【連載】中島卓偉の勝手に城マニア 第17回「丸亀城(香川県) 卓偉が行ったことある回数 3回」

ツイート


過去に高松城を紹介した時、業界にいる香川県出身方や香川に住む方々、そして中島卓偉の格好良過ぎてヤバいんじゃねえの?え?まだ聴いたことねえの?ニューアルバム『BEAT&LOOSE』のキャンペーンで香川県に訪れた時に言われた言葉であるが、

「あのね、卓偉さんね、高松城もそうなんですけどね、高松城を推す卓偉さんのこだわりもわかるんですけどね、我々香川県民からするとね、高松城よりもね、ぶっちゃけ丸亀城なんですよね、なので城マニアでいつか丸亀城を紹介してほしいなあ」

違う!違う!そうじゃ!そうじゃな~い!
そりゃね、いつかね、丸亀城も紹介しようと思ってましたよ。
でもですね、ここで歴史の順番を伝えておくと生駒親正が最初に本城として建てたのが高松城、支城として次に建てたのが丸亀城なわけです。
そうなの!そういう順番なの!マーチンさんもびっくり!マーチンと言ってもドクターのほうね、そうそう!PUNKS御用達のね、
あ!そっちのマーチンね、なるほどね。私はねエンジ色の持ってるよ、そうなの黒よりもさ、エンジのマーチン好きなんだよね。
そうなの、シャネルズあってのラッツ&スターだからね、あれ?やっぱそっち?

ということで高松城築城の後に1597年、生駒親正が支城として建てられたのがこの丸亀城である。だが1615年に徳川政権により一国一城令が下され、山崎氏に城主が変わる、そこから幾度となく修復を重ねて行き1600年代中期にようやく完成。それが今の丸亀城なのである。

この城の魅力は何と言っても石垣である。城マニアはこれだけで飯3杯だ。小高い丘に建てられた城はすべて石垣で段になっており、遠くから見てもその一望は威圧感が半端ない。その石垣の高さは60メートルで日本一とされている。石垣の存在感で愛されてる城と言っても過言ではない。

ここで私なりの丸亀城の疑問を書いておきたい。

丸亀城の大手二の門、大手一の門をくぐると左手に見返り坂という登り口がある。この坂はあまりにも急で、つい怖くなって後ろを振り返ってしまうという由来で名付けられたらしいが、私はこの大手口と城の裏口である搦手口が当時は逆だったんではないかと推測する。初めて来た身体中の毛も生え揃わない小学生の頃、この見学する順路に疑問を覚えた。

そして2度目に来た時は搦手口にも降りて細かく見学したのだが、これは絶対にテレコだったという気持ちがでかくなり、こないだ3度目に訪れた時はむしろ搦手口から城に登ってみたのだが、これはね、絶対にね、当時はね、搦手口がね、大手口だよ。うん、マジでそう思う。

いくつか上げてみよう

1.絶対的に搦手口の石垣の方が大手口より頑丈に作られている。
2.進路が曲がりくねっており、簡単には登れない作りになっている。
3.門の数が多い。ようするに進路を妨げる回数が多いということ。
4.中島卓偉のニューアルバム『BEAT&LOOSE』は日本の歴史に残る名盤である。
5.このアルバムを聴かずに死ぬおまえ、人生大損であるからして。
6.見返り坂は城を攻められた時にいち早く非難出来るように一気に城から降りれるように作られたと推測する。だって、こんな坂を登らせて城を攻められたら簡単に占領されてしまうではないか。
7.逃げるなら海側に逃げねば逃げ切れない。これは高松城も同じ作りである。

という感じで私は推測するわけだ。いや絶対そうだと断言したい。城の見学の順番、順路が歴史と違う場合がある。これはマニアはいただけない。登りやすいように順路を変えられてしまっているのだ。城の魅力は絶対に当時の大手口から見学しないと意味はなさないのである。なので皆様、次回丸亀城を見学される時は大手門をくぐったら見返り坂を登らず、右手に回ってほしい。先に途中にある丸亀市資料館を覗くこともお勧めしたい。そこから三の丸跡のグラウンドを右側に裏の搦手口まで歩き、そこから改めて城に登ってほしいと思う。

絶対にその登り方の方が丸亀城を感じてもらえると思う。それが真の丸亀城の魅力である!!!!

そして天守にも触れておきたいが、ここも私の推測だ。資料館にある当時の丸亀城の模型を見ると本丸には5つの御三階櫓が建っていたことがわかる。シングル5曲同時発売に近い。これは明治時代に撤去されてしまったのだが、何故か今の場所にある御三階櫓だけが撤去されずに残されたのである。卓偉が15年生き残ってるのと近い。はっきり言ってしまえば、丸亀城には天守と呼ばれる言い方はなかったと思うのだ。丁度現在の大手門からぴったりセンターに位置する場所に現在の天守がそびえる。それも撤去する時の狙いだったと考える。この時点から観光目的が考えられている。これは素晴らしいことである。いわゆるアングルを考えての考慮だからだ。

でも本当の天守は現在の天守ではなく大手正面から見上げて現在の天守の左側にあった御三階櫓がそれだと考える。何故ならば、本丸で一番高い位置に基礎石が組まれているのである。これは是非本丸まで登りその目で見て確かめてほしい。本丸から入ると天守の右手側の石垣、その角に位置する櫓台である。どう見ても現在の天守より高い位置に基礎石が組まれている。本丸の門をくぐったらまずこの櫓がそびえることで威圧感を出したと推測する。

だがたまたま、この真ん中の櫓が取り壊されなかったから、これを天守と呼ぶようになったはずである。当時は絶対に天守と呼んでなかったと思う。本丸にあった5つの御三階櫓はほぼ同じ大きさで建てられている、リンゴ・スター×5である。その中でも一番高い位置にあったのがその角に位置する櫓だ。身体中の毛が生え揃う前に疑問を持ち、35歳になりこの目で確かめての推測である。いや、これは間違っていない!!!!

と、ここまで熱く語ってしまったが、3度目の見学でマネージャーのカズと丸亀城を訪れ、カメラを回し、勝手に城マニア映像編を収録したのだが、本丸まで行き、カズに「どうする天守入るか?」と聞いたところ、「いや、いいです、時間もないんでうどん食いに行きましょうか」と軽くあしらわれてしまった。

後日この映像をファンクラブ旅行の移動のバスの中で流したのだが、スタッフ情報によるとほとんどの人が、

寝ていた…。

らしい。撃沈…である。

そうなのだ、私のロックなど、私の作る音楽など、私の醸し出すロックファッション美学など、私のPUNKスピリッツなど、私の城に対する愛など、誰もわかってくれないのである(ニューアルバム収録の「誰もわかってくれない」のMV最高でえす)。

さて、ニューアルバムのツアーは続いている、12月7日(土)は高松DIMEでライブだ!こちらはBEAT PUNK SIDEというセットリストである。四国は続き、翌日8日(日)は松山サロンキティでライブだ!こちらはLOOSE ROCK SIDEというセットリストでこの二つのメニューはシングルカットされた「ゲッザファッカウッ!!!! 誰もわかってくれない BEAT&LOOSE」の3曲しか被らないのであります。是非両日とも観に来てくだされ!このツアーの四国に来て高松城、丸亀城、松山城、今治城などをついでに観光されてはいかがだろうか?もしくは金毘羅宮(こんぴらさん)にお参りでもいいでしょう。でもこんぴらさん登ったら私のライブは疲れて無理だと思われます。過去に2度頂上まで行きましたが、もうこんぴらさんは結構です。階段長過ぎ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

四国は良い城がたくさんあります。丸亀城、また訪れたい…。


◆【連載】中島卓偉の勝手に城マニア・チャンネル
この記事をツイート

この記事の関連情報

*

TREND BOX

編集部おすすめ

ARTIST RANKING

アーティストランキング

FEATURE / SERVICE

特集・サービス