<サマーソニック2011>でみせた、X JAPANを取り巻く激変の証

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思えば、YOSHIKIの闘争心にさらなる火をつけたのは、<ロラパルーザ 2010>での成功であったと思う。そして<サマーソニック2011>でみせた、これまでのX JAPANとは本質的に異なるライブを成し遂げるにいたる決定的なターニングポイントも、さかのぼればそこにある。

◆X JAPAN@<サマーソニック2011大阪>2011年8月13日(土)画像
◆X JAPAN@<サマーソニック2011東京>2011年8月14日(日)画像

それまでのYOSHIKIを追い詰めてきたのは、常に表裏に付きまとう自信と不安だった。ネガティブ・バッシングもファンからの熱きサポートも全てをひっくるめ、X JAPANが世間を騒がせてきたのは周知のとおりだ。X JAPANが通ると賞賛も野次も嵐のように飛び交い、騒がしくなる。ちょっとした発言にも世の中は過敏に反応し、結果派手なパフォーマンスに映るYOSHIKIの言動は多くの人の目を惹きつけてきた。ポジティブとネガティブが絡み合う強力なエネルギーが発生し、コントロール不可能な風が舞う。そんな嵐の中で、YOSHIKIはX JAPANを動かしてきた。

そんな折、YOSHIKIは<ロラパルーザ 2010>への出演を決めた。国内では頂点に達したものの「海外では何の実績もない新人アーティスト」と謙虚に笑った。失うものは何もないという破滅覚悟の行動だったかもしれないが、新曲の手応えやSUGIZOの正式加入、オーディエンスの熱きサポート…と、どでかいポテンシャルと果てしなき可能性が渦巻き、爆発せんばかりに内圧が高まっていたのもまぎれもなき事実だ。

▲<ロラパルーザ>(2010年8月8日)
自信と不安が渦巻く<ロラパルーザ 2010>で、X JAPANは大きな手応えを得た。ステージが終わるころにはオーディエンスは最初の3~4倍に膨れ上がっており、賞賛の拍手と歓声がX JAPANを包んだのだ。YOSHIKIは語ろうとしないが、<ロラパルーザ 2010>こそが、X JAPANにとって最大のアウェイの場だったはずだ。味方はどこにもいない。日本で名を馳せるバンドを品定めしてやろうという本場アメリカのフェス常連の目が光る中に飛び込み、大きな手応えを勝ち取ったYOSHIKIは、自信が不安を打ち砕いた喜びに打ち震えたことだろう。

その後のアメリカツアーやヨーロッパツアーは、初めての海外ツアーだったとはいえ、X JAPANを待ち望んでいた熱狂のオーディエンスが集結したものであったから、実はアウェイでも何でもなかった。いつものX JAPANのまま真正面からのパフォーマンスで大成功を手にするのは、描きやすいシンプルなシナリオだったはずだ。もちろん、それだけの熱きオーディエンスを世界中に増殖させてしまうバンド・パワーこそが絵には描けない奇跡なのだけど。

手応えと自信を<ロラパルーザ 2010>で得たX JAPANが、世界ツアーの経験を重ねさらなる実践力と成功のカギを手に入れるのは当然のことだったが、やはり想定外のハプニングは訪れる。その北米ツアーとヨーロッパツアーの間に、未曾有の震災が我々を襲ったのだ。日本にとってあまりに失うものは大きく悲しみは深いものとなったが、日本人の本質をあぶり出し、より強固な日本人魂を呼び起こしたことも忘れてはいけない事実のひとつだろう。

そんな折、海外で“JAPAN”の名を背負い孤軍奮闘するX JAPANの様子は、各メディアが、もちろんBARKSも逐一報道し続けた。K-POPに翻弄しスーパーセレブは海外アーティストの独壇場という日本国内の音楽シーンにあって、日本人として心血を注ぐ誉れ高き海外での真摯な姿勢は、打ちのめされた日本人に希望と光を与えたものではなかったか。初心に帰り生身で戦いを挑む日本のバンドに対し、強い仲間意識と同胞への思いが、このとき急速に育まれ始めたものと私は思う。ネガティブ・バッシングが影を潜め、多くの音楽ファンがX JAPANの歩みを純粋にリスペクトし始めた、極めて重要なターニングポイントがこのときだ。未曾有の災害と海外ツアーという交わらぬキーワードが見せた予測不能な化学反応は、X JAPANに「大きな変革期」をプレゼントしたといえる。

信じる道を突き進み妥協なき歩みを貫く姿を通し、X JAPANは遂に多くの日本人から多大なる支持を得た。海外ツアーから得たものは、意外にも日本オーディエンスからの評価だったのだ。そしてそれは、見事にサマソニで証明されることになった。「久しぶりに日本に帰ってきて、やっぱり日本はいいねぇ」とToshIが語ったが、以前のX JAPANであれば、北米ツアーよりもヨーロッパツアーよりも<サマソニ>の場は、<ロラパルーザ 2010>に続く激烈なアウェイ環境だった。しかし「大きな変革期」は、これまで最大のアウェイだった国内フェスの場を、いつのまにかホームへ変貌してくれていた。

その前登場していたマキシマム ザ ホルモン目当てのロックファンも、トリのレッチリのために会場に入った洋楽ファンも、皆が、X JAPANのライブを楽しみにしていた。「どんなもんだか見てやろう」という斜に構えた戦闘体制ではなく、初めてのX JAPANを存分に楽しみたいという、わくわくの笑顔に溢れているのだ。アリーナではあちらこちらで色んな声が聞こえていた。「やっぱYOSHIKIの存在感、スゲエな」「Xジャンプ、超楽しい」「ToshIの声、やべえ」…。「紅」の歌詞まではよく分からないものの、なんとなくのその場のノリで大きな声で歌い、両手をXに組んで歓声を上げる。X JAPANのライブの礼儀に沿いながら、マリンステージのオーディエンス達は、皆、満面の笑顔でX JAPANを楽しんでいるのだ。

こんなX JAPANのライブ、これまで一度たりとも観たことがない。そして極めつけは、屈託のない笑顔にあふれたオーディエンスによるXジャンプの応酬…これはもはや国民的バンドのライブ会場だ。

Xジャンプは、X JAPANのライブを全面で堪能する、バンドとオーディエンス間との最もシンプルな呼応だが、かつてこれまでのXジャンプには、X JAPANへの愛の契りを証とする儀礼のような意味を持っていたと思う。X JAPANの熱烈なファンがYOSHIKIが抱える苦悩と美学への執念を共に胸に分かち合う共有の場でもあり、X JAPANへの深い理解をバンドへ示し伝える客席からの最大のパフォーマンス(アンサー)でもあったからだ。だからこそファンにとっては何よりも大事で楽しく神聖なものでもあったし、ファン以外からは距離を置かれる象徴的な儀式にも映るものだった。

それが、X JAPANファン以外のオーディエンスが一斉に笑顔でXジャンプをキメ、最高に楽しんでいる。いつのまにかみんなX JAPANが好きなのだ。国民的バンドという表現が適切かどうかは分からないが、テリトリー外は全てアウェイだったX JAPANが、国民的アーティストとしてオーディエンスに受け入れられたエポックな日が、<サマーソニック2011>という2011年の夏の日だった。

挨拶代わりの一発目「JADE」が終わり、「会いたかったぜ、サマーソニック!」と一言の後、ToshIは叫んだ。

「お前ら最後まで気合入れていけよ!」

このセリフがド頭から登場するところに、X JAPANのコンディションとポテンシャルが尋常じゃない高みにあることが伝わってくる。この脚色のない最もX JAPANらしいメッセージは、これまでも絶頂時を迎えるときにのみ叫ばれてきたものだ。続く「Rusty Nail」は、会場を埋め尽くした全てのオーディエンスの琴線を激しく鳴らし、会場に大合唱を誘い出した。サマソニファンが声を張り上げる「Rusty Nail」のサビのメロディーは会場に大きく響き渡り、不意を突かれた私は涙で前が見えなくなった。

text by BARKS編集長 烏丸
courtesy of SUMMER SONIC 2011

<SUMMER SONIC2011>
2011年8月15日@東京マリンステージ
Openinng SE
1.JADE
2.Rusty Nail
3.紅
4.ENDLESS RAIN
5.Born to be free
6.IV
7.X
Ending SE

<X JAPAN南米ツアー>
9月9日(金)Teatro Caupolican, Santiago, Chile
9月11日(日)VENUE, Sao Paulo, Brasil
9月14日(水)El Teatro, Buenos Aires, Argentina
9月16日(金)Scencia, Lima, Peru
9月18日(日)Circo Volador, Mexico City, Mexico

<X JAPANアジアツアー>
10月28日(金)韓国 ソウル(Olympic Park Gymnastics Stadium)
10月30日(日)中国 上海(Shanghai Grand Stage)
11月2日(水)中国 北京(Bejing Worker's Stadium)
11月4日(金)中国 香港(Asia World Expo)
11月6日(日)台湾 台北(TWTC Nangang Exhibition Hall)
11月8日(火)タイ バンコク(Impact Arena)

◆X JAPANオフィシャルサイト
◆YOSHIKIオフィシャルツイッター
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