【インタビュー】岡平健治「2014年は走りきりたい。本当にそれに尽きる。苦しむんだけどやっちゃうんですよね」

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走り続ける音楽家、いろんな意味で。約2年ぶりの新作となるニューシングル「勇者のウタ」をひっさげ、自ら車を運転して全都道府県を回る“自走ツアー”の最新スケジュールを発表し、デビュー17年目を迎えた岡平健治は2014年もまた走っている。悩み多き日々を超え、ファンを励まし、自らもまた前進してゆくために。アーティストとして円熟期に入った岡平健治の、包容力あふれる歌声の魅力。そこには世代を超えた多くの人の心を揺さぶる、人なつっこく力強いパワーが詰まっている。

◆岡平健治~拡大画像~

■インディー以下ですよ! 僕のハートは
■じゃないと“自走ツアー”なんてできない


──リリースは2年ぶりでしたっけ。

岡平健治(以下、岡平):そうなんですよ。1年ちょっとお休みしていたというか、間にツアーをやりつつ、充電していたという感じです。

──その間に、3月28日に35歳のお誕生日を迎えられまして。

 ▲「勇者のウタ」初回限定盤
 ▲「勇者のウタ」通常盤
岡平:気づいたらアラフォーですよ(笑)。

──顔を見てると全然そんな感じがしない(笑)。ついこの間デビューしたよねって感じだけど。

岡平:デビューして17年になります。長かったですね。15歳の時にビクターの育成アーティストで拾われてるんで、もう20年になるんです。たまたま、ずっとビクターでいられてるのもすごいですね。

──居心地がいい?

岡平:居心地が良すぎて、逆にもっと揉まれたほうが良かったのかなと(笑)。ビクターは本当にアーティストを大事にしてくれるレコード会社なので、なかなか戦力外通告をしてくれない。もう戦力外なんですけどね。

──何を言ってんの(笑)。

岡平:過去の作品に頑張っていただいてるおかげですよ。だけど今回は本当に“出したい”という気持ちと熱意で、出せることになりました。

──でも流通や宣伝はメジャーレーベルだけど、スタイルとしてはもうずっとインディーでしょう、健治くんの場合。

岡平:いやもう、インディー以下ですよ! 僕のハートは。じゃないと“自走ツアー”なんてできないですよ。やっぱり自分の現実がわかっているタイプなんで、今はそれなりのポジションで、音楽を伝えて行きたいと思ってますね。今回も半年いないんですよ、東京に。

──5月31日から、全都道府県をひとりで車に乗って回る“自走ツアー”の第7回目がスタート。すでにライフワークになってます。

岡平:そのために仕事をしてます。ツアーをやるためにお金を貯めてる。留守を守ってくれる仲間もいますし、存分に音楽で暴れていこうかなと。なかなかできないじゃないですか? こんなツアーは。

──できないですよ。しかもライブハウスの規模で、動員と折り合いをつけながらそれをやるのは、本当に難しいと思う。

岡平:対バンじゃないですからね。それをこの時代にできてるのは、すごいと思っています。2013年ぐらいに思ったんですけど、(地方の)ライブハウスに行っても、来てないんですよ。東京で活動してるアーティストが、全国を回れてない。

──ああ、はい。

岡平:4~5年前までは、ギリギリあったんですけど。やっぱり厳しい時代になってきたのかと。

──たぶん今と同じことを2年前にも話したと思うんだけど、健治くんは、そこのところに早くから自覚的で、自分から会いに行く“自走ツアー”というものをやり始めたわけでしょう。CDの売り上げとかにも頼らずに、ライブに基盤を置いていくという。

岡平:そうです。ほかで稼いだお金もみんな音楽に費やしていくというスタイルで、やっていけたらなと思ってます。

──ツアーの話は、最後にもう一回触れますね。2年ぶりのリリースの話に行きましょうか。ニューシング「勇者のウタ」。これは実に健治くんらしい曲。軽快なフォークソングのスタイルで、歌いやすいメロディで、歌詞もいろいろ現実をかみしめつつも希望に満ちていて。どんなふうにできた曲ですか。

岡平:振り返ってみると、悩みに悩んだ十何年間だなと思ったんです。音楽に関してもそうですが、何に対しても悩みに悩んできて、“こんな俺じゃ駄目だ”と思って、本当に全面的に“前に進むぞ!”という歌がやっとできたかなと思っています。

──悩みから生まれた曲だと。

岡平:そうなんですよ。

──ちなみにそんなに悩んでたのって、いつぐらいの話?

岡平:いやもう絶えずです。絶えず悩んでました。音楽は楽しいはずなのに、なんで悩まなきゃいけないんだろう? って。大好きな音楽が職業になっちゃったんで、そこで感じる悩みは10代の頃から変わらないですね。でも最近はちょっと、自分に心の余裕が出てきたので、聴いてるひとりひとりが勇者になる権利があって、僕が後押ししたいなという気持ちになれたというか。

──ああ、なるほど。

岡平:だからみんなのうたですよ。隠れタイトルは「みんなのうた」。

──「勇者って誰かな?」と思って聴いてたんですよ。つまりそれはこの曲を届けたい人であり、健治くん自身であり。

岡平:いや、自分は勇者じゃないですよ。ピエロでいいです(笑)。だってみんながいないと、音楽が楽しめないんですよ。ひとりでステージに立って、お客さんが誰もいなかったら淋しいじゃないですか。それと、今回は格好つけたサウンドじゃないというのも、自分の中で気持ちいいですし、歌詞も格好つけてないのが気持ちいいですし。

──ですね。昔ながらのフォークソングに近い感じで。

岡平:けっこう器用なほうなんで、今格好いいサウンドとか、アンテナめちゃくちゃ張ってるから、わかってるんですけど。あえてこれをドーン! と出すというのが、自分の中であるんですよね。ナチュラルに、気を張らずに、音楽というスタイルで格好いい部分を見せていけたらなと思ってるんですよ。今は自分で運転したりとか、みんなと握手したりとか、そういうところで、より直接的になったと思います。

──ずっと悩んでいたというのは、ちょっと意外かも。すごい自信家にも見える人だから。

岡平:いや、アーティストとしての岡平健治は、ビクビクしながら生きてましたよ。19の相方の(岩瀬)敬吾と、あの時めちゃくちゃ人気ありましたけど、“俺ら、いつまでできるかな”って普通にしゃべってましたし。

──そうなんだ。

岡平:冷静でした。だから売れたのかもしれない。みんながワーッてなってるけど、僕たちは19やハタチで、子供でしたけど、クールでしたね。“やったー”という気持ちも全然なく、周りを認識していたというか。もちろんあの若さで、作詞作曲したものが売れたというのは、ただのシンガーじゃないし、アイドル・グループでもないということで、誇りはあったんです。けど、たくさんの人たちの仕掛けで僕たち売れたよね、ということがわかっていた。

──順番で言うと、そのあとの3B LAB.☆Sの活動は、すごい熱かったじゃない?

岡平:いやー、あれは熱かったっす! あれは青春ですね。見事に19のファンがいなくなりましたからね(笑)。

──それは言わなくていいけれど(笑)。

岡平:けど、新しく開拓できたというのはデカイと思いますし。2003年という、CDが厳しくなってきた時代に、アルバムが10万枚突破したのはすごくデカかったし、それが唯一の誇りというか。いきなりサウンドがガラッと変わったけど、メッセージは伝わったんだなって。

◆インタビュー続きへ
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