【ライブレポート】東ベルリンDDR政権下、奇跡的なファンクを創ったギュンター・フィッシャー

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▲4ジャクソン(4Jackson)
ベルリンの壁があった1960年代から1989年にかけて、ドイツ民主共和国(Deutsche Demokratische Republik; DDR)政権は、アメリカやイギリスのポップ音楽の輸入を、基本的に規制していた。しかし、驚くべきことに1970年代初頭、スティーリー・ダンがデビューしたのとちょうど同じころに、スティーリー・ダンもぶっ飛ぶようなジャズ、ロック、ポップスを基調として独特なファンキーなロックを演奏していたミュージシャンが東ベルリンにいる。彼の名は、ギュンター・フィッシャー(Günther Fischer)。

◆ギュンター・フィッシャー画像

サックス奏者であり、キーボード奏者であり、作曲家であり、プロデューサーとして東ベルリンの国民的なアーティスト、マンフレット・クルーク(Manfred Krug)やウッシ・ブリュー二ング(Uschi Brüning)、フェロニカ・フィッシャー(Veronika Fischer)の1970年代の名盤を手がけている人物である。東ドイツのポピュラー音楽レコード会社、アミガ(AMIGA)からリリースされたこれらのアルバムは、1970年代初頭、共産主義政権下にあった、東ベルリンに奇跡的なファンク音楽が誕生していたことを伝える貴重なドキュメントである。

2013年5月18日(土)から5月20日(月)にかけて、かつてDDRの要人たちが暮らしていた街、パンコウの市民公園(Bürgerpark Pankow)にて、『ジャズ・イム・パルク(Jazz im Park)』と銘打たれたイベントが3日連続で行われた。緑いっぱいの長閑な公園のなか、屋外でビールを飲みながら、ドイツ料理を食べながらジャズを楽しむ。パンコウで毎年恒例のこのイベント初日の18日に、そのギュンター・フィッシャーがステージに登場した。

前座を勤めたのは、ジャクソン5ならぬ、4ジャクソン(4Jackson)という金管奏者3人と弦楽器奏者(バンジョー、ギター、ドブロ)からなる4人編成のバンドでマイケル・ジャクソンの「スリラー」や「ビート・イット」などのヒット曲を、ディキシー・ジャズ風に演奏する。公園で遊んでいるパンコウの子供たちが、音楽に合わせて舞台に恐る恐る近よっていって、恥ずかしがりながらダンスする風景が何とも牧歌的。ヨーロッパの昼下がりの公園の美しい光景。

夕闇せまる20:00、いよいよギュンター・フィッシャー・バンドが登場。メンバーは以下のとおり。

・ギュンター・フィッシャー(Sax, Kbd, Vo)
・ウォルフガング・シュナイダー(Wolfgang "Zicke" Schneider: D)
・リューディガー・クラウゼ(Rüdiger Krause: G, Vo)、
・トム・ゲッツェ(Tom Götze: B)
・デトレフ・ビールケ(Detlef Bielke: P)
・ローラ・フィッシャー(Laura Fischer: Vo, Kbd)

フィッシャーの約50年以上にわたる音楽活動のなかで培われたテクニックが、にじみ出ているような素晴らしいステージ。ギュンター・フィッシャーが手がけてきた数々のドイツ映画『Nightkill』などからのテーマ音楽、1970年代初頭の名盤、マンフレット・クルークのアルバム『Krug No.1』から「Frag mich, warum」や、『Krug No.2』から「Laß mich nicht gehn」「Sonntag」などが演奏される。ドラマーのシュナイダーはこれらのアルバムがリリースされたころからのバンドメンバーで、安定した堅牢なリズムと、自由奔放なスウィング感を音楽にもたらす。ギターのクラウゼの技術も素晴らしい。ローラ・フィッシャーは、ギュンター・フィッシャーの娘さんで、過去ウッシ・ブリューニングが歌ったギュンター・フィッシャー作曲ナンバーを、遜色なく熱唱する。

ギュンター・フィッシャーの音楽のなかでは、1970年代の洗練されたフィラデルフィア・ソウル、超カッコいいブルー・アイド・ソウルのようなグルーヴ感、ソフト・マシーンなどの良質のプログレッシブ・ロックやフランク・ザッパが持っている玩具箱をひっくり返して楽器と笑いながら遊んでいるような実験性、先進的なジャズ音楽や現代音楽が持っている、めくるめくように变化する楽曲構成が共存している。この、ギュンター・フィッシャーならではのグルーヴ感が、闇に包まれた、まだ春の夜の寒さが残るパンコウの市民公園に集った大勢の観客を、心の底から温めてくれたように思えた。

ギュンター・フィッシャーは一般的に、東ベルリンでジャズ・ミュージシャンと見なされているが、決してジャズという領域にとどまるアーティストではない。彼のオリジナル曲は、ロック、ポップ、ファンクなどのジャンルにまたがっている。何故、彼はジャズ・ミュージシャンと見なされるのだろうか? 公園にきている初老の夫婦に訊いてみると、「基本的にロックやファンク、ディスコとかはDDRに禁止されていたのだけど、ジャズだけは比較的自由に聴けたのよ」と答えてくれた。ライブの後、「1970年代の東ベルリンで、このようにファンキーな音楽を創ることは容易ではなかったと思うのですが?」とギュンター・フィッシャーに訊いてみると、「私は昔からクラッシックやジャズ音楽を勉強してきました。DDR政権下で世界のポップ音楽を聴くことは難しかったのですが、まあ、色々苦労して手に入れて聴いていたのですよ」と丁寧に答えてくれた。音楽は壁を軽々と超えられるものだ、ということを、実際にそれを体験して実践してきた人物から、聞くことができて幸せだった。

実際にお会いしてみて実感したが、ギュンター・フィッシャーはドイツのポピュラー音楽の歴史を語る上で、避けて通れない偉人だ。

写真:Nozomi Matsumoto & Masataka Koduka, Berlin
文:Masataka Koduka, Berlin

◆ギュンター・フィッシャー オフィシャルサイト
http://www.guenther-fischer.com/
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