去る5月19日に発売を迎えたLOUDNESSの最新作、『KING OF PAIN 因果応報』が強烈だ。しかも同時に、ファンの間でも議論を巻き起こしている。収録曲の大半がレギュラー・チューニングで演奏されているのみならず、いわゆるギター・ソロが排除されたあまりにも大胆な作風がとられているのだ。当然ながらそれは、当事者たちの意思や心情が色濃く反映された結果であり、そこには単純ではない意味がある。そこで僕は、このバンドの“今”を彼ら自身に語ってもらうべく、高崎晃(G)と二井原実(Vo)の両名について個別取材を敢行。それぞれを前編/後編と分けながら、全4回にわたってロング・インタビューをお届けすることにした。

◆高崎晃画像

この6月27日からは<CLASSIC LOUDNESS WORLD TOUR:LIGHTNING STRIKES 2010 IN JAPAN>も、いよいよ開幕。当然ながら話題の中心は最新作と同ツアーということになるのだが、久しぶりに再会した高崎の口からは最初に出てきたのは、「BARKSとかで書いてるの、見てます。2009年の<LOUD PARK>に出たときの記事も読ませてもらいましたよ。いいこと書いてくれてて、嬉しかった」という思いがけない言葉。当然のように会話はそこからスタートすることになった。

――正直、LOUDNESSは2009年の<LOUD PARK>におけるベスト・アクトのひとつだったと思います。とにかく気迫を感じさせられました。

高崎:そう言ってもらえると嬉しいですね。でも主催者側からは言われましたよ。「音がデカすぎるんちゃうか?」って(笑)。

――いや、爆音は大歓迎ですから(笑)。

高崎:すごく急な話やったからね。エース・フレーリーの出演がキャンセルになって、公演3日前くらいに話があって。元々<LOUD PARK>には出たかったし、結果的には良かったわけだけども。

――ええ。あの日のステージを観て以来、次のアルバム、つまり本作の完成が楽しみだったんです。実際、この『KING OF PAIN 因果応報』は期待通り“今のLOUDNESSにしか作れないもの”になっていると思うんですが、何よりも驚かされたのはソロ・パート然としたギター・ソロが皆無という事実。そういった発想になった理由というのは?

高崎:単純に一度、ギター・ソロを全部取っ払ってみたいなというのがあったんです。2009年、1980年代の楽曲を中心とした<CLASSIC LOUDNESS>ツアーというのを何回もやって、日々、ギター・ソロばっかり弾き倒してきて(笑)。

――その模様を収めたDVD、『CLASSIC LOUDNESS:LIVE 2009 JAPAN TOUR』もアルバムに先がけてリリースされていますよね?

高崎:うん。実際あの2枚組の約5時間の映像のなかでも、ギターだけのソロの場面が5箇所くらい出てくる(笑)。そこで思ったんですよ。「一回、ギター・ソロを排除してみたら、どんな感じになるんかな?」と。長いことやってきて、1枚くらいそういうのがあってもええんちゃうかなと思った。もはやLOUDNESSとしてのオリジナル曲だけでも、400曲くらいあるわけだから。時代的にはまた最近、テクニカルなものが見直されてるというか、ギター・ソロのあるような音楽がもてはやされるようになってきつつあるみたいだけど。MTVなんかを見てると、オリアンティみたいな人も出てきてるしね。だけど俺は、なんせ時代に逆行するのが好きなもんで(笑)。今までさんざん「ギター・ソロなんて時代遅れでダサい」と言われてた時代にずっと弾き続けてきた人間としては、こんなご時世だからこそ逆にそれを無くしてやろうかな、と(笑)。ま、そんな発想でしかないんですけどね。

――常に時流に逆らっていたい。ある意味、精神的には常にオルタナティヴだったということになるのかも。

高崎:ああ、うん。ある頃からそういう精神はずっとある。自分の基本的なところに。どっちかと言えば多数派よりも少数派でありたい。そういう部分が元々、性格的にあるんじゃないかな。

――「ギター・ソロ復権!」みたいな言葉さえ目にすることのある昨今ですけど、そこで「俺たちの時代が戻ってきた!」とはならなかったわけですね?

高崎:うん。そういう風潮になってきたからといって、「さあ、ギター・ソロをどうぞ」みたいな感じで出て行くのも嫌やったし(笑)。しかもLOUDNESSはそもそも、ギター・ソロばかりで成り立ってるバンドではないからね。それがないことでベースやらドラムやらに耳が行きやすくなるという効果も望めると思うし。実際、今回からドラマーが新しくなっていることもあるし、ここでアンパン(鈴木政行:Dr)のプレイを際立たせたいというのも意識のなかにあったから。

――いや、しかし、それにしても思い切った作風だと思うんですよ。

高崎:俺はまず、ロックというのは自由でないとアカンと思う。あんまり様式美とかも好きじゃないし、「ここにギター・ソロがあるべきだから弾く」みたいなのには抵抗があるというか。実際、こういう作品像でいきたいという話をしたとき、メンバーからは「ホンマに?」とか「マジで?」とか言われましたよ(笑)。当初はね、いわゆるフィルとかも一切無しにして、本当にリズム・ギターだけにしようかと思ってたんで。結果、必要に応じてフィル関係は弾きましたけど、「さあ、お待ち兼ねのソロです」みたいなのは敢えて止めました。いろんな取材とかでも「勇気の要る決断だったんじゃない?」みたいなことをよく訊かれるけど、俺としては「そんなことないで」という感じ(笑)。

――とはいえ、いわゆるギター・ソロが皆無であっても、やっぱりギターが耳を惹く。それはリフが強力だからだと思うんです。ただ単に「ソロを弾かない」のではなく、「リフにこだわりぬきたい」というのもあったんじゃないですか?

高崎:それはある。実際、タッピングだったりソロ・プレイだったりに注目されがちなところが常々あったけど、当然ながらソロを弾いてる時間よりも、リフを刻んできた時間のほうがずっと長いわけやし(笑)。自分の個性というのは、実はリフのなかにこそいちばんあると思う。リズム感だったりアタック感だったり、そういったものも反映されてくるわけで。

――実際、リフ無しで作るとなったら大変なことになりますもんね。ソロはともかく。

高崎:あ、それもいいかも(笑)。ずっとリード弾いてるというのも斬新やね。それがちゃんと曲になるかどうかわからんけど(笑)、すごく前衛的なものになるかもしれない。でも、とにかく肝はリフなんですよ。曲を想像しようとするとき、まず出てくるのはリフですからね。LED ZEPPELINにしろDEEP PURPLEにしろ、多分、曲はリフから作ってたと思う。その証拠に、たとえばヴォーカルのメロディラインとかはライヴになると平気で変わったりするじゃないですか。それでもその曲が同じ曲のままであると見なされるのは、リフが変わらないからだと思うんですよね。なかでもこういったヘヴィなロックにおいては、リフというのはいちばん大事な部分やと思うし、ヴォーカルのメロディなんかについては、その日の自分の調子次第で好きにやっていい部分もあると思うんです。調子が悪くて高いキーの声が出ない日に、スジ立てて無理矢理歌ってるのを聴かされるほうがよっぽどキツいこともあるし。だからロバート・プラントのやり方なんかは、すごく正しいと思う。

――リフという基地が揺るぎないからこそ、他のパートに“遊び”が許される。しかも大概の人たちは、楽曲自体をリフで認識している。それこそ誰かに「LOUDNESSのこの曲、知ってる?」と訊こうとするとき、僕らはリフを口ずさむわけで。

高崎:そうそう。赤ちゃんとか幼児とかでも、リフは口ずさみますよね? AC/DCの「Back In Black」を聴いたら、コドモでも「ザ、ザザザッ…」と歌うと思う(笑)。

――確かに。とはいえ、必要最小限のフィルは弾くにしてもソロは排除するという前提があったとき、そういった“縛り”が曲作りに影響するようなことはなかったんですか?

高崎:それはないですね。今も話したように、曲をイメージするときはリフからすべて始まるんで。確かに今までやったら、弾きたいフレーズがあった場合には、それに合わせたコード進行を途中に入れることとかも考えてはいたけども。今回はそういうことに執着せずに、もっとバンド全体のことを考えてアレンジしたというか。もっと広い世界観のものであってええんちゃうかな、と。

――今回、大半の楽曲がレギュラー・チューニングで作曲/演奏されていますよね? そこがまた今作の特徴的なところでもあるわけですが。

高崎:うん。大半はそうですね。全部ではないけども。

――たとえば『CLASSIC LOUDNESS』のツアーを経てきて、往年の楽曲をたくさん演奏してきたことが、レギュラー・チューニングの良さを見直す切っ掛けになったような部分もあるんでしょうか?

高崎:もちろんありますね、それは。実際、気持ち良かったんですよ。普段、ライヴでは3パターンぐらいのチューニングでギターを用意してるんですね。1音下げのものがあったり、レギュラーのものがあったり、2音下がった状態のものがあったり。でも2009年<CLASSIC LOUDNESS>のツアーでレギュラーばっかり弾いてたら、なんか「ギターを弾いてるなあ!」という実感がひしひしとあって(笑)。やっぱりレギュラーじゃないと味わえない気持ち良さというのがあるんですよね。弦の張りとか、アタック感とか。そこで、「ギター・ソロのないアルバムで、久々にレギュラーに戻すのもアリかな?」と感じたのは確かで。

――僕はそこで勝手に、今回のそうしたアプローチには、「チューニングを下げればヘヴィになる」的な安易な考え方に対する警鐘みたいな意味も含まれているんじゃないのかなと感じていたんですが。

高崎:そういう風潮があるんや(笑)? でも、その考え方は違うよね。実際、俺も、低音を活かすための弾き方みたいなものはだいぶ理解できてきたし、レギュラーでも全然、低音を豊かに響かせることはできる。絶対音感とかのない人の前でレギュラーで弾いたら、絶対、ドロップ・チューニングにしてるように勘違いされるはず。チューニングを下げれば下げるほど低音が生まれると思ったら大間違いで、実は力の入れ方とかが大事なんですよ。低音の作り方という意味では。余分な力が入り過ぎると、ギターに限らずドラムでもベースでも、必要以上に硬い音になってしまう。結局、どの楽器からもいろんな周波数の音が出てるわけだけど、それがいかに人に伝わるかというのは、自分がどの周波数帯を感じながら演奏してるかというところに左右されるわけです。自分がどのへんの音を感じながら弾いてるのかによって、聴く側への伝わり方は確実に変わってくるんで。

――LOUDNESSにはレギュラー・チューニングにこだわって欲しい。そんな願望を持っているファンも少なくないはずだと思うんです。

高崎:うん。ただ、俺自身は今もヘヴィな音というのは好きだし、ファンの間でさえあまり良く思われてない時代の作品のなかにも、好きなものはたくさんある(笑)。結局、LOUDNESSというブランド・イメージから外れた音になると、否定的になる人というのが出てくることになる。それはバンドに限った話じゃなく、クルマでもなんでもそうだと思うんです。ただ、そういう意味では、今回は「LOUDNESSというブランドのなかで、とても刺激的な1枚」というのを作れたんじゃないかと思ってるんですけどね。本当に自分勝手に好きなことだけをやるんだったら、ソロ・アルバムを作るなり、違う名前で出すなりすればいい。だけど…。

――この『KING OF PAIN 因果応報』では、「ブランド性を意識したなかでの自由さ」を謳歌できている。そういうことですね?

高崎:うん。しかもこのアルバムを作ったことによって、今後、これ以降のツアーとかも、ある意味、よりバランスのいいものになってくるんじゃないかと思うしね。

――なるほど。では、そのツアーの件も含めたより具体的な話は、次回の[後編]で。

文/撮影 増田勇一

6月26日(土)福岡・Zepp Fukuoka
7月1日(木)仙台・Zepp Sendai
7月3日(土)札幌・Zepp Sapporo
7月8日(木)広島・CLUB QUATTRO
7月10日(土)名古屋・Zepp Nagoya
7月11日(日)大阪・Zepp Osaka
7月30日(金)東京・Zepp Tokyo

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