ヴァージン・アメリカ/米エピック・レコード社長などを歴任した、海外で最も成功した日本人ミュージック・マン:カズ・ウツノミヤ氏にコンタクト、貴重なインタビューを得た。20年前ヴァージン出版時代に、まだ無名だったニルヴァーナと契約したカズウツノミヤ氏から放たれる貴重な発言の数々、知られざる事実が明らかとなるその一部始終を紹介しよう。カート・コバーンが信頼した男、カズ・ウツノミヤに映るニルヴァーナとは?

■印象最悪だったニルヴァーナのライヴ

ニルヴァーナのことを知ったのは、今、フー・ファイターズのマネージャーやってるジョン・シルヴァが、まだゴールド・マウンテン・エンターテインメントのアシスタントだった時のことです。ジョンとは、ちょうど僕達が(日本で)ヴァージン・レコードを始動させた時からの知り合いでね。それまで彼はベリンダ・カーライルとかを担当してたんですけど、彼がソニック・ユースと契約したんですね。その流れで、その周辺のバンドに業界の人間の注目が集まってる時でした。

当時、ゴールド・マウンテンにはスカウトのスーザンっていう女の子がいて、彼女が制作会議で「こういうおもしろいバンドがいるんだよ」って言ってきて。僕はその時ヴァージンで出版をやっていて、いろんなアーティストの楽曲の権利を取り扱っていたんですけど、ニルヴァーナの曲をおもしろいなと思ったので、「じゃ、観に行こうか」ってなったんです。当時のニルヴァーナはまだオリンピアにいて、いろんなレコード会社が興味を持って彼らを見てるという段階でした。

で、飛行場に着いたら、カートがガタガタの、ドアが壊れてるようなヴァンに乗って迎えに来てくれた。デイヴ・グロールはその時はまだいなくて、当時のドラマーと一緒でしたね。ヴァンの中では、カートといろいろ話しました。彼は、僕みたいな出版社の人間がレコード会社よりも前にニルヴァーナに興味を抱いたことに関心を持ったんじゃないかな。

僕はロンドンにいた時にはクラッシュを担当してたんだけど、カートはクラッシュの大ファンでね。最初はクラッシュの話ばっかしてたな。

長い間いろいろなアーティストを見てきたけど、アーティストってシャイな人が多いんですよ。カートもフレディ・マーキュリーとかジョー・ストラマーといった人達と似てて、凄くシャイでした。初めからなつくような人じゃないけど、一度打ち解けたらずーっと友達、みたいな感じでしたね。

で、その晩オリンピアのライヴハウスにニルヴァーナのライヴを見に行ったわけですけど、それがひどくてね(笑)。小屋が小さすぎたのか何か知らないけど、とにかく音が最悪で聴いてられない。早くここから出て行きたいと思ったぐらいでした。それでスーザンに「このバンドは、ちょっとないんじゃない?」って電話したことを覚えてます。

でも、その次の日にもう一度カートと話しに彼のアパートに行ったんですね。そしたらアコースティック・ギターで「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」とか、当時既に出来てた「オール・アポロジーズ」といった曲を僕の目の前で演奏してくれたんですよ。それ聴いたらすごくいいメロディで「こんなにいい曲だったのか!」と(笑)。ビートルズよりいいじゃん!って思いました。弾いてる時の、カートのおちゃめというか、ガキみたいな表情も忘れられないです。で、その日もまたコンサート見に行ったんですけど、やっぱり前の日と同じで最悪でした(笑)。いやぁ、どうしようかなぁ、と思ってね。

でも、オリンピアを発つ時にテープをもらって帰ったんです。それを帰りの飛行機の中で聴いたらやっぱり凄く良くて。ライヴとは大違いだったんですね。それで考えたわけ。演奏は巧くなる余地があるし、成長するために努力していくことはできる。だけど“いい曲を書ける”っていうのは努力の範疇じゃなくて才能だ。こんなにいい曲書ける人は凄いっていうんで、彼らが次にロスに来たタイミングで、作曲家として契約しました。その時はデイヴ・グロールはまだサブ・メンバーみたいな扱いだったね。カートとクリスが曲書いてたんで、彼らが中心でした。

■カートとの思い出

カートのことで凄く覚えてるのは、コートニーと彼らが恋愛関係真っ只中だった時にちょうど日本ツアーだったことです。1992年の2月のことですね。残念ながら最初で最後の来日公演になっちゃったけど…一緒にゲームしたりしてね。ライヴ会場のクラブチッタ川崎のすぐ近くにゲーセンがあったんですけど、彼、楽屋にいるのが嫌なもんだから、ずっとそこにいました。コートニーはその時、オーストラリアから日本に入って、カートと合流してからはずーっと一緒でしたね。

彼女とつきあって、カートはいい意味でも悪い意味でも変わったところがあった。良かったことは「イン・ユーテロ」を作る前にフランシスが生まれて、カートはそれを凄く喜んでね。娘ができたことで、彼は凄く人を大切にするようになった。

今でも覚えてるのはロサンゼルスのフォーシーズンズ・ホテルにカートが「イン・ユーテロ」のラフ・テープを持ってきたんですけど、その時に、嬉しそうに子供の話をしてたこと。子供ができたから、俺はいいロック・シンガ―になれそうだって。凄くいい顔してたなぁ。「イン・ユーテロ」って、確かに内容はヘヴィだけどメロディは優しいでしょ。曲を書いてる時はもしかしたら辛かったのかもしれないけど、作るのが楽しかったからあのアルバムは完成したんじゃないかな。僕はそう思います。

クイーンとの話も思い出すな。1992年のMTVアウォードにカートがフランシスとコートニーを伴って参加した時のことです。その時、ロジャー・テイラーとブライアン・メイがプレゼンターとして会場に来てて、僕はちょうど2人といたんです。で、ロジャーとブライアンが「ニルヴァーナが来てるんなら会いに行こう」って言うんで、僕がカートに「悪いんだけど、クイーンの2人に会ってくれるかな?」って訊いたら、カートは「実は今まで言わなかったけど、俺、クイーンの隠れ大ファンなんだよ」って(笑)。それで体育会系の先輩・後輩みたいに礼儀正しく挨拶してね。カートがクイーンの2人に一緒に写真撮ってくれ、サインしてくれって言ったんだけど、その時に、まるで駄菓子屋にいる子供みたいな顔をしてたのを覚えてる。この時のことがきっかけで、後にホール・オブ・フェイムでフー・ファイターズのデイヴがドラムを叩いたりもしたね。