ローランド創業者・梯郁太郎(かけはしいくたろう)氏。2013年、彼はDave Smith氏とともに、グラミー賞「テクニカル・グラミー・アワード」を受賞した。メーカーを問わない電子楽器の世界共通規格として、MIDI(ミディ)の制定に尽力。その後の音楽産業発展に大きく貢献したことが世界的に評価された形だ。それは、日本人初となる同賞個人受賞の栄誉となった。

今回、梯氏にご協力いただき、映画・ドラマ・CM等の様々な音楽を手掛ける作曲家・岩崎太整氏との対談が実現。2014年1月27日(月)第56回グラミー賞授賞式を前に、電子楽器に夢を託した梯氏と、「MIDIがあるから今の自分がある」と語る岩崎氏との貴重な対談をお届けする。

◆音楽に関係している人は全部、ベンチャーのビジネスマン

岩崎:今日は作曲を手掛ける身としてお伺いさせていただきます。技術者としての梯さんに興味もあるのですが、人間としての梯さんに聞いてみたいことがあります。まずはローランドを創業する前のお話からお聞きしたいと思います。梯さんの著書も拝見しまして、16歳の時から事業を始められたということですが。

梯:事業と言っても、小さな時計の修理屋さんですからね。

岩崎:僕の感覚からすると、16歳から商売をされること自体、ハードルが高いというか。

梯:それは時代でね。僕は小さい時、胸が弱くてあんまり丈夫じゃないから、身体を動かす仕事が向いていなかった。メカも面白いし、新品の時計もない田舎の街ですから、修理やったら仕事がいくらでもある。それで時計の修理から始めた。時計の修理には学校がないので、弟子入りですね。そういうシステムで覚える。それでは間に合わないから、自分で勉強して店を開きました。

岩崎:勉強はどのようにされたのですか?

梯:講義録です。ガリ版刷りの講義録が売っていました。雑誌に載っている広告を見て買って、それで勉強しました。修理ができても、誰もが店を開けるとは限らない。経営ですから。時計屋さんには修理をやるビジネスと、新品の時計を売るのと2つあるわけです。終戦直後ですから、新品の時計は何も無い。時計屋は修理しか無い。だから仕事は十分ありました。新品は無いから。仕事が落ち着いてからは、空いた時間にラジオが聞きたいと。短波ラジオも解禁になった時で。それでラジオを作り始めた。だから半分は時計屋、半分はラジオ屋をしていました。

岩崎:ラジオの作り方はどうやって覚えられたのでしょうか?

梯:それは独学です。独学というのは、本ですね。『無線と実験』とかそういう雑誌です。今は『MJ』になっているのかな。学校は無いし、金は無いし、何も無いんだから。独学って響きはカッコいいけど、そんなんじゃないの。それ以外に手がない。

岩崎:その後ご病気をされて、病院でテレビ放送の開始があり、それを受信するために病院内でテレビを作ったと。著作を拝見して思ったことは、時計もラジオもそうですが、そこに自分でやろうと思える力を感じました。

梯:それもちょっと逆なんです。やりたいことをやっていたら、もう始まっていた。そんな感じです。どう考えてこれやろうか、どうしようか迷ってやっているわけではない。ラジオをやっていたらその次は、雑誌の記事もテレビばかりになってくる。だからほうっておけないよね。やっているうちにこれを写したいと、そういう気になります。それでいたらもうやっていた(笑)。

岩崎:ご自分の中では自然だったんですね

梯:仕様がなしに、思った通りにやっていたんです。

岩崎:僕らみたいな若い世代からすると、今は取捨選択がいくらでも出来ると感じてしまいますね。

梯:そんな贅沢な時代だからそう思うんですね。何かやらないといけない。ニートという言葉はないので。そっちに入れない。

岩崎:ニートは存在できない時代だったというわけですね。

梯:そんなことしていたら食べられない。食べ物が無いんだから。みんながそうしたかというと、そうでは無いんですよ。みんな職を探して、条件の合うところへ入っていったとか。それがほとんどです。今では無くなっている動機があったということです。当時は結核があって、僕はストレプトマイシンで治ったのですが、みんなのイメージでは肺病というとほとんど死ぬと。その頃戦前から戦後すぐにかけて、肺が悪くなったらみんな亡くなるわけです。男女問わず。風立ちぬもそうでしょ?みんなそうです。死亡率が92%だったの。失業してどうしようもないから。誰も雇ってくれないから始めた。起業をやろうと張り切ってやったわけじゃないの。そこがよく誤解される(笑)。

岩崎:そういうことなのですね。ご自分の中では一念発起されたというわけではなかったんですね。

梯:作曲なんてまさにそうですよね。作曲をやるなんてどうだった?

岩崎:そう考えてみたらそうかもしれません。

梯:「あいつは作曲家だ」って、他の人が肩書をつけてくれたようなもんでしょ?

岩崎:本当にその通りですね。作曲業を始めたという意識は無くて、気がついたら作曲をしていたなと今は思います。やり始めてそろそろ10年近くなるのですが、自分で始めたという感覚は無くて、好きでやっていったらいつの間にかそう呼ばれるようになっていました。

梯:それと同じ。音楽に関係している人は全部、ベンチャーのビジネスマンなの。収入が多くても少なくても、とにかく収入があった、食った、それでプロなんです。自分で稼いだ金で自分が食う。これはプロなんです。アマチュアじゃない。アマチュアなら金取っちゃいかん(笑)。

◆アメリカに持っていた試作品は売れなかったけど、これを作れば買うという人が出てきた

岩崎:そこから本格的に電子楽器制作の道に入られるわけですが、ライフワークを音楽にしようと思い立ったのはおいくつくらいでしたか?

梯:28歳くらいですね。

岩崎:元々音楽は好きという事は伺っていますが、ラジオ修理を経た後はどうされていたのでしょうか?

梯:テレビを作って売っていた。テレビが量産に入ったら出る幕が無い。製造メーカーというのは、興味の対象ではなかった。数を作って売るというのは。

岩崎:いわゆるルーティーンワークになってしまうというか。

梯:そうそう。そこでオルガンを見た。これは同じ真空管を使って音を出すもの。テレビでもラジオでも受ける方でしょ?

岩崎:なるほど。

梯:真空管というのは受信管だったの、僕には。音源は発信管でしょ?真空管から音が出るというのに、「あ、そうか!」と。

岩崎:それが大元にあるのですね。発信をする方に。

梯:よく考えたら鍵盤の後ろにスイッチがあって、鍵盤を叩いたらスイッチがつくと。ついたら、パイプの下のバルブが空いて、風が通って鳴った。簡単でしょ?たくさん並んでいるから、複雑に見えるだけで、電子で作るには一番簡単なんです。鍵盤押した、音が出た、その音が変わらないで鳴る。パイプオルガンそっくりです。これは電子でできる。ギターはパンとやって音が出て、減衰します。こんな音は発信管では作れない。

岩崎:そうか。オルガンは減衰楽器でない以上、構造としてはシンプルに見えたんですね。

梯:そうそう。分解したら簡単、並んでいるだけだから。そういうふうに見ていったら、ギターやピアノなんて大変なことなんです。

岩崎:それを電子で再現しようとすると確かに大変だと思います。

梯:そう。テルミンみたいなものは一旦音を出すと、連続して音を出さないといけない。もちろん(ある程度で)切れますよ。ただ、両手をそこまで使えるようになるのは大変なの。僕も最初に試作は作ったけど、バイオリンとかああいうものには勝てないと思った。

岩崎:それは楽器としてでしょうか?

梯:楽器としてです。

岩崎:確かに楽器として完成されているし、奏者も演奏技術が必要だし。

梯:ヴァイオリンの様な楽器は音程がはっきりと分かれていないため、絶対音感が無いとダメなんです。鍵盤は周波数さえ決まっていれば、誰が押してもドはドでしょ?これはできる。一番売りにくいのがオルガンだからね。ハーモニカに始まって、リードオルガンってものすごく数があったから、そんなのと勝負したってダメ。音色が変わっていろんなものが出るから、電子オルガンの意味がある。リードオルガンなら2~3万であったからね。モーターで風を起こして音を出す。

岩崎:その当時でですか?

梯:それとは対抗できない。いくら安くてもオルガンは10数万する。20万近い値段になる。売れない、10倍もしたら。そういう難しさがあった。

岩崎:オルガンを頒布し、広める為にどうやってその壁を打破したんでしょうか?

梯:それは自分で売ってみないとわからない、サンプルが無いんだから。誰もやっていないんだから。持って歩いたけどどこも置いてくれない。

岩崎:では最初の頃はどの様にして広めていったのですか?

梯:最初の頃というか、当時は、流通には問屋があって問屋から小売りに卸すわけ。問屋が受け付けてくれなければ、どこにもいかない。それだけの数が作れないとメーカーはできない。あらゆる面で電子楽器は一人でできるテーマじゃなかった。なのにやってしまった(笑)。

岩崎:そうですよね。

梯:売れないことは、販売網を持っているところに行かないとしょうがない。ナショナルさんに行きました。ナショナルさんで、売れた。売れたけれども、ある時ポンと止まってしまった。教育しないといけないから。そこで結局は仕事が無くなる。

岩崎:オルガンを作った段階でいっておけばよかった、と。でも開発後にいったというわけですね。

梯:どこまでいったって、それはナショナルのオルガンだからね。だから下請けに過ぎない。これはいくらやったって大変なだけで、やるもんじゃない。そういうレッスンをしただけでダメでしたね。

岩崎:先ほどおっしゃっていたように、ルーティーンワークになるかもしれない、と。

梯:そう、どこまでいっても下請け。

岩崎:それでご自分でやり始めるようになったのですね。ナショナルさんの時から、またご自身の本来のやり方に戻ったというか。

梯:そんなね、何十万もするものは作ったらダメだと。もっと売れる、値段の安いものを作らないとダメ。勉強してわかったのは、日本とアメリカを比べたら日本は10数年遅れていた。海外からね。だから日本で売れるのを待つよりも、アメリカに行ってアメリカで売った方が早い。だからアメリカに行けとなって、まずアメリカに行って試作品を持っていった。売れなかったけども、こういうものを作ったら俺は買うよという人が出てきた。そうかと。無いけれど、あれば買うよと。それなら俺が作るから買うか?と。それを作ったら売れた。それが初めてです。

岩崎:それが1964年の?

梯:そう。その時は売れなかったよ、そこから1年か1年半して売れ始めた。

岩崎:そこからご自分のブランドを意識し始めたという経緯だったのですね。

梯:そのリズムマシンがそこにあるのよ。

◆初めは理解されるよりも嫌われた。リズムマシンは「仕事を取る」と

岩崎:これを見れることはなかなか無いですよね。

梯:その頃はまだACE TONEだったからね。これがRhythm Aceです。

岩崎:ローランドの前ですね。これは鳴るんですか?

梯:鳴る鳴る。鳴らしてもらって大丈夫。

岩崎:初めて見たのですが、リズムパターンがあるんですね。ディキシーとかウエスタンとか。

梯:ワルツを押せばワルツが出るし、タンゴを押せばタンゴになる。

岩崎:スイングはスイング。相当前ですよね?

梯:50年くらい前。45年以上前だな。

岩崎:60年代ですよね。

梯:1966年くらい。

岩崎:これは1964年にアメリカ持っていったものに近いものですか?

梯:いやいや。手で叩いて鳴らすのを持っていったけど、それじゃダメ。自動で動くもので、ポータブルだったら買うよということで、これができた。

岩崎:世界でも最初期のリズムマシンということですね。鳴らして頂いてもよろしいでしょうか?

梯:ビギンで。

岩崎:ちゃんと楽器キャンセル機能もある!

梯:そう。例えばルンバだと、クラベスを無くすこともできる。

岩崎:今、「カンッ」と音が無くなりました。

梯:混ぜると他のも鳴りますから。

岩崎:混ぜることもできるんですね。

梯:そういうことができる。なんでもよいから4拍子を入れたいとか使えるでしょ?

岩崎:これはすごい。世界最初期のリズムマシンなのに。

梯:マンボでこれでカウベル取れるでしょ?

岩崎:いまカウベル戻りましたね。

梯:僅かなのでいろいろなものに使おうという工夫をしている。

岩崎:僕は一つ押したら一つしか使えないと思っていました。

梯:いや、そうじゃない。

岩崎:テンポも変わるんですね。

梯:これね、後のはスイングするんです。これではできないよ。後で。それくらいから売れ始めた。それが808とかに結びついている。

岩崎:後の808とかに繋がるわけですね。すごい!

梯:その原点ですね。

岩崎:今でもちゃんと動きますね。

梯:当然動くよ(笑)。一番困ったのが、これ。

岩崎:ボサノヴァ。ボサノヴァのパターンはその頃どうやって見つけられたのですか?

梯:商品を売り出す直前に、ボサノヴァが流行り出した。

岩崎:ちょうど64年とか65年くらいでしょうか。今でこそみんなこれを聞いてボサノヴァだと思うんでしょうけど、実は歴史ってそんなにないですよね。

梯:ないからね、どうしようかと。一番流行った「イパネマの娘」その通りやったんや。

岩崎:じゃあこれは、トム・ジョビン、アントニオ・カルロス・ジョビンの「イパネマの娘」が元になっているんですね。

梯:結局8割以上それだった。

岩崎:そうですね。僕らも演奏する側として習うパターンはそれでした。これはボサノヴァが無いというか、あったんでしょうけど。今でいう流行歌、新しいサウンドだった頃の。これは苦労するというか、誰もがまだわからなかった頃ですね。

梯:全部叩けるようになったけどね。

岩崎:ご自分でですか?

梯:クラベスも叩けるようになったよ。パターン作るのに自分で叩けないとね。

岩崎:すべてご自分で、自分の中でモノになるまで。

梯:レコードも買ってコピーしているからね。

岩崎:この音はリズムマシーンの原点ですね。今聞いても僕はこのサウンドをカッコいいと思います。

梯:でも売れなかった。みんなにボロクソだからね。そんなリズムを音楽で使えるかってね。

岩崎:最初の頃はですか?

梯:そう。でも電子オルガンを弾く人には喜ばれた。だから海外で売れた。

岩崎:じゃあ日本ではまだ。

梯:売れなかった。

岩崎:理解されなかったということでしょうか。

梯:そうそう。理解されるよりも嫌われた。もう1つはドラマーの仕事を取る。そんなことないのに。

岩崎:当時はリズムマシン自体が嫌われる存在だったと。

梯:その後、バンドが集まってやるんじゃなくて、バラバラにやって後でトラックを合わせたりして作り始めた。それからこれが便利になった。

岩崎:メトロノームを使った、オーバーダビングが主流になったから。

梯:これを中心にして、誰かがドラムでもいいしベースでもいいし誰かが乗せる。それを送ってその次はこれに合わせてやる。そういうやり方が出てきて。それで役に立って。

岩崎:そうですよね。その前はまだ一発録りというか、みんなで一斉に録音するのが主流でした。オーバーダビングという技術が発達してから役に立ったというわけですね。今聞いてもこのサウンドは刺激的に聞こえます。これが動いているのが、まだ信じられないですけれど。

梯:生まれてなかったでしょ?

岩崎:全然生まれてないですよ(笑)。

梯:(笑)。たいがいそうだわな。生まれる前に作ってたんだからね。

岩崎:僕、1979年生まれなので、まだ全然です。

梯:1979年ならMIDIスレスレですね。あれは1982年だからね。

岩崎:僕が物心ついた頃には、MIDIは既にあって。本当に下の世代なのでこういうモノを見られること自体が、幸せです。僕より(Rhythm Ace)の方が全然年上ですからね、信じられないです。

梯:自分で組み立てて売ってたんだからね。

岩崎:ちょっと信じられないですね(笑)。

梯:ほんとだから(笑)。

岩崎:これを組み立ててご自分で売っているという事自体が。僕らにとっては既に在ったという印象です。

梯:電気がね。

岩崎:電気があったら点きますよという世代なので、自分で何かを生み出すという世代ではなくて。使い方の面白さはあると思いますが。

梯:それは良い悪いはどっちでもいいんだけどね、当然あるものと、無いけどどうやって作ろうというのは大違い。

岩崎:それはおっしゃるとおりです。作曲をやるようになっても、こういった技術が無いと、今僕はここにいられない。変な話ですけど、梯さんがいらっしゃらなかったら、僕は今ここにいない。本当なんですよ。

梯:いいじゃないですか。僕はあんたに給料払ってないけど(笑)。

岩崎:(笑)。

◆共通のものがある産業は栄える。MIDIは世界の共通語

岩崎:MIDIの制定について伺いたいと思います。MIDIを制定しようと思った時に、なぜオープンにしようと思ったのか?守ろうと思えば権利を守れたとも思うのですが。

梯:僕が学生の頃、エスペラントという国際共通語が流行った。エスペラントは1880年代、明治の前にザメンホフという方が考案した人工言語。ザメンホフさんは、ヨーロッパは言葉が違うから戦争ばっかり起きる、という考え方を持っていた。それと同じでね。MIDIというのは楽譜をコンピュータにわからせる言語、翻訳装置なんです。こっちがお金を払ってでもやらなきゃいけないものに、ロイヤリティ払えなんて馬鹿なことができるかと。たとえばお前は大阪弁を話すとして、大阪弁のロイヤリティ払えと。そんなことできる?それとおんなじなの。僕にとっては、はじめから取るもんじゃない。みんなが共通に使えるもの。どこに行っても安心して使える共通のもの。たとえば日本なら醤油。いろんな共通の食べ物や味付けですね。そういう、安心して世界でも使えるものにしたい。そういうことから考えると、共通のものがある産業は栄える。共通のMIDIで料金を取るのはおかしいと考えた。

岩崎:MIDIはグローバルスタンダードであるというわけですね。言葉にお金を払う人がどこにいるの?ということですよね。

梯:そう。そんな考え方しているようではおかしい。僕がローランドを始めたのは1972年です。会社始めたばかりですから、その頃の売上はゼロです。それでもYAMAHAさんやKAWAIさん、僕が辞めたエースがありました。そこと対抗するのに、小さなローランドは考えた。ウチとライセンスしろと大きい会社に言って、乗るわけがない。そういうアプローチはダメ。アメリカに行ってみて、小さい会社で伸び盛りなのが2、3社あった。オーバーハイムとシーケンシャル・サーキット。シーケンシャル・サーキットの方が若かった。彼もね、ロイヤリティ無しでやろうとする組だった。シーケンシャル・サーキットへ行って、これがここまでできて動いている。やらないか?と言ったら彼(デイブ・スミス氏)は喜んで、これだったら使えるとすぐ乗ってきた。アメリカで受けてやっているところがあるとなって、日本に行った。日本はまだだったので、そりゃあ良いってみんな乗った。それが真相。

岩崎:それを元に数社が合同で制定したのでしょうか?

梯:何社じゃない、みんな集めた。もしなんか注文があったら、入れますよという提案をした。でもほとんど無かった。一人だけね、マンドリンのトレモロを13回にしてくれという注文があって、そんなもん、11回でも12回でも一緒やないかと思ったけどね(苦笑)。それも要求だし、あとはビブラートとか。6サイクルにするか、6.5にするか。これも決めといた方が早い。それで日本は一発で決まった。それでデイブにどないなったかというと、みんな反対しよると(笑)。ほんならもう、一緒にやろうと。2社だけでやろうよと。

岩崎:そういうことだったんですね。

梯:それを聞いたイタリアはね、MIDIが流行りそうだと。次のフランクフルト(・ムジーク・メッセ)の時にMIDIのついた音源ユニットを出してきた。誰とも文通していないし、データも出してないのに、ほんまかいと。まだあまりMIDIは出ていないから、テストもできなかった。それから6年、7年経って、その会社を僕が買ったんです。あの時どないしたの?と聞いたら、ソケットを付けただけで、実際は信号が出ていなかった(笑)。

岩崎:(笑)。

梯:これが実体だった。

岩崎:ものを出してたはいたけれど、実際は。

梯:でも彼らが偉いのは、アメリカは反対してボロクソに言った。そんな中、少なくともあんたら信じて、信号は出してないけど方向性だけは同意はしたと。あんたのほうが偉い!って誉めたの(笑)。

岩崎:実際には鳴らないけど(笑)。

梯:まあ方向には乗ってくれている。

岩崎:すごいですね、それ出しちゃうの。

梯:その会社を買わなかったら、永久にわからなかった。

岩崎:なんで知ってたと思ったら、見よう見まねでやってた。

梯:見まねも何も見るものが無い。

岩崎:そうですね、なんとなくこんな感じで出したと。出しちゃうのがすごい!

梯:それが1983年にオープンにしたから、印刷物にすぐに出た。アメリカはわーわー言って、けなした手前やらなかった。だからアメリカのシンセサイザーメーカーは全部潰れた。どこも残っていない。イタリアのは10年くらい長生きした。

岩崎:そういう経緯があったのですね。これは貴重なお話だと思います。それと今日是非お聞きしたかったのは、今後の電子楽器の行く末はどういう形になるのかという事なんですが。

梯:それを、どこかにサンプルないかと探しているうちはダメなんです。自分でやればいい。

岩崎:そうか(苦笑)。

梯:だから僕は自分でやった。

岩崎:ご自分の中でビジョンがあったという事ですか?

梯:あります。まずは大体こっちやねということを言っている。

岩崎:そこがすごいと思います。まずこっちだとリードしていく。みんなおっかないから出来たものに乗っていこうとする。

梯:冒険しないよね。金勘定し始めると。仕送りをしてもらって人に頼って偉そうなこと言うなと。やる気があるなら自分でやる。そうでないと出てこないよ。日常で妥協ばかりしていて、できるわけがない。かと言って、苦労しなきゃできないとか、そういう大げさな発明でもない。と僕は思います。コンビニの簡単なおむすび。あれは破るだけだよね?ちゃんと海苔が付いて出てくるよね?あのアイデアだけでもすごいよね。そういうアイデアを元にしてローランドはできてきたからね。そういうのを何からでもいいから、やればいい。

岩崎:今の話を聞くと、自分はどこかで受けてきたと思います。一番最初の発信と受信ではないですが、今あるものを使ってという、受信という方が作家として多くなってしまっていると思います。

梯:必要に迫られて、そうなる。やりながら何かずっと、一旦始めたら生涯を棒に振るくらいの賭けになるかもしれないけど、それをやり通さないといけないと僕は思う。

岩崎:まさに発信管になるというか。

梯:みんなが真似し始めたら元祖なの。最初が一番強い。

岩崎:それを僕も目指してやっていきたいと思います。

梯:僕は今、録音スタジオを持っています。今みんな仕事が無いよね?仕事を作ればいい。それをやっていけばいい。「録音スタジオ」って刷り込まれているよね。「音」なの。録画も一緒なのに。なんでもかんでもやれるような録画じゃなくて、例えば簡単なのでもいい。そしたらいっぱい仕事がある。

梯:ハッピーバースデーのオルゴールがあるんだけど、これは僕が用意しました。

~指でゼンマイを操作して演奏~

岩崎:いわゆる自動ではないものですね。

梯:演奏です。楽器を演奏した。他の曲はできないよ。何もかもはできないけど、自分の思った通りのテンポとニュアンスで鳴ります。

岩崎:ですね、僕がやってもまた違うでしょうけど。

梯:10分くらい練習したらすぐできる。テルミンよりは優しい。

◆今は映像にMIDIを使っていない。これからは「A PRO」

岩崎:最後にお聞きしたかったのは今後の展望です。2013年梯さんがグラミー賞を受賞された時、最後に「今後も変わらずこういう活動を続けていきたい」とお話しされていました。そのコメントを聞いて今後の活動が気になります。

梯:それが最初に言っていた映像とMIDIです。今は映像にMIDIを使っていないんです。ウチが5年前にV-LINKで一番最初に名前を登録してRoland CG-8を作った。あれが世界で初めてのヴィジュアル・シンセサイザーです。これは何を隠そう、商品を出すのが早すぎた。

岩崎:ああっ、そうですね。今でこそかもしれません。ちゃんと拡張性もあるんですね。

梯:MIDIですから。

岩崎:そうですよね。今後はMIDIと映像ですか。

梯:会って一番最初に言ったでしょ、これからは「A PRO」と。プレス関係でやったのはあなたが一番先やからね。(※A PRO:梯氏が新たに提唱する造語で、映像をリアルタイムに編集し電波にのせることを言う)ネットでも出してください。直接聞いたと言って。

岩崎:自慢させていただきます。

梯:嘘にならないから。僕は映像のプロでもなんでもない。そういう人が使って役に立つものが、作れる状態になっている。それを僕は言いたい。

「生中継!第56回グラミー賞授賞式」 ※生中継 ※同時通訳
2014年1月27日(月)午前 9:00[WOWOWプライム]

同日リピート放送!
「第56回グラミー賞授賞式」 ※字幕
2014年1月27日(月)よる10:00[WOWOWライブ]

「いよいよ明日!第56回グラミー賞授賞式 直前スペシャル」 ※生中継 ※無料放送
2014年1月26日(日)午後1:00[WOWOWプライム]


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