DNAに触接する、モーニング娘。の“技”

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日本人は農耕民族であり、横一列に並んで水稲の苗を植え込んでいったり、掛け声を掛けながら鋤や鍬を振り上げてきた、というのが半ば定説になっている。

最近はこれに真っ向から反発する説も出たりしてはいるが、運動会の組み体操を引き合いに出すまでもなく、僕らのDNAに“集団演技”に反応する何かがある程度強く組み込まれ、人生の中でそれを培養する場面がいくつもあることは否定できないであろう。

「モーニング娘。のコンサートには演奏者が一切いない」という知人の一言が、僕に通常には起きえない興味を抱かせてくれた。自分自身、40年に渡るライヴ・ウォッチャーの歴史で、演奏者が一人もいないコンサートは、小学校の時に親戚のお兄さんと行った桜田淳子のステージぐらいなものだからだ。

シーケンスの普及した現代にあって、“疑似プレーヤー”を作ることはそう難しいことではない。ゆえに、その存在を作らずにコンサートをするのはかなり潔いと思うし、“集団音楽演技”に大いなる自信を持っているとも受け取れる。

モーニング娘。のSPRING CONCERT TOUR 2000、最終日1日前にあたる日本武道館でのステージは、予想にたがわぬ“潔い全力投球”を感じさせるものだった。

「ハッピーサマーウェディング」からスタートした本編は、衣装の早替え、増員したメンバーを含む11人の“一歩前に出てのMC”を挟みながらテンポよく進んでいった。プレーヤーがステージ上にいないため、バックトラックが出るタイミングを計るのが難しいと思われるのだが、スタッフとの連携は乱れることなく“決めのポイント”をクリアしていく。

つんくがモーニング娘。に与えたコンセプトで“集団演技”に次いで優れたところは、“卒業”と“細胞分裂”であろう。卒業だとか終焉だとかの節目は老若男女を問わず日本人が大好きな事柄であるし、細胞分裂であるところの“ヴァージョン違い”…それは例えば新機軸のカントリー娘。であったり枝流プッチモニであったりは、コレクター的な気分を大いにくすぐるのだ。したがって、コンサート中盤は、カントリー娘。メロン記念日、中澤ゆうこ、タンポポ、プッチモニの順番でヴァージョン違いをきっちり披露していった。

本編ラストの「LOVEマシーン」で会場内の全ての照明を点灯させる演出、僕の記憶が正しければ、この演出に初めてトライしたのは'86年~'87年頃の全盛期のBOφWYであるが、こうした過去の演出のいいところをインプットしているのも、モーニング娘。のコンサートをTV画面以上のものにしている要因だと思う。

アンコールラストの「ダディドゥデドダディ」が終わった後、オーディエンスのほとんど(特に男子・男性)の顔がしあわせそうに上気しているのが(充分に予想されたこととはいえ)、やはり印象的だった。

●佐伯 明

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