【連載】中島卓偉の勝手に城マニア 第6回「松山城(四国愛媛県) 卓偉が行ったことある回数、7回」

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前回の高松城に続いて四国びいきでお送りしたいと思っている。愛媛県は松山城である。

松山城の天守は日本に残る、現存12天守の一つに数えられる歴史ある立派な建物である。ではまずその12天守を紹介していこう。先に言っておくがこれら以外の天守は昭和に入ってからの復元天守、そして城マニアが認めない復興天守、模擬天守であるため今から紹介する天守達が本当の戦国時代、江戸時代から残る建造物ということである。

青森県 弘前城(りんご美味い)
長野県 松本城(蕎麦美味い)
福井県 丸岡城(現存最古の天守)
滋賀県 彦根城(鮒寿司美味い)
愛知県 犬山城(ナイス城下町)
兵庫県 姫路城(世界遺産)
岡山県 備中松山城(2層の日本一小さな天守)
島根県 松江城(ラフカディオ・ハ~~~ン)
香川県 丸亀城(ナイス高石垣)
高知県 高知城(鰹美味い)
愛媛県 宇和島城(四国だが伊達藩であるぞ)
愛媛県 松山城(ポンジュース美味い)以上が現存12天守を持つ城である。

こう見ると四国に残ってる率が高い。素晴らしいことである。もちろん日本全国、廃藩置県が終わった後も取り壊されずたくさん天守は残っていた。

毎回のように書いていることだが戦時中のアメリカ軍による空襲で焼失してしまった。

その数といったらない。残念無念である。

さて、松山城に話を戻そう。
築城は1602年加藤嘉明であるが、いろいろ城主が変わり幕末までの約20年は松平家の城であった。1600年代、最初は5層の天守閣であったが、1600年代中頃何故か3層に天守を修復。今現存している松山城の天守は1800年代後半に建てられた3代目の天守となる。現存12天守の中では1番新しい天守となる。

どうやら度重なる落雷が原因でやむを得ず5層を3層にしたらしいがその3層の天守でさえ落雷で焼失してしまったという。そこから何十年と天守は再建されなかったが、めでたく天守が建てられ今に至るわけである。縦に伸びず横にどっしりとした印象を持つ松山城の天守であるが、確かに最初は5層の天守が建てられていて、その上に今の3層の天守を建てたわけで今の天守の有り様が頷ける。しかし加藤家時代に建てられていた5層の天守閣も気になる。今でもインパクトある松山城だがあれよりも天守がでかかったとなるとまた松山という街の印象も違っていただろう。

どこかに加藤時代の松山城の絵図などはないのだろうか?

天守は連立式天守と言って、天守の目の前に建っている小天守や四方の角に建つ櫓を多門で繋げたものを言う。これは姫路城も同じ造りである。真ん中に中庭が出来るのが特徴で、攻められてもどの方向からも敵をしとめる事が出来るというわけである。ちなみに本丸の天守一郭は全部入って見学出来るようになっており連立式の面白さを味わっていただけること請け合いだ。

私は何年か前に行った時、連立式天守内を見学中に家の鍵を落としたことに気付き、天守入り口から出口まで2度往復するはめに。結局てめえの靴の中に何故か鍵があり(あほです)係の人達に迷惑をかけてしまったが皆さん親身になって探してくれて本当にいい人達だった。皆さんも歴史ある建造物を見学するときは鍵や大切なものは危ないのでいっそのこと食べてしまおう。

たくさんの櫓や門が佇む松山城であるが、当時から残っているものはさほど多くはない。


ただ素晴らしいのは昭和の初期からコンクリート建築ではなく、ちゃんと木造建築で復元していったことである。それを続けて今の櫓と門の数になったわけである。おそらく今後も木造復元はなされて行くのだろう。

小学生の頃初めて来て、毎回来る度に復元が増えていてびっくりするがこれは松山城復元協会の方々のエンターテイメントだと思う。素晴らしいです。

そんな松山城にぴったりな中島卓偉のシングル「ユラリユララ」ああこれはもう松山城の天守から見える松山の街の景色ぴったり過ぎて鼻からポンジュース出るわ。カップリング曲が3曲も入って1500円。ああたまんねええええ~~~~~~!

個人的に松山城で一番好きでシャレオツな門がある。それは「隠門」である。隠れてるってだけでエロ過ぎだろ!
これは筒井門の横というか奥に(奥って聞くだけでエロ過ぎだろ!)造られている門なのだが、その名の通り筒井門からは見えない作りになっているのだ。(見えないけどそこにあるってだけでエロすぎだろ!)
奥にあって見えないが実は門がある。これは筒井門を敵が抜けて行く時、意表をついて後ろから回り攻撃することが出来るし、逃げることも可能である。もちろん門を一度くぐったら、

「なんや~!ここにも門があっとかいな~!全然見えんやないね~!」となるわけである。

このアイディア。最高。

初めて来た時からこの隠門が大好きな私は、必ずここで、まずは筒井門を普通にくぐり、

「なんや~!ここにも門があったとかいな~!全然見えんやないね~!」
もう一度ど筒井門を出て、今度は隠門をいちいちくぐるという最高に楽しくめんどくさいことをして本丸に行くのである。

めんどくさいことと言えば、松山城に登るにはロープウェイ、リフトなどがあるが城マニアはそんなもん使いません。本丸までの道程は4つあるが(4つだったと思うのですが)これまたどの道を登っても素敵なのである。よくぞあの山の高さまで石を運んだものである。

そもそも城マニアはそういうところにも感動しながら見学するのである。

城の麓にある二の丸と三の丸にも御殿や屋敷などたくさんの物が残っていたが明治初期に焼失している。昔は消防機能、設備なんてものはないので一度火が付くと飛び火してどんどん燃えてしまうのだ。これまた残念な話だが、資料館や博物館などにある当時の模型や平面図など見ればどれだけ建物の多い立派で大きな城だったかが垣間見れる。

歴史が濃い松山。夏目漱石の舞台としても素敵な街だ、道後温泉の観光も含め何度も行きたくなる街である。松山からの帰りはフェリーで山口県の柳井港に行く道が好きである。デビューしてすぐのツアー中に夜中の便でこのフェリーで瀬戸内海を渡った時、スタッフはみんなめちゃくちゃ星が綺麗だと感動していたのだが俺だけは星が良く見えなかった。眼鏡を借りて見たら凄い星の数だった。その時私は、

「そうだ!京都に行こう!」じゃなくて「そうだ!コンタクトにしよう!」

と、そういえば思ったことを思い出した。

ここ最近、マネージャーと移動中のタクシーの中で、可愛い女の子を見掛けると、「あ!あの子可愛いですよね?」と得意げに言うとマネージャーに「卓偉がいいって言う女、あんまり可愛くないんだけど…」と良く言われるようになってきたので

「そうだ!レーシックしよう!」と最近は思っている。

もうひとつ思い出したことと言えば、上京して間もない頃、まだ何もわからない俺は新聞配達のバイトから始めたのだが、そこの先輩に愛媛松山出身の非常に無口な人がいて、「愛媛って行ったら松山城とポンジュースっすよね?」と、とってもライトなこと言って気を使ってみたら

先輩「お前知ってるか?愛媛市民はな、家の蛇口ひねるとポンジュース出てくんだぞ。」
卓偉「え!?マジっすか!?」
先輩「嘘に決まってんだろ」
卓偉「え!?先輩嘘付くんすか?」

それから俺の東京生活は人間不信からスタートしたことは言うまでもない。

◆【連載】中島卓偉の勝手に城マニア・チャンネル
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