前回に引き続き豊臣秀吉の城を紹介したい。

神奈川県は小田原にある石垣山一夜城である。
秀吉が天下統一をする以前に建てた城であり、北条家を滅ぼす為に(降伏させる為に)威嚇の意味も込め、わずか88日間で建てた城である。
そんな城は日本はおろか、世界にも存在しないと断言しよう。

築城は1590年。
何故一夜城かと言えば、一晩で城を建てたという見せ方、言わば演出にある。
北条家の小田原攻めで苦戦を強いられた秀吉は長期戦に苛立ちを覚え、このままじゃいかん、何か他に手立てはないか?と考える。
北条家の小田原城は外堀の守りが固く、豊臣側はまったく攻め入ることが出来なかった。


しかも北条側は攻められてるにも拘わらず、城内と城下町では余裕ぶっこいて祭りなども平気で行っており、「そ~れ!それ!それ!お祭りだ~!」と、あまりにも連呼されたら誰でも腹立つわけであり、相当なめられた状態が続いていた。
そこをどうにか降伏まで持っていくのにこのまま戦を続けても勝ち目はないと判断した秀吉は考えた。

「そうだ!城を作ってしまおう!北条にわからないように城をこっそり建てて、完成したら一気に威嚇してやろう。しかも一晩で城を建てたように演出するのじゃ~~!!」

すさまじい発想力である。やはり天下統一をする人間は考えることが違う。スケールの違いを痛感する。

冒頭にも説明したが一夜城とは言え88日間で建てられたとされる。
当時の築城はどんなに早くても7~8年は歳月をかけていたので約3ヶ月間で建ててしまったことは異例である。めっちゃ急ピッチである。

それだけ早く建てたのなら作りも大味なのか?と思いきや、ちゃんと作られているから凄い。ちゃんと城になっている。
総石垣の城だったとされるが関東大震災でかなり崩れ落ちたようである。
天守台もあり、縄張りは本丸、二の丸、三の丸、出丸、南曲輪、井戸曲輪からになっており、攻め落とすにも困難な典型的な山城である。地震がなければ今も総石垣の城として評価も高かったんではないかと思う。
そもそも関東には石垣の城は珍しい。
世間にアイドルが多い事務所と思われてるアップフロントになんでか品のないうるさいロックを歌う中島卓偉が所属しているのと似ている。

今でこそ車で山の中腹まで行けるが、当時でもこの山に城を築くというのは本当に大変なことだったはずだ。
この城が建てられたことからこの山が石垣山と呼ばれるようになったことは明らかだろう。

残念ながらどんな建物だったかはデータがほとんど残っていない。
木を切らずに建てていたということは木よりも天守が低かったと考えられるの三層の天守ぐらいのものだったんじゃないか?と私は推測する。
五層の天守があったという言い伝えもあるがどうだろう。

秀吉は小田原城を見下ろせる静岡県側にあるこの山にこっそり着手、右手は太平洋、相模湾、左手には富士山、この石垣山一夜城は新幹線で小田原を通過する時に山自体はしっかり見える。
いつも新幹線で西方面に行く場合は私は必ず石垣山を凝視する。
スタッフとマネージャーと東京駅から乗り、さあ弁当でも食うかと世間話などをかましてるとすぐ小田原を通過するわけだが、その瞬間どんなにスタッフとマネージャーが今日のスケジュールの大切な話をして来ても、この石垣山が見えてる約10秒だけは中島卓偉、一切話など聞いていない。いや、むしろ聞こえない。

「き~おく~はすべて~途切れてしまえ~ だ~れのこえ~も届か~なくていい~」中島卓偉のMother skyは誰も知らない不朽の名作である。

で、小田原を通りすぎてから、「で?もう一回言ってくれる?」

そんな歴史最優先の私である。しかも毎回である。絶対にその10秒は誰にも邪魔されたくないのである。この山に農民をはじめ4万人を動員し、敢えて木は切らず作業して行き、89日目に秀吉の合図で切るべき木を一気に切り落とし、それを見た北条家は、「昨日までなかった場所に城が出来ているではないか~!?一夜で城が建っているなんて~!もう降伏~!」となった。マジな話である。

しかし秀吉という武将、粋だ。本当に粋な人だと思う、演出、発想、手段、すべてにセンスを感じる。さすが関西気質というか、秀吉は関西生まれの人ではないが(実は名古屋)秀吉の人柄が関西気質の元だと言っても過言ではない。一晩で城を建てられてしまっては勝ち目などないと北条家も思ったのだろう。それだけのことをやってしまう勢い、それは相当な恐ろしさだったのではないかと思う。人の努力も知らないで「いつまでも近い存在でいてほしいから売れないでください」と平気で言ってくるファンと同じくらい恐ろしい。ある瞬間、いつもただそこにあった山が、その山の木の山頂の部分だけが一気に切り落とされ、すると城が建っていたとイマジンしてほしい。考えられない。そんなことがあっていいのかというサプライズ。

勝つためにはそこまでしなくてはならないという秀吉の戦略。または単なる戦を続けて兵士や家来を疲れさせても意味がないというプライド、身体よりも頭使え、時間よりも金使え、という思いきった行動力。進化し続けようとする、変わり続けようとする、現状維持が一番PUNKじゃないと叫び続ける中島卓偉の精神力。すべてが素晴らしいと思う。北条家も思っただろう、そして歌っただろう「綺麗な城してたんだね~~知らなかったよ~」と。

これで北条家を降伏させ、この後秀吉は天下統一を実現する。

余談ではあるがこの城に当時秀吉側の味方に付いていた徳川家康も訪れており、まもなくの秀吉の天下統一を目前に太平洋側の曲輪から秀吉と家康は思いきり遠くに飛ばす立ちしょんをかましたという話が残っている。その場所は今の石垣山一夜城の登山口にある無料駐車場である。

私は初めて来た小学生の時に親父と兄貴と3人でもちろんここで同じように立ちしょんさせてもらった。朝方から見学に来たので誰もおらず、兄貴が「ここで同じように立ちしょんしたら天下統一出来るかもしれんから!」という一言でじゃあ俺も俺もとアホな親子3人だった。(ジェントルマンとよい子のみんなはまねしてはいけないゼ!)

伊達政宗もこの時期なかなか秀吉に降伏せず、秀吉から小田原攻めに呼び出しがかかっていたにも拘わらず、到着をジラしにジラし、結局北条側が降伏する寸前、もう戦も終わる頃にこの城に訪れている。政宗は秀吉に面会する時に白装束で出向いたというのは有名な話である。まだその時は城は完成してなかったようだ。いろんな歴史がこの城に残っているのだ。

戦国時代、日本の歴史が大きく動こうとしている時に建てられた城、一夜城。豊臣秀吉を語る上でもっとも重要な城なのである。夢がある。

◆【連載】中島卓偉の勝手に城マニア・チャンネル