そういう人たちを探すのはどうやったんですか?
カルロス:デ・ラ・ルスにホーンセクションがありましたから、そこにいたメンバーのうち中心メンバーは一緒にやりたかったんで、トランペットの佐々木史郎と、トロンボーンの中路英明と青木タイセイには頼もうと思ってました。サックスは藤陵とか昔から一緒にやってましたから、そういう自分のネットワークも含めて声かけたら、やっぱりその年代で集まってくるんですよね。その中から僕が選ぶにあたっての基準は、セクションは苦手だけどソロはすごく上手いとか、そういうバランス悪いって言われる人がいいなと。だから、熱帯JAZZ楽団のブラスセクションは苦労してるところがいっぱいある。本当のセクショニストなら、もっとセクションをバシッと決められてると思いつつ、“でも、こういう人がいて欲しいんだ僕は”っていう人にもお願いしてる。でも、そういうことが、独特の緊張感を生んでますね。だから、ジャズ・スペシャリストじゃない人いっぱいいますよ。そういう一色じゃないことが面白みがあるんじゃないかなと。
──ソリストを集団にしているからこういう明るさが出るんじゃないかなと思いますね。集団に溶け込まない人もいたりして。
カルロス:うん。全体的に完成しないでいたいんです。インストルメンタルの世界って細かく完成形を目指しがちなんですが、そうすると、エネルギーがどんどんなくなっちゃうんですよね。ビッグバンドの大事さって、全員の感性が素材に向かってぶつかって行って、そこにズレはあるんだけど、トータルとして気持ちいいっていうことだと思うんです。それを事細かに直してピッタリに合わせたから面白いものできるかっていうと、そうじゃないんですよね。