札幌在住の19歳5人組ロックバンドDrop'sが、3月6日に2ndミニアルバム『LOOKING FOR』をリリース。Drop'sは、高校入学と同時に軽音楽部で出会った5人で結成。今どきの10代であるにもかかわらず、ブルース、ロックンロールのスピリットを持ち、そのソウルフルなサウンドは多くの注目を集めている。彼女らが放つ待望の2ndミニアルバム『LOOKING FOR』は、ロック特有の初期衝動、ブルージーな芳香、そしてボーカルを一発録りしたというライヴ感を合わせ持つ衝撃作だ。ボーカル&ギターの中野ミホ、ベースの小田満美子の二人に、Drop's結成のいきさつや最新ミニアルバム、そして今後の展開について聞くインタビューをどうぞ。

■高校2年の京都への修学旅行のときに磔磔に行って
■いつかここでライヴしたいねって言ってました

──高校の軽音楽部で出会った5人組ということですが、みんな中学時代から楽器を?

中野ミホ(以下、中野):ひとりひとりはギターを弾いていたり、ピアノを弾いていたりはしていたんですが、ちゃんとバンドを組むのは、全員Drop'sが初めてで。私は小学校のときからエレクトーンを習っていて、そこで歌を歌ったりもしていたんです。ギターは中学のときに、アコースティックギターを弾いていた程度で。

──いわゆる弾き語り的なことですか?

中野:そうです。父が音楽好きだったので家にアコースティックギターがあったり、ビートルズが流れていたり。ただ、高校に入るまではそんなにちゃんとはやっていなかったから、誰かの前でギターを弾いて歌うっていうことはなかったですね。

小田満美子(以下、小田):私は中学1年までピアノを習っていたんですが、それまでは音楽自体にあまり興味を持っていなかったんです。でも、中学3年のときに初めてライヴを観に行ったんですよ、土屋アンナさんの。そこで、音楽とかバンドって楽しそうだなと思ったし、ベースがすごくカッコよくて。だからこのバンドでベースを始めました。

──この5人が集まったのはどういう経緯だったんですか?

中野:軽音部には、バンドを組んでないと入部できなかったみたいで。

小田:共通の友達を介して集まったみたいな。バンドがやりたいっていうだけで、特にこういう音楽をやろうって話をしたわけでもないんです。メンバーを探しているときにボーカルが見つからなくて。どうやら中野がボーカルをやりたいらしいよっていう話を聞いたんです。それで、「ちょっと歌ってみてよ」みたいなことを学校で話したら、中野がアカペラで歌ったのが、Superflyさんの「愛をこめて花束を」だった。そこからSuperflyのコピーをやろうかみたいな感じで始まった……んだと思います(笑)。

──Superflyは中野さんの中学時代のフェイバリットアーティストだったんですか?

小田:いや、みんなが知ってるかなみたいな感じだったよね。

中野:私はそのとき、The BirthdayとかTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTがすごく好きで。なんとなくブルースっぽいフィーリングの音楽がやりたかったんです。Superflyさんも、ロックンロールとかブルースっぽい曲があるじゃないですか。だからまず、それをバンドでやってみたんじゃないかな。

──中野さんのなかでは、いずれブルースやロックンロールをやりたいっていう明確な気持ちが最初からあったわけですね?

中野:そうですね(笑)。ただ最初は、私自身も女性ボーカルのほうが歌いやすいし、みんなでやったら楽しそうだなと。

──小田さんは初めてベースで弾いた曲がSuperflyになるわけですか?

小田:はい。今考えると、ちょっと難しかったかなと思うんですけど。ちゃんと弾いてたよね(笑)?

中野:うん、スコアを見ながらみんなで頑張った(笑)。Superflyさんの曲は結構やったよね、最初の1年くらいはずっと。それで、高校2年の夏に地元の小さなコンテストがあって、出場するためにバンドで初めてのオリジナル曲を作ったんですけど。

──それが1stミニアルバムに収録されている「泥んこベイビー」ですね。これは中野さんが好きなブルースの匂いを感じさせるナンバーですが、初のオリジナル曲はどのように作ったんですか?

小田:中野が弾き語りのカタチで原曲を作ってきて、それをみんなで仕上げていったんです。曲を作るっていうのは初めてのことだったんですけど、達成感はありましたね。

中野:みんなで作って全員で鳴らしたときに、私が思い描いていたものができたような気がして。みんなで“カッコいいじゃん!”って。

──結果、初のオリジナル曲を持って出場したコンテストで、見事グランプリを獲得したわけですよね。最初はオリジナルを作ろうということよりも、コンテストに出るためにオリジナル曲が必要だったということのほうが大きかったと思うんですが、自分たちの曲が認められたという手応えもあったでしょう?

中野:本当にそうですね。「泥んこベイビー」をきっかけにオリジナル曲を作っていくようになったし、方向もますますロックとかブルースになっていって。

──その間には音楽的なすり合わせもあったんですか? たとえば中野さんがそれとなくThe Birthdayの音源をみんなに聴かせて洗脳していくような(笑)。

中野:洗脳活動はありましたね(笑)。

小田:アルバムをドンッと貸してくれたみたいな。

──そうやってお互いの好きなCDを共有しながら、より深めていったということですよね。コンテストの1年後、高校3年生の夏に1stミニアルバム『Drop's』が発表されますが。

中野:コンテストの審査員の人が、すごくカッコいいって声をかけてくれて。「レコーディングをしてみない?」って言ってくれたんです。

小田:「高校生活の思い出に作ってみない?」みたいな感じで言われたんだよね(笑)。で、「じゃあ、作りたいです」みたいな感じになった。

──自分たちの音源が全国発売されることになるわけで。しかもTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTやThe BirthdayがリリースしていたこともあるTrippin' Elephant Recordsからリリースされるということについてはどう感じました?

中野:そのときはもう、どうしようと思って、信じられなかったですね。いまだにそういう気持ちもあるんですけど(笑)。でも今は頑張らなきゃって。

小田:ベースを始めてまだ1年ちょっとのことだったから、すごくビックリしました。

──確かにすごいスピードですよね。CDデビューを目指すしゃかりきさよりも、5人で音楽を作っていくことや、みんなでライヴすることに楽しさを感じていた高校生だったわけでしょう?

中野:ホントに今考えるとそうですね。

小田:そのときライヴは月2くらいのペースでやっていたんですが、オリジナルとコピーを両方入れてみたいな感じでしたし。

中野:だいたい30分くらいのステージをだましだまし(笑)。

小田:最初のレコーディングのときにはまだ全曲できてなかったもんね(笑)。曲を作ってライヴでやって、それをスタジオでレコーディングするっていう感じでした。

中野:3回くらいに分けてレコーディングしたんです。『Drop's』に入っている曲が、そのときのすべてで。レコーディングはもう何が何やらっていう感じ(笑)。

──リリース直後には、同じ北海道の爆弾ジョニーとカップリングツアーを行ったわけですが、初の全国ツアーはいかがでした?

中野:もちろん初めて行くところばっかりだったし、その土地土地で、「いいね」って言ってくれる人たちがいて、絶対もう一回来られるように頑張ろうって、すごい思い出深いツアーでした。

小田:爆弾ジョニーと同じハイエースに10人ぐらいがバンッと乗って。夜中に移動するとかも初めてのことだったから楽しかった(笑)。

中野:フェリーに乗ったりもしてね(笑)。

──修学旅行みたいですね(笑)。

中野:ホントそうでした(笑)。高校2年の秋に修学旅行で京都へ行ったんですが、京都磔磔っていう有名なライヴハウスがあるじゃないですか。そのとき2人で一緒に行ってるんですよ、いつかここでライヴしたいねって。

小田:バンドとは関係ない同じ班の友達にも一緒に来てもらって(笑)。

──まだCDリリースの話がなかった頃のことですよね。そこからわずか1年足らずで実現させたわけですね、2人で誓った修学旅行の約束を。

中野:ホントにそんな感じで。うれしかった。

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