高品質J-POPムーブメントを駆け抜けたWANDS/「BEST OF BEST 1000」シリーズのPV・新曲・ライブ・チケット情報はBARKS音楽ニュース

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高品質J-POPムーブメントを駆け抜けたWANDS

ヴォーカル・スクール“ビーイング音楽振興会”の生徒で、アクセル・ローズをこよなく愛する少年、上杉昇とBADオーディションにギター・インストゥルメンタル作品で応募、既にミュージシャンとしての活動を始めていた柴崎浩、ラウドネスのサポート・メンバーで頭角を現していた大島康祐(当時の表記。現在は大島こうすけ)が結成したバンド、それがWANDSだった。

WANDSの結成は1991年9月、プロデューサー長戸大幸によりWANDSと命名された(タロット・カードの“幸福の杖”を表す)。

その3ヶ月後の12月4日、デビュー・シングル「寂しさは秋の色」でデビュー。この曲は、関西テレビ系で放映されていたドラマ「ホテルウーマン」の挿入歌としてO.A.され、ロング・ヒットを記録。WANDSのブレイクの始まりは、1992年7月1日にリリースした3rdシングル「もっと強く抱きしめたなら」。爽やかなポップ・ロックを表現し、第一期WANDSのスタイルが凝縮されたこの楽曲がきっかけとなり、WANDSはJ-POPシーンで脚光を浴びることになる。

ところが、その直後、音楽性の相違から大島が脱退、第一期WANDSは終了する。そして、大島、柴崎の共通の知人だった木村真也が加入。ここに上杉のロック指向をより大胆に取り入れた第二期WANDSが誕生する。

その年、中山美穂とのコラボレート作品「世界中の誰よりきっと」(参照:中山美穂「世界中の誰よりきっと PartII」試聴)で紅白歌合戦にも出場。そういった話題性も手伝って、1993年4月17日にリリースした2ndアルバム「時の扉」はミリオン・ヒットを記録。WANDSはミリオン・アーティストとして急速に成長していく。その後、「愛を語るより口づけをかわそう」「恋せよ乙女」と相次ぐリリースが軒並みNo.1ヒット。遂にWANDSは93年度のベストセリング・アーティストにまで上り詰める。

そして、1993年12月8日、WANDSにとっての初ライヴが、渋谷ON AIR EASTで行われた(これはビデオ・シューティングという形で行なわれ、その手応えを感じた彼らは、いよいよライヴバンドへと成長を遂げていく)。1994年4月には初のオフィシャル・ライヴを経験、ビッグ・アーティストとしての軌道に乗り、順風満帆であるかのように見えていた。だが、その時期、そんな世間的評価とは裏腹に、メンバーの中での音楽的葛藤は大きくなっていった。

1995年2月13日にリリースされたシングル「Secret Night ~It's My Treat~」には、それまでのWANDSのポップな感触とは異なる、荒々しさが前面に打ち出されていた。この時期、(特に上杉は)世界的傾向で広がるグランジ&オルタナティヴ・ムーブメントの洗礼を直に受けていた一人だった。4月24日にリリースされたアルバム『PIECE OF MY SOUL』は楽曲の殆どをメンバーが手掛け、ニルヴァーナ以降のオルタナティヴ・ロックの要素が大胆に取り入れられた作品となった。また、この時期、彼らにとっては2度目となる全国ツアーがスタート。

そういったツアーの影響もあってか、この頃から以前に比べて作品のリリース間隔は異様に長くなっていく。「Same Side」までに10カ月、続く「WORST CRIME ~About a rock star who was a swindler~」はなんと前作より1年2カ月ぶりとなるシングル。パブリック・イメージと、自らのアーティスト性のせめぎ合いの中で、次第にメンバーは疲弊し、結果、上杉、柴崎はWANDSを脱退(この時点でWANDSは解体したと見る向きも多い)。残された木村は、その後新メンバーに、和久二郎、杉元一生を加入させ、第三期WANDSをスタート。

1997年9月3日には久々のニュー・シングル「錆びついたマシンガンで今を撃ち抜こう」をリリース、往年のWANDSサウンドを取り戻すべく奮闘したが、4枚のシングルと1枚のアルバムを残した後、遂に2000年2月、WANDSは“解体”した。

その後、現在に至るまでWANDSのメンバー3人が(それはどの期にあっても)一堂に会することはない。
色褪せないメロディーとサウンド、そして歌声で90年代J-POPブームの先鞭をきったWANDS。その功績は今でも揺らぐ事なく、その評価は高まるばかりだ。

◆「BEST OF BEST 1000」シリーズ ダイジェスト映像
http://www.barks.jp/watch/?id=1000020789


[楽曲解説]

1. 時の扉

1993年2月26日リリースの4thシングル。前作「もっと強く抱きしめたなら」より、意図的に8ヶ月のブランクを置いてリリースされた、第二期WANDSの始まりを華々しく告げるロック・ナンバー。この曲を第二期WANDSでやりたいと言ったのは上杉本人(作曲は大島)。この楽曲に関しては何パターンものバージョンが作られ、ギター・リフも様々なパターンを制作、リズムアレンジも試行錯誤が繰り返され、結果的にダンサブルであり、ロックでもある両方の融合したトラックに落ち着いた。ここで確立したサウンドがWANDSサウンドの中枢となってゆく。第二期WANDSを象徴するミリオン・ヒット作。オリコン最高位1位。

2. 愛を語るより口づけをかわそう

1993年4月17日リリースの5thシングル。キャッチーなメロディー、歌詞、ビート、それらが三位一体となって作り出すJ-POPサウンド、この曲もまた全盛期のWANDSの魅力が凝縮された1曲。当時のWANDSは、アルバム『時の扉』がセールス200万枚を記録、その止まらぬ勢いがこの楽曲にはそのまま反映されて いる。90年代を代表する珠玉のJ-POPナンバー。このきらめきは現在でもその輝きを失ってはいない。オリコン初登場1位(4週連続)。

3. 世界中の誰よりきっと ~Album Version~

2ndアルバム『時の扉』に収録。もともとは、フジテレビ系ドラマ「誰かが彼女を愛してる」の主題歌として長戸が織田哲郎のストックから探してきた曲で、中山美穂とのコラボレートにより、1992年10月28日にリリースされ、オリコン1位を記録。その年の紅白歌合戦にも出場したWANDSにとっても思い入れの深いナンバー。力強いバッキングトラックの上に極上の耳馴染み良いメロディーが乗るこの曲、このサウンドこそ、ビーイング・サウンドの真骨頂だろう。J-POPの旨みを凝縮し、90年代を代表するヒット・ソングとして現在にも通用する名曲。

4. もっと強く抱きしめたなら

1992年7月1日リリースの3rdシングル。第1期WANDSのラスト・シングルである、と同時にWANDSのブレイクポイントともなった一作。作曲は、FIELD OF VIEWらに楽曲を提供してきた多々納好夫。アレンジは葉山たけし。発売当初はオリコン初登場47位とまずまずの出来。それが登場16週目にして初のTOP15を記録、その後、22週目でトップ10内にランクイン、28週目で遂にチャートNo.1(2週連続)になった奇跡的な1曲。WANDSにとっては、初のオリコンNo.1楽曲であり、初のミリオンセラーシングルだった。44週チャート・インするロングセラーともなり、まさに楽曲パワーを象徴するナンバーだ。

5. 世界が終るまでは…

1994年6月8日リリースの8thシングル。ポップ路線のWANDSの音楽性が徐々にハードに変化していくきっかけともなった作品。当時のグランジ・ブームの影響も見える作品だが、ダークなイメージのサウンドのわりに、今聞くとWANDSのもつポップな感触は厳然と存在し、上杉の書く歌詞が内向的な方向にシフトしていきながらなおかつ希望の光を放っているのは、やはりヒット・アーティストの成せる業か。ダイナミックなロック、かつJ-POPの輝きも失わないそのサウンドにはWANDSのWANDSたるマジックが宿っている。ひょっとしたら、それは上杉昇の声の成分が多分に影響していたのかも知れない。テレビ朝日系アニメ「スラムダンク」エンディングテーマ。オリコン最高位1位。

6. 恋せよ乙女

1993年7月7日リリースの6thシングル。WANDS大躍進、この年の7月にリリースされた今作は、「時の扉」のような楽曲で行こうという制作陣の意向により、作曲を大島が担当。WANDS流ダンス・ミュージックの頂点ともいえる作品となった。打ち込みビートでありながら肉声と生ディストーション・ギターとの融合で有機的なサウンドに仕上げているその手腕は素晴らしい。アレンジは葉山たけし。当然、大ヒットを記録。この年、WANDSは日本レコードセールス大賞を受賞する。オリコン最高位1位。

7. Secret Night ~It's My Treat~

1995年2月13日リリースの9thシングル。当時、グランジ系に大きくサウンド指向が傾いていくと物議を醸し出した内容のシングル曲だったが、時代を経て今聞くと、上杉の歌唱法はまるで2007年のメロコア・パンクブームを予見していたかのようだ。以前までのきらびやかなWANDSサウンドは、この曲では影を潜めているが、それこそ現代にも通用するこのサウンド手法は今こそ見直されても良いのではないだろうか。

もともとこの曲は、89年にリリースされたコンピレーション『PLAYERS POLE POSITION Vol.1』の1曲目に収録されていた楽曲。栗林誠一郎作詞・作曲名義で「It's My Treat」というタイトルだった。この曲を長戸が気に入り作品化。当時は上杉自身もそれまで“WANDS”が持っていたパブリック・イメージに対してのアンチテーゼとして、これらの作品をリリースしていたのかもしれないが、実際はその先進性が現代の最前線の売れ筋ロックにも通じるポップ感を持っていたというパラドックスは興味深い。今だからこそ納得できる貴重なナンバー。オリコン最高位1位。

8. Jumpin' Jack Boy

1993年11月17日リリースの7thシングル。初期の傑作「もっと強く抱きしめたなら」を彷彿させる解放感溢れるパワーポップ・ナンバー。力強いサウンドの中に少しづつアイロニカルな要素が入り込んできた歌詞、その葛藤とも憂いともとれる上杉昇独特の世界観は、だからこそWANDS信奉者を増やしていったのではないか。こういった作品を改めて聞き直すと、もしこのまま上杉がある種開き直ったクールな視線のままでWANDSを続けていたら、日本のJ-POPシーンももう少し面白くなったのではないか? と思うのは筆者だけだろうか。オリコン最高位2位。

9. WORST CRIME ~About a rock star who was a swindler~

1996年2月26日リリースの11thシングル。『PIECE OF MY SOUL』以降、試行錯誤を繰り返していた物がある意味完結した作品。作曲は柴崎浩。自虐的な歌詞世界、そして荒々しく繰り広げられるギター・サウンド。オルタナティヴとポップスのせめぎ合いが緊張感を生み、独特の世界を作り上げているこのサウンドこそ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズやレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンにも通じるミクスチャー系アーティストに対するJ-POPからの回答だ。しかし、このシングルリリースを最後に上杉と柴崎はWANDSを脱退、al.ni.coを結成する。第二期WANDSの最後を飾る壊滅的ナンバー。オリコン最高位9位。

10. Same Side

1995年12月4日リリースの10thシングル。前作シングル「Secret Night ~It's My Treat~」から実に約10ヶ月もの期間を経てリリースされた本作は、その間、4thアルバム『PIECE OF MY SOUL』の発表、2度目となる全国ツアー“LIVE JUNK#2「PIECE OF MY SOUL」”と活動はしていたものの、その頃のバンドの葛藤振りが偲ばれる。アコースティックで牧歌的な世界観の前半部のサウンドと、その後に続くオルタナ特有のディストーション・サウンドとの拮抗具合がまさにこの曲をして、シングル・アレルギーのごとき様相を呈している。WANDSのシングル曲の中では最もポップ性が薄い内省的作品だが、聴き手の心に何かを残す美しい作品でもある。作曲は上杉、柴崎の共作、編曲はWANDS、メンバー自作の初のシングル曲というのもある種アイロニカルだ。 オリコン最高位2位。

11. DON'T TRY SO HARD

1995年4月24日リリースの4thアルバム『PIECE OF MY SOUL』に収録。上杉昇作詞、柴崎浩作曲になる、ガット・ギターの音色も印象的な叙情的アコースティック・ナンバー。ともすればこの時期のWANDSは、グランジに影響を受け、激しく荒々しく変化していく姿ばかりがクローズアップされがちだが、これほど内省的で美しい作品をも作り得ていたのだ。後期の代表的楽曲であると共にライヴでも演奏されファンの間でも隠れたる名曲として名高い。ちなみにこの楽曲が収録されたアルバム『PIECE OF MY SOUL』は、オリコン初登場1位を記録。

文:斉田才
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