20thスペシャルインタヴュー【part 1】~デビューとバンド活動~

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20thスペシャルインタヴュー【part 1】
~デビューとバンド活動~


■'80年(佐野本人がデビューした年)の日本の音楽シーンをどう捕らえていたか。

僕がレコーディング・アーティストとしてデビューしたのが1980年。その頃見ていた日本の音楽シーンの景色ということで言えば、当時ジャーナリストたちがよく使っていた言葉で言うと、ニューミュージック、それから歌謡曲、それからフォークソング。こうしたジャンルがヒットチャートを席巻していました。

それから自分がデビューする1980年、そうした音楽にはアーティストは飽き飽きしていたんだけれども、自分が作るような曲は、そのヒットチャートを見る限りは“あぁ、レコードをリリースしても誰も聴いてくれないだろうな”って、そういう気持ちが先にあって。レコーディング・アーティストとしてデビューするのはずいぶん消極的だったのを覚えています。

で、冗談みたいな話なんだけれども、現在のエピックレコードのあるA&Rが僕のところに来て、“君の音楽は必ず多くの人たちが聴くことになるだろうから、思い切って我が社と契約してくれ!”って言って(笑)。で、僕その頃は昼間働いてまして、二日間でカレーパン1個みたいな、そんな生活をしていてね。そのA&Rが、その夜とても豪華なお寿司をご馳走してくれて、思わずそれに釣られてね、“わかった。じゃあデビューするよ。レコード作るよ”。

それが最初の、デビューのきっかけだったかな。


■デビュー曲に「アンジェリーナ」を選んだ理由。

シングルの「アンジェリーナ」だけではなく、同時に1stアルバム『BACK TO THE STREET』の制作もしていました。

自分としてはどの曲をシングルカットされてもいいと思ってたんだけれども、当時のレコードメーカーのプロデューサーたちが“「アンジェリーナ」がいいだろう”っていうことであの曲がカットされたんです。

そのとき僕は、最初「アンジェリーナ」のサビの部分<今夜も愛を探して>っていうのを2回にしてたんです。でもシングルになるんだったらもう一押し必要かな? と思って。リフレインを3回にしたのを覚えてる。プロデューサーから、“これがシングル曲になるよ”って言われて、僕はそこを変えました。どってことないんだけど(笑) 、“もう一押し!”と思って。


■THE HEART LAND(ひとつ目のバンド)との出会い。

それまで僕はいくつもバンドを持っていたんだけども、しかしデビューしてから、完全にロッキンするバンド、ロックンロールバンドを従えての全国ツアーというのを思い描いてました。

ドラム、ベース、ギター、それから自分のサウンドを作るのであれば2人のキーボード。そこにサキソフォン、吹奏楽器ですね。それを加えた5、6人の構成の、それまで日本になかったバンド形態でツアーに出たい、そういう気持ちが強かった。

そのバンドの形態というのは、たとえば古くはデイヴ・クラーク・ファイヴ、あるいはヴァン・モリソン、あるいはその当時新しかったブルース・スプリングスティーンといったバンドが、ひとつのサキソフォン、吹奏楽器を入れたロックンロール・バンドを作っていて、とてもゴキゲンなサウンドを作っていた。

で、そうした構成のバンドって日本にはなかったんですね。たぶん、それをやるとみんな面白がってくれるんじゃないかと思って。それで、1人のサキソフォン、ダディ柴田を入れたツイン・キーボードの6人編成、THE HEART LANDを結成しました。これは高校時代から一緒にやってるベーシストもいれば、また、仲間の噂を聞いて、"すごいサックス・プレイヤーがいる"っていうので、僕の方からダディ柴田のところに行って"バンドに入らないか?"って誘いに行った。


■THE HEART LANDとHOBO KING BAND(ふたつ目のバンド)の違い。

両方とも素晴らしいバンドだよ。両方とも、僕の音楽を…正しい方向に導いてくれたバンドだと言える。

二つのバンドの違いということで言えば、THE HEART LANDが、どちらかと言うと次男坊たちの集まり(笑)。それに対して、HOBO KING BANDは長男たちの集まり。これがね、一番正しい言い方だろうと思う。

THE HEART LANDにおいては僕はお兄さん、長男の役割をしてた。HOBO KING BANDにおいては、みんなそれぞれあんまり、かまわない、みんな長男的役割ですから、みんなそれぞれがしっかりして、自分のやり方でちゃんとハンドリングしてる。そこが大きく違うかな。

HOBO KING BANDの中ではほんとに不思議なんだけど、いちバンドマンに戻れる。いちミュージシャンに戻れるって感じかなぁ。THE HEART LANDのときには、まぁ班長さんでいなきゃだめ(笑)。またみんなに対しての労働組合長でなきゃいけない、みたいなね。


■THE HEART LANDは佐野さんにとってどんなバンドだったのか。

THE HEART LANDにおいては、僕が出会ったのはメンバーみんなが20代の前半。そしてレコーディング、ライヴ、16年間活動をともにしてきたわけだから。その間一人二人と家族を持ちはじめ、そうした互いの成長を、時には楽屋の裏で、時にはレコーディング・スタジオで、僕たちは見学しあってきた。

それで、言ってみれば本当に"音楽兄弟"のような感じですね。そして互いにリスペクトがあるという点において、16年間一度も喧嘩はなかった。

みんな本当に仲良しだった。最後の最後まで仲良しだった。


■HOBO KING BANDとの出会い。

THE HEART LANDを解散して約2年間、僕はどうしていいかはっきり言ってわからなかった。つまり、一緒にずっとプレイをして、あちこちの街を廻ることができなくなってしまったわけですから。

そして、しかしクヨクヨしてもしょうがない、というところで始まったのが『FRUITS』というアルバムのレコーディング・セッション。

で、そこで僕はじめて、16年ではじめて、THE HEART LANDミュージシャン以外のミュージシャンと仕事をしたわけですね。もう本当になんて言うか…“お見合い”みたいな感じで(笑)、僕も本当にドキドキしながらね、最初のセッションに入ったんだけど。

で、その中で現在HOBO KING BANDのギタリスト佐橋、あるいはドクターkyon、あるいはベースの井上くんだよね。それぞれ、あいつはボ・ガンボスにいて、あいつはルースターズにいて、そういうバックグラウンドを僕は知っている。そしてそのバンドの音楽ももちろん僕は知ってる。で、彼らの力量を僕は知ってるので、レコードだって聴いているので、もちろんセッションに呼んだわけだよね。

そしたらね、その時点で不思議だったのは、たとえばkyonにしても佐橋にしても、僕の音楽をみんな知ってるんだよね。どこかで彼らはしっかり聴いててくれて、で、いわゆる佐野元春の音楽、あるいは佐野元春というものについて、僕以上に彼らはよく佐野元春を理解していた(笑)。だからすごくビックリした。

その彼らが演奏する「サムデイ」。僕はTHE HEART LAND以外のバンドが「サムデイ」を奏でられるはずはないと思っていたのに、HOBO KING BANDの、ちゃんと成立した「サムデイ」がそこにあった。そのことに僕はすごくビックリした記憶がありますね。

だからそうした意味で言うと、『FRUITS』レコーディング・セッションではじめて会ったにもかかわらず、実はもうずっと前から音楽を通じて会っていた仲間だったんだなぁということを知ったときに、"この彼らともう一度バンドを作ってみよう"と思ったんだね。

取材・文●佐伯明(00/11/23)


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