角田信朗、「CR花の慶次」テーマ曲「修羅の果てまでも/義風堂々」リリース特集

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角田信朗 戦国パチンコ最高峰シリーズ ニューギン「CR花の慶次」最新機「CR花の慶次~愛」 最新テーマ

原哲夫とのコラボレーションが再臨

インタヴュー

――角田さんは格闘家として認識していたので、歌を聴いて、なんて歌がうまいんだろうって、まず驚きました。今回の「修羅の果てまでも」と「義風堂々!!」でも角田さんらしさと曲に合わせた表現力で歌を聴かせてくれていますね。

角田信朗: この原作のマンガ『花の慶次』っていうのは戦国を舞台にした物語なんですね。僕は今の平和な時代に格闘技をやってることは、今の時代の戦人(いくさにん)だと思っているんですよ。刀で斬った張ったはしてこなかった代わりに、やるかやられるかっていう世界でやってきたのは間違いない。ボイストレーニングを受けたこともないし、歌い方の技術的なことは何も知らないから、僕は生き様(ざま)で歌っています。それが時にテクニック的なところを凌駕するのかもしれないですね。

――レコーディングは早いんですか?

角田: 正味三時間くらいですよ。時間かけて良いときもあるけど、いたずらに時間をかけることが全てとは限らないので。この業界って、時間をかけたことが“仕事した!”って感覚もあるけど、僕は一撃必殺で仕事を終えて、僕もスタッフの皆さんも、残った時間を有意義に使いましょう、と(笑)。それが僕のモットーです。

――そこは勝負の世界で生きている角田さんならではの感じですね。

角田: 僕の世界はやり直しが効かない世界ですから。ゴングが鳴れば、“1分12秒のところからもう一回お願いします”なんてできない。すべてそのときの一発、真剣勝負でやらなきゃいけない。僕は唄も演技も素人ですけど、音楽家や役者さんのようにテイク2、テイク3のある世界で生きてない。僕はテイク2が許されないんです。演技力で勝負しようとしても太刀打ちできないですけど、その真剣勝負の集中力が、ひょっとしたら演技力を越えて対抗できるかもしれないと。だから音楽やお芝居をやるときは、他流試合だと思って、そういう姿勢で臨んでるんです。だからこそ出せるリアリティってあるじゃないですか。格闘技の気合いで、技術じゃなく、生き様で歌ったらこうなりますっていうのはありますね。でも、ディレクターから指示を受ければミリ単位でも修正しますよ。これは感性の問題なので、なぜできるのかと言われたら説明するのは難しいですけど。

――この『花の慶次』は原哲夫さんのマンガですね。もともと角田さんは『北斗の拳』のファンとしても知られていますが。

角田: はい。『北斗の拳』は、僕が大学生の時に週刊少年ジャンプで連載が始まったんです。毎週楽しみにしていた。それで、子供の名前もユリアとケンシロウってつけたんですよ。その子供たちが原哲夫さんと偶然知り合いになって、僕に紹介してくれたんです。そこから原哲夫さんとの友達づきあいがスタートして、仕事として初めて関わったのがこの『花の慶次』。友情が最初にありきなんですよ。不思議な縁なんですよね。この物語には直江兼続が出て来るんですけど、そんなに有名でもない武将が大河ドラマで取り上げられることになって、“珍しいね”なんて言ってたんです。そうしたら、僕がその『天地人』に出ることになった。全部がリンクしてるんです。だから単純に仕事として割り切れない。まさに天の時、地の利、人の和が重なったからこそ成立したお仕事という風に思っているので。どんな仕事を優劣つけずに、平等にこなして行くのがプロですが、そこにプラスアルファの思い入れがありますよね。

――だからこそ、良い唄になっているわけですね。

角田: これに関わるようになって、『花の慶次』を改めて読み返してみると、これだけ泣けて、これだけ歴史に興味を持てて、主人公の生き方に共感できる作品もないなぁって。原哲夫さんにも熱く語ったんですけど、“俺は慶次郎と出会って、慶次郎みたいな生き方を残りの人生でしていきたい”って。でも本人には、“あれはマンガの中の話だから真似しちゃダメですよ”って、一応たしなめられるんです。でも出る杭は打たれるけど、出過ぎた杭はそのまま記念碑として残りますよと。そういう生き方もありだと思う。

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