【月刊BARKS 佐久間正英 前進し続ける音楽家の軌跡~ミュージシャン編 Vol.5】新たな冒険の時代~90年代から2000年代、そして未来へ

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【月刊BARKS 佐久間正英 前進し続ける音楽家の軌跡~ミュージシャン編 Vol.5】新たな冒険の時代~90年代から2000年代、そして未来へ

90年代以降の佐久間正英は、自身が参加したいくつかのバンドを軸に、ミュージシャンとしての活動に回帰した活動が増加。ケイト・ピアソンとYUKIのツイン・ヴォーカルを擁したNiNa、ビビアン・スーの歌を中心に錚々たるメンバーが集結したThe d.e.p.、あこがれの存在でもあった早川義夫とのユニット・Ces Chiens、そしてまったく新しいスタイルのロックバンド・unsuspected monogram。2012年に60歳を迎えた佐久間正英が今考えている、音楽の未来とは──?

構成・文●宮本英夫

●「The d.e.p.は、今までやったバンドの中で一番仲が良かった」●

──90年代以降の佐久間さんのバンド活動というと、NiNaとThe d.e.p.があり、継続的なユニットということでは早川義夫さんとのCes Chiensもあります。まずNiNaに関してはいかがですか?


▲NiNa
佐久間正英(以下、佐久間):プラスチックスの時代にB-52'sと仲が良かったもので、ケイトといつか一緒にやりたいとずっと思ってたんです。それで連絡したらOKが来て、ドラムのスティーヴン・ウルフはエンジニアのトム・デュラック経由で決まって、ベースのミック・カーンは僕が興味があったんで打診したらOKが来て、「これはすごいバンドができるぞ」と。その頃dog house studioでジュディマリのTAKUYAがROBOTSのレコーディングをしていた時に、YUKIちゃんが遊びに来ていて、ちょうどジュディマリがお休み期間だったから、「今度こういうバンドやるんだけど、YUKIちゃんもやる?」って半分冗談ぽく言ったら、YUKIちゃんもケイトにすごい興味があったみたいで、「やる!」と。それから曲を作り始めて、「Happy Tomorrow」ができた。レコーディングのドラムはそうる透で、ほかの楽器は全部僕一人でやってるんだけど、これはいい出来になりそうだということで、それからメンバーを呼んでアルバム作りに入ったんです。

──もともとアメリカのマーケットを考えて組んだバンドという話を聞きましたが、結局向こうでは出なかったんですね。

佐久間:そう。実はたいした問題じゃないのに、大人の世界の話に巻き込まれちゃった。でも日本でやったツアーはすごい手応えがあったし、このバンドだったらアメリカに持って行ってもできるなと思って、ケイトもすごくやる気があった。音楽的にはすごくいいバンドでしたね、NiNaは。ケイトとYUKIちゃんのツイン・ヴォーカルは見事でした。続けられなくて残念でしたけど。

──The d.e.p.はどうですか? これもすごいメンバーのバンドでしたが。


▲The d.e.p.
佐久間:The d.e.p.に関しては、最初はビビアン・スーのソロの話だったんですよ。ビビアンが台湾で出した作品が僕はすごく好きで、曲によってはジェーン・バーキンみたいな感じがあって、すごく良かった。そこで最初に会った時に「バンドやってみる?」と言ったら「やりたい!」ということで、それからメンバーを探すんだけど、まず屋敷豪太と一度やってみたいなと。それまで面識がなかったんだけど、いいに決まってると思っていたので。だったらギターは土屋昌巳かな、ベースはやっぱりミックかなと思って、声をかけたら速攻で全員OKが来た。そんなにうまくいくとは思ってなかったから、ラッキーでした。曲を一気に作って、ロンドンの豪太くんのスタジオで初めて全員集まったんだけど、メンバーの相性がいいというのかな、初日から打ち解けるのが異様に速かった。午後1時から始めて、7時前にはさっさと録れちゃう。みんなうまいから、誰一人間違ったことはやらない。それから「さぁ行こう」って、飲みに行ってみんなでどんちゃん騒ぎ(笑)。毎日どんちゃんのためにレコーディング(笑)。僕がいろんなバンドをやった中で、一番仲が良かったですね。これほど楽しいバンドはなかった。ずーっとやっていたかった。The d.e.p.は最高でしたね、バンドとして。ミックはいなくなっちゃったけど、未だにメンバーに会うと本当に仲良しです。


▲Ces Chiens
──早川さんとのユニットCes Chiensはどうですか。一人でも本当に強力な早川さんに対して、佐久間さんの立ち位置というのは?

佐久間:寄り添い続ける感じ。歌の呼吸、間、ひとつひとつがすべて大事ですね。完璧に合わせて弾くことはなかなかできないと思うんですが、いかに合わせられるか?に賭けてます。早川さんとやっている時は、ソロとかなんとかは自分にとってどうでも良くて、歌のバックの時にどう弾くかが大事で、真剣にやればやるほど演奏は自由になれる。たとえば曲によっては一音一音が全部決まっているものがあるんですね、自分の中で。それをやっていてもものすごく自由になれる。とても不思議な、ほかのバンドでは経験できない特殊なものがあります。

●「今の時代に必要なのは検索スキル。そして、本当に感動できるものを見つけること」●

──そしてもう一つ、2008年に結成されたunsuspected monogramというバンドが現在進行中です。これはどういうバンドですか?


▲unsuspected monogram
佐久間:一番のきっかけになったのは、その頃レディオヘッドをさいたまスーパーアリーナに観に行って、あらためて「こういうことをやっちゃっていいんだ」と思ったんです。僕が今まで仕事をしてきた日本のロックの構造というものは、商品化する音楽であり、わかりやすくて、極端なことをやったとしてもジュディマリが精一杯。でもレディオヘッドを観た時に「こういうことをやっても一般に受け入れられるんだ」ということをリアルに感じて、だったらもう自分も年をとったし、仕事は関係なく好きなことをやろうと。とにかくうまいメンツを集めて、自分の思う音楽をやろうと思ってメンバーを募集して。最初はフジファブリックの山内総一郎くんに声をかけて、若菜拓馬に声をかけて、それからオーディションで砂山というベースと星山というドラムを入れた。じゃあキーボードはどうしよう?と思って、ふと考えてみたら、僕の息子(佐久間音哉)がいた。演奏力はないけどセンスはすごく良かったんで、声をかけたら「やる」というんで入れて、それでメンバーが決まって始めたんですね。結局フジファブリックが忙しくなって、総くんができなくなっちゃったんだけど、最初のトリプル・ギターの時期はすごく面白かったですよ。みんな本当にうまいし、普通ではありえないサウンドだったから。

──『the mass』というアルバムを聴くと、プログレッシヴであり、ブルースぽくもあり、オルタナ的でもあり、非常に面白い音楽になってますね。


▲unsuspected monogram『the mass』
佐久間:ありえないものにはなってると思います。アルバム全部を5時間半ぐらいで録ったのかな。みんなうまいから一回でできるはずだし、ダビングするよりも一発録りの良さに賭けたいと思ったんだけど、案外間違えるものでね(笑)。ただレコードは記録という意味もあるし、記録としては面白いものができたと思います。録った順番に並んでるから、聴いていくうちに明らかに疲れていくのがわかる(笑)。そういうのもいいなぁと思います。

──unsuspected monogramはどういう層に届けたい音楽だと思っていますか?

佐久間:わかりやすく言っちゃえば、レディオヘッドを好んで聴くような人たち。レディオヘッドを聴くような人は、日本の音楽を聴いてないような気がするし、たぶん日本の音楽にはそういうものはないと思ってるのかな?と。そういう人たちに「日本でも聴けるものがありますよ」というものを提示したいですね。ただ、現実的に活動が難しいバンドなんですよ。全員が音楽を職業にしているから、リハーサルしようと思っても時間が合わないし、ライヴのオファーがあっても「ごめん!」ってあやまってばかりで(笑)。やりたいことはたくさんあるんですけど、問題はそこだけですね。

──長い目で待たせていただきます。

佐久間:そうですね。時間がかかるバンドなので(笑)。

──佐久間さん自身、ミュージシャンとしてこれからやりたいことは何がありますか?

佐久間:まだやってないことがいっぱいあるんです。ソロで言えば、『sane dream』の次に作ろうと思っていたのはテクノなんだけど、それは未だにできていなくて、それもやらないといけない。テクノといってもジャンルの話ではなく、その時のテクノロジーでないとできない音楽。それが僕にとってのテクノなので、それをずっとやろうとしつつ、まだできてない。できない理由のひとつは、言ってしまえば実験音楽のようなものにならざるをえないので、躊躇してるんですけど。最近また考えが変わったので、またやろうかなと思ってます。

──佐久間さんは常に刺激的なもの、新しいものを求める人だということを、お話を聞いていて本当に思うんですが。

佐久間:新しいものが好きなんでしょうね。明らかに。今、人生において一番目指したい音楽は、前に言った「手彫り職人が作る音楽」なんです。それは僕の生きてる間には無理だろうなと思いますけど。

──最後に、若いミュージシャンにかける言葉はありますか? 今がミュージシャンになるためにいい時代なのか、悪い時代なのかは別として。

佐久間:いや、どんな時でも悪い時代というのはないと思います。経済的なことは別ですけど、テクノロジーは必ず進んで行くものであって、それは幸いなことだと思いますよ。ただ情報が多い中で、埋没してしまう情報もあるので、「ググるスキル」がさらに必要かなとは思いますね。昔のようにアンテナを立てていないと情報がひっかからない時代ではなく、むしろアンテナを立てたら混乱するだけというところもあるので、大変だけど、アンテナを立てなきゃいけなかった時代からするとうらやましいですよ。今の時代に必要なのは検索スキルだと思います。勝手に入ってくるものではなく、自分から能動的に求めていかないと知識にはならない。あとは「どう感動していくか?」。感動を味わわないと、人はなかなか変われないですから。たぶん今は感動しにくい時代になっていると思うんですが、そこで本当に感動できるものを見つけることが大事になってくると思います。

今回で、<佐久間正英 前進し続ける音楽家の軌跡~ミュージシャン編>は終了する。次にお送りするのは<プロデューサー編>だ。70年代が終わる頃、ミュージシャンとして大きな転機を迎えていた佐久間正英の前に現れたのは、「プロデューサー」という新たな道だった。アメリカでのプラスチックスの成功のかたわらで、ロックやテクノ、アイドル・ポップから歌謡曲までを巻き込み、急速に変化しつつあった日本の音楽シーンに大きな魅力を感じた佐久間は、ミュージシャンとしての活動に区切りをつけ、先人のいない新たな冒険へと踏み出すことを決意する──。日本のポップス史上に輝かし功績を残した佐久間正英。プロデューサーとしての歩みをお届けするので、乞うご期待。

◆佐久間正英 オフィシャルサイト
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