【連載】中島卓偉の勝手に城マニア 第20回「大和郡山城(奈良県) 卓偉が行ったことある回数 3回」

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奈良県の名城、大和郡山城だ。

奈良は日本の歴史が深い街、どうしても寺や神社、仏像や中島卓偉にスポットが当たってしまいがちだが戦国時代の城も負けてはいないのだ。この城が日本の名城100選に選ばれてないこと自体、本当に間違ってる。なんだ?その基準は?どこを見ているのだ?中島卓偉か?やっぱり卓偉しか見てないのか?やっぱりあいつか!まああいつ歌も上手いし、パフォーマンスは凄い運動量だし、コンポーザーとしても天才のレベルだからなあ、それもわからないわけじゃない。だがしかし、この大和郡山城は凄いのだ。いい城なのだ。ナイスセンスなのだ。ヘイ!今日もついて来いよ!

築城は遡るとかなり古い。戦国時代の城の築城ラッシュの時期が1500年代後期だとして、この城は1162年とされる。とにかく城主が果てしなく変わり続けたので誰の城かもはやよくわからんくらいである。

筒井家時代、
豊臣家時代、
増田家時代、
松平家時代、
本多家時代、
柳沢家時代、
少女時代?
もしかすると陽水少年時代。

ちょいちょい城主が城を整備していったので誰の色が強いとかはない。この城も数々の城主のコラボな城といえる。卓偉が尊敬する先輩ミュージシャンとコラボして作ったアルバム「共鳴新動」を持ってないあなたは明日怪我するだろう。そうだ!そうだ!持ってないおまえ怪我すんぞ!買えば怪我しねえぞ!

城の作りとしては、まあ平山城となるが、うっすら平山城な感じだ。平城とも言える作りだと私は思う。それは何故かと言えば、本丸の最後まで水堀に囲まれているというのがある。平山城でありながらだんだんと高い場所へと城が続くにも関わらず最後まで堀が巡らされてるところ。堀を忘れないところがいい意味でどっち付かずで素敵なのだ。それはまさにロックも歌え、シャウトもいけるにも関わらず、バラードも歌え、裏声も綺麗にキマる中島卓偉のようだ。これが出来るボーカリストは意外にも少なく世界に5人しかいない。

ジョン・レノン
ポール・マッカートニー
森重樹一
中島卓偉
フレディ…まあ胡瓜、だけだと思う。

城は現代になり外堀もかなり埋められているが、もともと郡山城の周りは沼が多く、この沼をそのまま堀扱いにしている。今も城の近所、この付近に住まれる方々の家の裏などたくさんの沼があると思うのだが、これは郡山城の堀の役目を果たしていた沼と言っても過言ではないのだ。

本丸には天守台が残っているが、ここからの奈良の街の眺めは美しい。ここに5層の天守がそびえていたとの言い伝えがあるが天守台の大きさを城マニアの私が見る限り、ちょっと5層は無理だったんじゃねえかな?と思うのだがどうだろう?大きめの3層の天守、地下1階、計4階の天守だったんではないかとイマジンする。何年か前に観光で訪れた時、天守台の石垣が痛み崩れる恐れがあるので天守台は立ち入り禁止になっていた。

が、中島卓偉。立ち入り禁止と言われたら入るしかない。これを超えていくことがFREE FOR FREE、有刺鉄線を超えることがFEEDBACK 78'だああああああああああああああああああああああ!ささっと石段を駆け上り、ささっと奈良の街を見渡し、ささっと降りて、口笛吹いてどこ吹く風である。怒られればいいんでしょ?怒られればいいんでしょ?わかってますよ!すんません!すんません!真面目か!良い子のみんなは絶対に止めよう!絶対にやってはいけないぞ!いや実は天守台から下りてきた後に、立ち入り禁止って知ったんすよね。すんません本当に。ここ最近は日本の城は石垣の修復工事が行われているケースが多いので本当に気を付けてください。

早く石垣修復して欲しいなあと思っていたら去年2013年10月のニュースでようやく天守台周辺の石垣を修復し、完成までには2年くらいかかるとのこと。今は本丸もほとんど立ち入り禁止に近い状態になっている。なので完成がとても楽しみだ。その修復期間中に見学行くってのもマニアにはたまらんわけでもあるのだが。是非この機会に他の石垣達に生い茂る雑草達も綺麗に整備してくれんもんかなあ。そうすればもっと大和郡山城の石垣の魅力が伝わると思うのだがどうであろうか。

郡山城の石垣の見所としてあるのが墓石や石地蔵をそのまま使ってることだろう。しかも逆さまに埋め込んでたりする。真っ逆さまに堕ちてデザイアしてしまってるわけである。

奈良は石がなかなか集められない町だったためにやむを得ず、そういうことまでしてしまったそうな。卓偉のファンは友達が少ないので友達を連れてライブに来てくれないのでやむを得ず会場にいる卓偉ファン同士で仲良くなって友達と来ました~って言ってるファンと近い。

それが祟って城主がなかなか定まらなかったという説もあるとのこと。う~ん。わからんでもない。せめて逆さまにお地蔵さん埋め込むのだけは考慮出来んかったのだろうか?うちの事務所ももうちょい卓偉に休みを与えることは出来んものなんだろうか?いや、せめて炎のように燃えてデザイアの方には出来んかったもんなんだろうか?

大和郡山城で個人的に一番好きな場所がある。それは本丸隣りにある毘沙門曲輪から本丸に渡るにあたって架かっていた極楽橋跡である。まずなにこのネーミング?極楽橋って!渡る時どんだけ気持ちいいわけ?みたいな。どんな声出して渡ればいいわけ?みたいな。しかもこの橋はかなりの太鼓橋でさ。反ってたらしいのよ。橋自体は短めの橋だったみたいなんだけどさ。でもさ、反ってたらしいのよ。反町ってたらしいのよ。いろんな意味でポイズ~~~~~ン!だったと思うのよ。赤い漆塗ってたらしいのよ。まさにさ、

「あの橋をおおおおおおおお、渡るときいいいいいいいい、なあああああにいいいいいかああああガあああああかわああああるううううううううううジャストフォーユ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」だよね。ああ!ハウンドなワンちゃんの方ね。

ちなみに今は橋は架かっておりません。これもよくあるパターンですが、敵が攻めて来たときは自ら橋をぶっ壊し渡れないようにする仕組みだと考えます。だが渡る人はほとんど身内だけで、客はこの橋を渡る道順で本丸には入らなかったとイマジンします。おそらく当たり。

現在はいくつか復元されている建造物もあり、東櫓、追手門、追手向櫓などなど。行く度に復元が増えていて嬉しい限りです。桜の名所としても有名です。桜の名所100選もいいけど日本の城100選でしょ。どうかしてるぜ!

でもやっぱ、選ばれないかっこよさって…あるよね。人に選ばれることにまず興味がないんでよろしく的な。誰もおまえの好みに合わせて城や曲なんて作ってねえし的な。世の中、選ばれてないものの中に本物が存在します的な。っていうか、真実や本物って全部そうでしょ。イケてるぜ~大和郡山城めちゃくちゃイケてるぜ~~~~。好きだぜ~。

奈良県は寺や神社や仏像だけではない。ここに素晴らしい名城、大和郡山城がある。目立つ観光スポットの裏に、こんな素晴らしい城があることをもっと知ってほしい。

中島卓偉が何にも流されず溢れんばかりの才能でもってデビューから15年歌い続けていることをファンはわかっているがまったく広めようとしない。にもかかわらず、「卓偉さん、武道館はいつですか?待ってます!」と言う。

一人が友達3人ずつ連れてきてくれたらすぐ出来るわと我、日々思う。私とファンの唯一の共通点、それは、

ぶっちゃけなくても友達が少ないということ。

大和郡山城、また訪れたい…。


◆【連載】中島卓偉の勝手に城マニア・チャンネル
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