祝・ソロデビュー30周年。「織田哲郎30周年インタビューPART3」は、稀代のヒットメイカー・織田哲郎の30年間に及ぶ激動のヒストリーを時系列に沿ってたどり直す試み、その後編だ。創作の原動力、ヒットを生む秘訣、プロデューサーとしての栄光と苦悩の日々、そして新しい時代の音楽家としての生き方など、日本のポップス史に偉大な足跡を残すシンガーソングライターが語る言葉は、率直で飾りなく、それゆえ非常にポジティヴなパワーあふれるもの。この「PART3」では90年代半ばから現在までの歩みを振り返ることで、音楽シーンの頂点を極めた男の内面の葛藤と、いかにして音楽家としての自己を取り戻したか?について、より深く探ってみることにしよう。

■相川七瀬は素人を連れてきちゃったという責任があるわけ
■とりあえず売れてくれて、すげぇホッとした

──いわゆるビーイング系大ヒット時代の次には、相川七瀬の大ブレイクがやってきます。ここで織田さんは、プロデューサーと作曲家の才能をフル稼動してますね。

織田哲郎(以下、織田):うん、そうですね。20代にいろんなプロデュースを請け負っていたものを、その後は請け負わないことにしてきたんだけど。でも自分とまったく適正の違うシンガーで、自分向けのものとはまったく違う曲を丸々プロデュースしてやってみたいという欲求は、またそこで沸いてきたわけです。あとはね、その頃世の中から望まれるものが、さわやかなものばっかりだったの。

──90年代半ばの世相ですよね。

織田:自分もZARDをやってたけど、それ以外にも元気で励ますような歌ばっかりで。“頑張れば夢はかなうよ”みたいな歌ばっかりなのが、ヒネたオレとしては何か居心地が悪かった(笑)。そういうヒネたオレみたいな若者に向けて何か作りたかったんですよ。ダークなものを。そういうものにも絶対に市場はあると思ったし、さわやかなものばかりが溢れてるからこそ“そうじゃないものを欲してる人もいるよね”と。そこでロックというもののイメージが人によっていろいろあると思うんだけど、オレにとってのロックというのは、たとえばTレックスだったり、ブロンディーとかもそうだけど、シングル・ヒットするようなタイプのロック。どこかにチープさがあるグラム・ロックみたいな、そういうものが一番好きなの。本格的だと言われるようなロックじゃなくて、オレにとっては“うさんくささ”がロックなわけ。

──ああ、はい。なるほど。

織田:そういううさんくささのあるロックを作りたい、という気持ちがふつふつと湧いてた時に、たまたまオーディションで会ったのが相川だった。これはいろんなところでよくする話だけど、アイドルのオーディションなのにずっと眉間に皺寄せてひとこともしゃべらずに、叫び倒して帰ったあいつは相当変だったのよ(笑)。もちろんほかの審査員は何の印もつけずに落ちたんだけど、オレの中ですごい印象的だった。そのオーディションはビーイングとソニーが主催だったから、“気になってる子が一人いるんだけど、やってみてもいい?”という話をして、どっちからもOKをもらったから、じゃあやってみようと。大阪まで会いに行って、最初は“やらない”って言われたんだけど、そこからいろいろあって、じゃあやってみようかということになって。でもね、作ってる時には本当にみんなに“これは売れない”って言われたんですよ。

──そうなんですか?

織田:本当にみんなに言われたな。だからオレは当然ビーイングで出すつもりだったんだけど、ビーイングが“出さない”って言うし、じゃあほかに持ってっていい?って聞いたら“好きにしていいよ”って言うから、エイベックスでやることになった。

──ああ、そういう経緯だったんですね。


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織田:その頃オレには自分の事務所があったけど、はたから見ると“ビーイングの織田哲郎”だったから、ちゃんと挨拶に行って一緒にやるつもりだったの。でもビーイングは何の興味もなくて“好きにしていいよ”って言うから、よっぽど売れないと思ったんだね。まぁみんな思ってたんだよ、相当言われたから。それでタイトルも「夢見る少女じゃいられない」っていうネガティブなものにして、当時明るいポップなジャケットが溢れてる中で、幽霊みたいなくらーい写真にして(笑)。写真選びもデザインも全部オレがやってたんだけど、ボロクソだったんだよね。自分でもいい度胸してたなって思うんだけど。

──それでも確信があった。

織田:うん。あったんでしょうね。でも今のオレだったら、あんなにみんなに売れねぇよって言われたら、揺らいじゃいそうだけどね(笑)。

──そして蓋をあけたら、特大ヒットですよ。

織田:アルバムはね。「夢見る少女じゃいられない」は、最初は全然注目されなかったの。それが確か“高校生が選ぶ注目曲”か何かに選ばれたところから、ほんとにリスナーサイドから人気が上がってきた。それでじわじわ来て、アルバムが売れたんですよ。

──『Red』は一気に200万枚以上をセールして、とんでもない騒ぎになりました。

織田:最初は50万ぐらい刷ってたんだけど、いきなり店から全部なくなっちゃった。それで焦って大増刷。あの時にはね、ホッとしたなオレ。だってほら、相川に関しては…それまでプロデュースするというのは、向こうもすでにプロとしてやってるというシチュエーションがあって、音楽を作ってくれと言われて請け負ってるだけだったけど、相川に関しては素人の段階で連れてきちゃったという、人生丸ごと責任があるわけですよ。お母ちゃんに挨拶するとか、そういうところから始めてるから(笑)。とりあえず売れてくれて、すげぇホッとしたな。

──ある意味本気で当てにいったというか、売れなきゃいけないと思ったシチュエーションですよね。

織田:そう。売れないわけにいかない。お母ちゃんに“よろしく頼みます”と言われてやってる状態は、オレにとってはあいつだけだから(笑)。ドキドキするな、今考えると。

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