【月刊BARKS 佐久間正英 前進し続ける音楽家の軌跡~プロデューサー編 Vol.4】90年代のプロデュースその2~早川義夫、エレカシ、くるり

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【月刊BARKS 佐久間正英 前進し続ける音楽家の軌跡~プロデューサー編 Vol.4】90年代のプロデュースその2~早川義夫、エレカシ、くるり

時は1994年。青春期の佐久間正英に多大な影響を与えた早川義夫との運命的な出会いは、今に至る重要なターニング・ポイントの一つとなった。一方でエレファントカシマシ、くるりなど、強烈な個性を持つアーティストとの濃密な共同作業を経て、佐久間正英のプロデュース・ワークは円熟期へと入ってゆく。そのスタイルの確立の陰には、80年代半ばに起きた「ある経験」が大きく関わっていた──。

構成・文●宮本英夫

●サウンド的なことで言うと、僕が今までプロデュースした全作品の中で、くるりの「東京」は群を抜いてます●

──90年代の話を続けますが、今につながるという意味では、94年の早川義夫さんのプロデュースは、大きいんじゃないですか。


▲早川義夫と佐久間正英
佐久間正英(以下、佐久間):これは大きいですね。知り合いのディレクターに「今度早川さんをやるんですよ」と聞かされて、その時はもう作り終わったあとだったんで、「次は絶対やらせて」と。自分からプロデューサーを売り込んだのは、あれが最初で最後です。打ち合わせの前に緊張したのも初めて。震えるぐらいに緊張しました。再デビューしたことは知っていたんだけど、怖くてライヴに行けなかったんですよ。あまりに思い入れが強くて、ガッカリしちゃったらどうしよう? とか思って。でも再デビューして1枚目のやつを聴いたら、昔の歌とは全然違うんだけど、やっぱり本当にすごかった。ただ、早川さんはすごかったんだけど、僕はその作品全体の感じがあんまり好きじゃなくて、「歌とピアノだけでいいのに」と思ったんですよ。それもあって、「次は絶対やらせて」と言ったんですね。話は戻って、初めての打ち合わせでものすごく緊張した時のことですけど、早川さんに「どういうふうにしたいですか」と聞いたら、「売れたいです」と言ったんです。それを聞いて、「よし、やろう」と。

──その意味を、どういうふうに汲み取ったんですか。

佐久間:「売れたい」というのは、普通の意味で売れるものにはならないけど、普通の人が抵抗なく、身構えないで聴ける音楽にしていいんだなと思ったんですね。早川さんがまた歌いだした理由は何だろう? ということが、そのひとことで確かめられた。そこからずっと、長いお付き合いですね。20年近くになりますが、未だにすごいです。一緒にやってて。

──90年代にもう一つ、エレファントカシマシの話も聞きたいです。何作もプロデュースされてますね。


▲エレファントカシマシ「今宵の月のように」
佐久間:やりましたね。エレカシもちょうど、転機になる時期でした。エレカシも大変でしたよ、いろんな意味で。宮本くんはああいう人なんで、逆に大変ではないんです。ただバンドと歌い手の関係として、歌があそこまで強力で、それに対してその頃はまだバンドがちょっと弱かった。なおかつ、中学生ぐらいからずっと仲良しのメンバーで、仲良しなくせにひとことも口をきかないという関係も独特で(笑)。僕がその中に入っていかなきゃならないのが、難しいところでしたね。みんながもっと軽く口をきける感じだといいんだけど、宮本くん経由でないと誰も口をきかないんですよ。スライダースのハリーとはまた違って、スライダースの場合はハリーという会社の社長がいて、下受けの会社であるメンバーがいて、みたいな感じなんだけど、エレカシは元々友達だということもあるんだろうけど、そういう感じじゃないんですよ。うまく言えないけど。で、彼らは必ずスタジオに30分ぐらい早く来るんですけど、僕はいつもギリギリかちょっと遅れちゃうタイプなもので、スタジオに入っていくと、全員本を読んでいて、ひとことも口をきかない。で、「仲悪いの?」って聞くと、「そんなことないです」ってにこやかに答えるという(笑)。

──昔から、そうなんでしょうね(笑)。

佐久間:宮本くんは時々キレることがあるので、それがまた、スタジオ内に緊張感を呼ぶんですよ。幸い、僕に対してはないんだけど。

──特に印象的な作品は?

佐久間:曲で言うと、「今宵の月のように」はすごいなと思いました。宮本浩次は歌が本当にすごいですね。その場で聴いていられる自分が幸せというか、感動します。面白いのは、歌詞を間違えるケースがすごく多い。そうすると、そこで止めて、また歌いだすという録り方で、全部通して歌うということがあんまりない。力量的には、もちろん歌えるんですよ。でもなぜか歌詞を間違えるのは、彼にとって言葉というのは、実はどうでもいいんですね。彼自身がそう言ってたんだけど、「言葉なんかどうでもいい、言葉を歌ってるわけじゃない」と。だから歌ってる時に、どんどんエモーショナルになってくると、言葉から意識が外れちゃう。で、間違えるたびにだんだんイライラがつのってくるわけですよ(笑)。それがさらにテンションを高めて、もっとすごい歌になっていく。僕が経験したロックバンドの中で、テクニカルな意味も含めて、宮本浩次の歌のうまさはダントツですね。本当にうまい。ピッチとかリズムがうんぬんということではなく、たとえば「北島三郎の歌ってすごいよね」というような意味合いにおいて。もちろんヒムロックにしても、TERUにしても、歌はうまいしすごいけど、宮本浩次の力量はちょっと特殊ですね。宮本くんの子供の時の歌って、聴いたことあります?

──はい。「初めての僕です」ですね。めちゃくちゃうまいです。

佐久間:すごいですよね、あれ。しかもあの頃からべらんめぇ口調で(笑)。何なんだろう? と思っちゃいますよね。そんな天才とバンドの音的な関係において、どうやったらいいか? ということが一番大変でしたね。エレカシの場合は。

──90年代はほかにもたくさんありますが。くるりはどうですか。


▲くるり「東京」
佐久間:くるりは、最初に会った時には普通の学生バンドという感じだったんだけど、曲は飛び抜けてましたね。岸田くんもお茶目でかわいらしくて、でも実際歌いだすとものすごくて、音楽に対しては一切妥協しない。くるりも、あんなにすごくなるとは最初は思わなかったですね。「東京」という曲でスタートしたんですが、サウンド的なことで言うと、僕が今までプロデュースした全作品の中で、「東京」は群を抜いてます。今聴き返しても。何であんなにいいものができたんだろう? と思うぐらい、すごい作品だなと思います。あの時のメンバーの演奏が良かったのと、トム・デュラックがレコーディングとミックス・エンジニアをやってるんですが、トムのいい部分が丸々出たという感じですね。

──ここで一つ、確かめたいエピソードがあるんですよ。プロデューサーとして非常に多忙なある時期、音が聴こえすぎてノイローゼのような状態になったという話を聞いたんですが。

佐久間:それはですね、30代前半だから、84、5年かな。音楽を聴くのがイヤになるとか、そういうことではないんですが、街でかかっている音を全部耳で追ってしまうようになったんです。しかも譜面になって追ってしまうから、たとえば喫茶店で打ち合わせをしていると、話が全然耳に入らなくなっちゃう。最悪なのはジャズがかかっている時で、アドリブまで全部譜面にして追っちゃう(苦笑)。これはヤバイなと思って、たまにはクラシックを聴いてみようということで、NHKホールにN響を見に行ったんですよ。とてもいい席で、2階席最前列のど真ん中だったんですけどね。で、始まったら、今度はヴィオラのあの人のピッチが悪いとか、誰が遅れたとか、気になりだしちゃって、第一楽章が終わるところで逃げるように帰りました。

──職業病だとしても、それはかなり異常な状態ですよね。

佐久間:その当時、スタジオでストリングスの録音をしていて、僕はコントロール・ルームにいる。そうすると、セカンド・ヴァイオリンの人のピッチが悪いとか、わかっちゃうんですよ。マイクを通して僕はこっち側にいるから、わかるはずはないのに、それでもわかっちゃう。精神的に病んでたんでしょうね、きっと。これはもう潮時かなと真剣に考えました。そもそも、音楽を仕事としてやること自体に抵抗があったわけで、始めてからもずーっと「こんなことやってていいんだろうか」という気持ちがどこかにあって、それは今でもあるんです。「普通の仕事をしたい」という気持ちが実はあって、それはサラリーマンでも、魚屋さんでも、ガソリンスタンドの店員でもいいんですが、直接人の役に立つことをやりたいというのが、ずっとあるんですね。学生の頃にはガラス拭きのバイトをずっとやっていて、そういう仕事の充実の仕方も知っているので。労働の充実というのかな。でも音楽の仕事って、そういう種類の充実がないんですよ。そんなわけで、いつでも「やめたい」という気持ちがあるんだけど、自分がそんな状態だったから、その時は本当に潮時かなと思って、「何の仕事をやろうかな。タクシーの運転手はどうかな」とか。東京にずっと住んでるから、道には詳しいし(笑)。

──その状態から、どうやって抜け出したんですか。

佐久間:何の録音だったかは覚えてないですが、ある日スタジオで、ミックスのチェックをしていたんです。その前に、フリオ・イグレシアスとか、そのへんの音楽をなぜか家で聴いてた時期があって、そういうものだと、音を追うことなく普通に聴けたんですよ。それは同居してた人がいつもかけていたもので、それを聴いてる時は平気だったんです。「それはなぜだろうな」とずっと思っていて、その日スタジオのミックス・チェックで音を聴いていた時に、突然そういう聴き方ができたんですね。それを僕はあとで「素人耳」と名づけたんですけど、素人として、自分が音楽に関係ない人としての聴き方。で、「好きか嫌いか」だけを判断する。今までは「好きか嫌いか」だけを言ってもしょうがなかったわけで、「ここはこうで、こうだから、こうしなきゃいけない」と言わないといけない。でも、そこで気づいた「素人耳」の聴き方だと、何の楽器が鳴ってるかわかんないけど、それがいいと思えば「ああ、いいんじゃない」と言うし、良くなければ「何か好きじゃない」と言う。そうなって初めて、それまでの「プロの耳」に切り替えて、「じゃあ何がヘンだと思ったのか?」を分析する。

──なるほど。

佐久間:まずは「好きか嫌いか」「ぐっとくるかこないか」。そこだけでまず判断して「いいな」と思えばそれで良くて、それ以上重箱の隅を突くのは間違いだと。それまでは、「いいな」と思っても「何か落ち度があるんじゃないか?」とか思ってたんですよ。そういう聴き方が急にできるようになって、持ち直したんです。見事に。でもその弊害もあって、素人耳で聴くことにどんどん慣れていくと、今度は分析の能力が落ちていくんですよ。ふと気づいたら、鳴ってる音をパッと聴いても音が取れなくなっていた(笑)。ただ自分としては、あそこで音楽をやめて別の人生があったとしたら、まだ年齢的にも若かったし、どうなったかな? というのはすごい興味がありますね。そのほうが良かったかどうかはわからないけど、別の人生があったのかなと思うと、面白いですね。

次回は、いよいよ最終回となる「2000年代のプロデュース~未来の音楽家へのメッセージ」をお送りする。配信、ダウンロード、YouTube、ボカロ、DTM…劇的に変化し続ける音楽シーンは、もはやかつてと同じものではない。誰もが音楽を発信できる時代の中で、逆にその価値が低下してゆくことを直視しながら、それでも音楽を作り続けてゆく──。

佐久間正英は現在、脳腫瘍の手術後のリハビリに励んでいる。氏の回復を祈り、この連載を掲載させていただきます。

◆佐久間正英 オフィシャルサイト
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