ザ・ビートルズの元広報、ザ・ビートルズとエルヴィス・プレスリーの密会を語る

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1962~1968年の間、ザ・ビートルズのプレス・オフィサーを務めていたトニー・バロウが、1965年、ザ・ビートルズがエルヴィス・プレスリーの自宅を訪れた際の秘話をBBCに語った。彼らの一度きりの対面は、ぎこちない会話に始まりセッションへと発展していったという。

当初、ザ・ビートルズのメンバーはマスコミが関与することを嫌い、エルヴィス・プレスリーとの面会に積極的ではなかったそうだ。バロウはこう話している。「ジョージ(・ハリソン)がこう言ったのを覚えてる。“もしまた、これがダーティーででかい宣伝騒ぎになるんなら、忘れよう”って。彼らは、自分たちのロックンロール・アイドルには会いたがっていたが、リポーターやカメラマンの軍団に囲まれ騒がれるのは嫌がっていた」そのため、この貴重な会合は、撮影や録音をしない、事前に誰にも漏らさないというのが前提だったという。

ザ・ビートルズのメンバーは、1965年8月27日の夜、USAツアーの合間をぬってビバリーヒルズにあるプレスリーの邸宅を訪ねたそうだ。しかし、せっかくヒーローに会えたにも関わらず、最初は会話もぎこちなく沈黙が流れるなど盛り上がらなかったらしい。

「両チームが向き合って、変な沈黙が流れた。最初に口を開いたのはジョン(・レノン)だった。きまり悪そうに“最近はなんで映画のためにソフトなバラードばかりやってるんですか?古きよきロックンロールはどうしたんですか?”なんていう質問を次々と口にした」

それにプレスリーがどう答えたかは定かではないが、彼は始終物静かで、両者はなかなか打ち解けなかったという。そんな状況が一転したのが、プレスリーがギターを持ち出し、ザ・ビートルズのメンバーに手渡したときだった。

「この時点まで、パーティーは活気がなくエキサイティングとは言えなかった。でも、プレスリーとザ・ビートルズが一緒にプレイし始めた途端、雰囲気はガラッと変わった」「音楽は、彼らにとって自然な合流点だった。彼らにとって最も理解し合えるコミュニケーションの手段だった」「彼らがプレイした曲すべては覚えてないが、(ザ・ビートルズの)「I Feel Fine」があったのは覚えてる。リンゴは(ドラムがなかったため)手で木製の家具を叩いてた。みんな歌っていたよ」

バロウが言うように、このセッションが撮影/録音されていなかったのは残念だ。

パーティーは、プレスリーの側近、トム・パーカー“大佐”の「そろそろ終わりに」という一声でお開きに。彼は、ザ・ビートルズのメンバーにプレスリーのアルバムがたくさん詰まったプレゼントを贈ったという。

「リムジンに乗り込むとき、ジョンがヒトラーを真似て“Long live ze king”って叫んだのを覚えてる」

初期のころ、プレスリーから多大な影響を受けたザ・ビートルズ。現在、リバプールにあるザ・ビートルズの博物館Beatles Storyでは、Gracelandと提携し、ザ・ビートルズとプレスリーの関係にせまった展示会<ELVIS AND US>を開いている。

Ako Suzuki, London

◆BARKS洋楽チャンネル
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