おニャン子クラブや野猿を手がけた後藤次利がベーシストとして復活!

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何をいまさらと言われたって 今ベースが弾きたくてたまらない

トランザムで数々の名曲を残し、サディスティック・ミカ・バンドに小原礼の代わりにベーシストとして参加し、独自のチョッパー奏法(スラップベース)が“フラメンコスタイル”としてヨーロッパで大絶賛を浴びた後藤次利。その後サディスティックスで、フュージョンプレイヤーとして大活躍。ソロアルバムの多くで超絶テクニックのベーシストとして名を馳せ、数々の名演を残して、20世紀後半、後藤次利は作・編曲家の道を歩み始めた。最近では後者の実績で語られることの多い彼だが、2003年、遂にベースプレイヤーとして本格的な活動を始める。その露払いとなるのがソロアルバム『do not disturb』だ。今回は、ベースプレイヤーとしてのコダワリや今後の展望について、我がBARKSの今野多久郎と語り合ってもらった。

作・編曲のほかにミュージシャンとしての後藤次利のプレイを再び   
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 最新ソロアルバム
『do not disturb』
2002年9月24日発売
VITAERS-1
1.anyday prologue
2.do not disturb
3.you can!?
4.humanize
5.turn in
6.file
7. ...ever still
8.s.p.s.
9.the prophet
10.there
11.anyday epilogue
12.シック・パンク
後藤次利 これまでの足跡
おニャン子クラブ野猿の作・編曲者として名高い彼だが、ミュージシャンとしての活動暦は1971年にまでさかのぼる。この年にブレッド&バターに参加したのがミュージシャン人生の幕開け。その後、新六文銭トランザムを結成し、1975年にサディスティック・ミカ・バンドに参加。ここでのプレイがヨーロッパで絶賛を浴び、プレイヤーとしてのキャリアが本格化。1977年には高橋幸宏高中正義などとサディスティックスを結成。当時主流になりつつあったフュージョン・ミュージックの先駆になる。1979年に沢田研二の「TOKIO」でレコード大賞編曲賞を受賞することで作・編曲活動が活発になる。1978年のソロアルバム『ON BASS』を始め、1985年までに5枚のソロアルバムを発表した後は、おニャン子クラブの楽曲を一手に手がけ、 吉川晃司プロジェクト、そしてとんねるずの「がらがらへびがやってくる」がミリオンセラーに。1994年にはNTV系「NNN今日の出来事」のエンディングテーマ・サウンドプロデュース、1996年にはスキャットマン・ジョンの「SU・SU・SUPERキレイ」(カネボウCM)の作・編曲、1997年は石橋貴明工藤静香のユニット「LITTLE KISS」の「A.S.A.P」の作・編曲。そして1998年からは野猿の全シングル、アルバム、ツアーなど、サウンドプロデュース全般を手がける。2000年になってからは、サディスティックス復活、高中正義Power Live参加、クロスオーバー・ジャパンでの高中正義との競演など、プレイヤーとして活動を復活させており、2003年の今、18年ぶりとなるソロアルバム『do not disturb』を完成させた。
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