【インタビュー】佐野元春、ロック・ドキュメンタリー映画『Film No Damage』のすべてを30年後の自身が語る

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幻のフィルムに収められた衝撃的なパフォーマンスが、30年の時を経て再び時代の扉を激しくノックする。1983年、佐野元春27歳の凄まじい熱と気迫に溢れたライヴ・ステージを中心にしたロック・ドキュメンタリー映画『Film No Damage』が、長い間の行方不明状態から数年前に救い出され、音も映像もリミックスとデジタル・リマスタリングを施した最高の音質と画質で蘇った。時代の空気を閉じ込めた奇跡のパフォーマンスは、いかにして成立したのか? そのすべてを、30年後の佐野元春自身の口から語ってもらおう。

■何か物事を変えてしまいたいと思った時に
■必要なのは理屈を吹き飛ばす過剰さだった

──30年前のフィルムの中の佐野元春を、現在の佐野元春は、どんなふうに見ましたか?

佐野元春(以下、佐野):タイムマシンに乗って、27歳の自分に会いに行く感じ。そういう不思議な感じがしましたね。

──ライヴ映像と舞台裏のドキュメントと、ほかにも様々なシーンがミックスされている映画ですが、最初はどんな構想から始まったんですか。

佐野:まず最初は、僕の初期のキャリアのライヴ・ステージの模様を映像で記録して、次の世代のファンたちに見てもらいたいというのが一つ。それはなぜかというと、自分も70年代にこうしたロック・ドキュメントを見て“いいな”と思ったものがあった。一つはビートルズの『レット・イット・ビー』、ザ・バンドの『ラスト・ワルツ』、それから『ウッドストック』。この三つのライヴ・ドキュメンタリーを見て、面白いなと思った。ステージを見るのもいいんだけど、そこにはあるプロットがあって、冷静にそのバンドの様子を見るのは楽しいものだという思いがあった。僕は1980年にデビューしましたけど、自分もそうやってのちのファンに楽しんでもらうためには、きちんとしたプロットを伴った、エンタテイメント性のあるライヴ・ドキュメントを作ってみたい。そう思ったのがきっかけですね。

──なるほど。

佐野:なので、このフィルム『Film No Damage』は、1983年の“Rock&Roll Night Tour”のライヴ・フッテージが中心としてありますが、そこにステージのメイキングがあったり、当時シングル・レコードのTVコマーシャルがあって、これも僕のプロデュースなんですが、その撮影の模様もある。それから、コメディ・シークエンスですよね。ジョンとヨーコの“ベッドイン”のパロディ(笑)。そうしたいくつかの違った要素で構成されたフィルムですね。当時こうしたプロットを持ったロック映画はなかったと思います。しかも自分でプロデュースして撮ったもので、レコード会社が主導したものじゃない。お金をかけてこんなフィルム作って、どう回収するんだ?って言われましたけど、今はしっかり回収できてるんじゃないか?と僕は思いますね(笑)。

──そうですね(笑)。確かに。

佐野:その後80年代中盤に、MTVがハプニングする。そこで、アナログ・フィルムの時代からデジタル・カメラの時代に入って行く。そのちょうど端境期の作品と言えますね。ビジネスマンたちが、ロックのドキュメンタリーを作るにはかなりのコストがかかると言った、それは当然です。なぜならこれは16ミリのフィルムで撮って、アナログの編集ですから、今であればデスクトップで5秒でできることを、1週間ぐらいかけてやりますから。編集も全部僕は立ち会いましたけど、約1か月間かかりましたね。だからこそ非常に愛着があるのと、日本にこうしたドキュメンタリーがなかったんで、自分の手で作ってみたいという気概もありました。

──監督を井手情児さんに依頼したのも、佐野さん自身ですか。

佐野:そう。当時ロック・ドキュメンタリーを撮れるキャメラマンは彼しかいなかった。ロックンロールを知ってるフィルムメイカーは、僕が知ってる限り彼しかいなかった。だから彼に依頼するしかなかったです。そして僕が意図を説明したらすぐにわかってくれて、“じゃあ撮ろう”と。

──各シーンのカットを、非常に大胆にやっていますよね。

佐野:のちのMTV世代は、ああした極端なカットイン、カットアウトはよく見受けられるので、珍しくなかったと思うけど、アナログ時代、しかもロック・ドキュメンタリーという様式が一般的でない当時に、あのカットイン、カットアウトはただめまぐるしく感じられた方もいるかもしれない。しかし新しい世代から見れば“面白いじゃないか”と感じた方もいるかもしれない。非常に大胆にやりました。

──ベッドインのシーンについて、もう少し詳しく教えてもらえますか。

佐野:あれは、インタビューというと大抵くだらない質問しか来ないし、それに答えている自分もめんどくせぇなみたいな気持ちが正直にあったので、それを揶揄するようなところがあったんですよね。申し訳ないけど。だってほら、BARKSだったらきちんとロック・ジャーナリズムというものが根底にあってのものだと思いますけど、80年代前半はロック・ジャーナリズムなんてなかったですから。あったのは芸能ジャーナリズム。ロック音楽なんていうのは芸能の一貫としかとらえられていない。僕の言ってることが全然伝わんない、めんどくさい。だからジョンとヨーコのパロディの中で、記者たちに馬鹿な質問をさせて、僕も適当に答えてるという、あれは一つの揶揄ですよね。それをやってみようということと、もう一つは、本当に人気も出てきたのにどうしてニューヨークに行っちゃうの?ということをいろんな方から問われて、ファンからも言われていたので、それに対する答えをあの中で言ってるんです。あの本音を言いたくて、このコメディ・シークエンスを作ったんですね。

──ライヴ・シーンの中ではなく、あそこで本音を言うというのが、佐野さんらしいなと。

佐野:あのコメディ・シークエンスは、ニューヨークの“SATURDAY NIGHT LIVE”、それからヨーロッパの“モンティパイソン”、そうしたコメディを自分は見てましたから、そういうものを自分で作ってみたくて、脚本、構成、出演をやってみたんです。当時はあんまり、見た人はピンとこなかったみたいですけど(笑)。ジョン・レノンに扮してるのが僕だということをわかってもらえなくて。でも今の世代だったら、そしてあの当時10代20代の人は今は40代50代だと思うんだけど、このフィルムを見たら、“ああ!”って思ってくれるかもしれないですね。


──そして、何といってもすさまじいのが、映画の中のライヴ・パフォーマンスです。ショーとして非常によく練られているというか、随所に決めのポーズがあったりして…。

佐野:演劇的な。

──そうですね。演劇的な要素をかなり意識してやられていたと思うんですが、あれはどういう意図でやっていたんですか。

佐野:それは国内の70年代アーティスト、要は僕より上の世代のアーティストのパフォーマンスに対する新しい世代からの回答です。僕は東京生まれ東京育ちなので、東京で行われるコンサートに中学生ぐらいから行っていた。まだ14歳か15歳の時に、渋谷のジァン・ジァンではっぴいえんどが出てるのを見ている。で、当時の70年代の国内ロックバンドの基本的なアティテュードは“達観”ですから。まずロングヘアー、みんなうつむいて、ただ楽器を弾いてる。ほとんどパッションが感じられない。もちろんそれはカッコいい、クールなアティテュードなんだけど、若い自分にとってはやっぱり物足りないんですね。何が足りないかと言うと、パッション。情熱が全然感じられない。もし上の世代のステージでのロック表現がこういうものだったら、“僕の世代ではこうだよ”というものを示したかったんですね。時代は変わったんだよ、と。全国の都市部を中心に、リベラルな意識を持った若い連中が台頭してきてる。僕もその中の一人。パンク、ニューウェーヴ、そうした新しい流れの中で、70年代アティテュードで、ロングヘアーでうつむいてガンガンやってるのもいいけど、僕らの世代はもっとパッションですよね。それがネガティヴであれポジティヴであれ、とにかくパッション。そうした世代の先頭でしたから。

──まさに、そうでした。

佐野:『Film No Damage』に収録されてる当時の僕のロック・パフォーマンスというのは、演劇的だし、何より過剰ですよね。何か物事を変えてしまいたいと思う時に、必要なのは過剰さで、理屈を吹き飛ばす過剰さが必要なんです。物事を変えようという時には。それがまさにイコール、ロックンロールだから。どうしてここまでシャウトするの? あの体の震え、なんであんなに細かくシェイキンしてるの? そういう過剰さが、初期の僕のステージには溢れていて、演劇的と言い換えてもいいし、ただの馬鹿な過剰と思ってくれてもいいんだけど。そこが面白いと僕は思いましたね。とにかく、何かを変えたがっていた時期なんです。

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