古巣に戻って有終の美を飾った、スマパン最後のライヴ

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古巣に戻って有終の美を飾った、スマパン最後のライヴ

 

Smashing Pumpkins
ファイナル・ライヴ
演奏曲リスト



Rocket

I Am One

Rhinoceros

“Shame”

“Porcelina Of The Vast Oceans”

The Everlasting Gaze

Bullet With Butterfly Wings

“Through The Eyes Of Ruby”

“Blissed And Gone”

“To Sheila”

“Mayonaise”

“I Of The Morning”

“Muzzle”

Standing Inside Your Love

Perfect

“This Time”

“Go”

“The Last Song”

“Last Instrumental”

“Age Of Innocence”

Thirty-Three

Tonight, Tonight

“Fuck You”

“Drown”

“Starla”

“If There is a God”

“Cash Car Star”

“Rock On / Heavy Metal Machine”

Today

アンコール 1
For Martha

“Born Under The Bad Sign”

アンコール 2
Cherub Rock

アンコール 3
“Ava Adore”(ショートヴァージョン)

Disarm

アンコール 4
1979

アンコール 5
“Silverfuck”

 

 

12月2日、Smashing Pumpkinsがバンドとして最後のライヴをシカゴのMetroで終えた。彼らの解散に対する反響は大きく、市はこの日を“Smashing Pumpkinsデー”と名付けてしまったほどだ。

シンガー/ソングライターのBilly Corganが、シカゴでバンドを始めた頃のことをLAUNCHに語ってくれた。 「'88年にバンドを始めたばかりの頃は、実際にステージに上がって演奏するってことは、とてつもなくスゴイことだったんだ。まるで、手の届かないゴールのように
James(Iha)のライヴを見に行ったのを覚えているよ。そのとき、彼はまだ別のバンドにいたんだけど、俺のギターを借りてたんだ。他の観客の中に交じって“俺のギターが俺より先にステージに上がってる”って呟いたのを覚えてる。変に聞こえるだろうけど、本当にがっかりしたんだ。自分はまだステージに上がれない、まだ、そこまで認められていないんだって

Smashing Pumpkinsのファイナルライヴはシカゴの北部、有名な野球場のWrigley Field近くにある、バンドが10年ほど前に初めてライヴを行なったMetroで行なわれた。バンドの初代マネージャーで、Corganの旧友であるJoe Shanahanがやっている収容人数1100人ほどのクラブだ。Shanahanは当日、Corganの父と義母、87歳の祖母など、メンバーの親類たちがちゃんと指定席にたどり着けるよう注意を払うのに忙しくしていた。彼はまた、海賊Tシャツ売りがファンに近づかないようにシカゴの警官を手配していた。そして公式グッズの店が、冷たい夜の空気の中、幸運にもこの日のチケットを手にしたファンが開場を待つClark Streetに設置された。

グッズの中で一番人気だったのは、Corganが頭を剃る前で、オリジナル・ベーシストのD'Arcy Wretzkyがいるころのバンドの写真が入ったTシャツだった。値段は20ドルで、世界中から集まったこの日のファンがチケットに支払った金額(ネットのダフ屋連中は1枚に1500ドル以上取っていた)を考えれば、比べものにならないほど安いといえる。チケットを入手できなかった500人以上のファンも最後のライヴとなるこの場所に集まっており、その中の1人は“人生において最も重要な瞬間”だと語った。Shanahanは彼らのために会場の外にスピーカーをセットし、外にいたファンもライブの半分ほどを耳にすることができた。

ウェルカム、ウェルカム、ウェルカム

Corganが会場を埋める熱烈なファン、家族、友人たち、そして押し寄せた取材陣と関係者に向かい、歓迎の言葉を述べた。

Smashing Pumpkinsの最期へようこそ

Corganは、まるでジンギスカンがディスコへ行くのに着ていきそうな、ガウンのようなシルバーの上着に黒の長袖のインナーとスカート、大きなコンバット・ブーツという姿で登場した。その左には、結成メンバーのギタリスト、James Ihaが袖にビーズやひも飾りの付いた深紅の目映い衣装をまとっている。そして右側にはゴージャスなベーシスト、Melissa Auf Der Maurが、胸元が大きく開き、前にスリットの入った薄いキラキラしたキャミソールドレスで立っている(Corganは後で、「今日この場にいない1人、D'Arcyにお礼を言いたいと思います。彼女が大好きです。本当に素晴らしい女性です」と長年ベースを務めた元メンバーへも敬意を表した)。タトゥーだらけのドラマー、Jimmy Chamberlinはヘロイン問題を経てバンドに復帰して以来、同じスタイルの短いブロンド・ヘアに普通の黒い袖なしTシャツという格好であった。

この日、会場にはFoo FightersのDave Grohl、NirvanaやPumpkinsのプロデューサー、Butch Vigなどの有名人の姿もあった。この夜はまるで、ロックコンサートというよりは、お別れパーティーかCorganを団長としたサーカスのようだった。37曲、4時間以上のステージは、『Gish』でのデビューから最近オンラインで無料配信された『Machina II』までのバンドの歴史を物語るものだ。前日に念入りに行なったリハーサルにもかかわらず、あるいはむしろそのせいで、数カ所にミスがあった。ある曲を始めたと思ったら突然止め、Corganが不満そうに口を開いた。

最後のライヴでさえ、うまくいかないんだからな

ステージにはゲストとして、ピアニストのMike Garson(彼はCorgan、Chamberlandと新バンドを組むという噂がある)、キーボードのChris Holmes、Frogs、Cheap TrickのRick Nielsen、一時、Chamberlinの代理を務めていたMatt Walkerが参加した。

用意されていた4回のアンコールのうちの1回目で、Corganは「クールで、ワイルドな俺の親父だ。どうしたことか、俺よりも髪の毛がある」と父親を紹介した。Corganの父はギターを弾き1曲演奏した後、使い古された言い方で次の曲を紹介し、歌った。

「俺と息子は時に意見が合わないこともあるが、お互いに同意してるのは、2人とも“Born Under a Bad Sign(不運な星の下に生まれた)”ってことさ」

Corganは、曲の合間に絶えず観客に語りかけていた。一度は「音楽は世の中のデタラメに打ち勝つ」と発言。その後には「おまえたち、投票に行かなかっただろう? おかげ様でGeorge Bushが大統領なっちまったよ」と一言。しかし、ほとんどの発言は、「俺たちがもっとガンバって良くなるように仕向けてくれた敵の奴ら、ありがとうよ」「俺たちに願望とそれを達する方法を与えてくれた神に感謝する」など、様々な事柄にいろいろな意味で感謝を述べるものだった。正真正銘のラストナンバー、“Silverfuck”はいくつものセクションで構成されたように演奏され、20分以上続いた。それはまるで、メンバーがこの曲、いや、このバンドを終わらせたくないと思っているかのようだった。最後にChamberlinがドラムスティックを投げると、驚くことにそのうちの1本はMetroの天井に突き刺さった。

神よ、Smashing Pumpkinsを安らかに眠らせたまえ

これが、Corganの最後の言葉だった。観客の“Thank You!”の合唱の渦の中、彼はステージ上で涙を流しながら立っていた。そして、会場を後にするファンの中には、やはり泣きながら立ち去る姿が見られた。

Deena Dasein, Darren Davis, Neal Weiss

 

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