夏のツアーをもってドラムのミナセが卒業。5人で巡る最後のツアーを間近に控えたダウトが、7年間の集大成に新曲「有終の美」をプラスしたアルバム『全身全霊謳歌集』を明日7月23日にリリースする。文字どおり“全身全霊”、バンド運営のすべてを自分たちの手で行ない、がむしゃらにライブをやり続けたインディーズ時代の思い出を振り返りながら、今の心境を語ってもらった。ひと区切りではあるけれど“すべては未来を見据えた上で発信するもの”というダウトの変わらない基本姿勢とは――?

◆自分たちで考えて動かないと何も始まらなかった。
無鉄砲な勢いが売りのバンドでした


――ダウトの7年間の歴史が網羅されている2枚組の『全身全霊謳歌集』にからめて、ヒストリーを振り返ってのターニングポイントや思い出について聞きたいと思います。まず”全身全霊”というキーワードを掲げたのはいつ頃ですか?

幸樹:結成時は、この言葉なかったよ。

ひヵる:でも1年目にはあったはず。

玲夏:お立ち台作った頃のタイミングだったんじゃないかな。

――というと時期的には2007年ぐらいですか?

幸樹:初めてO-WEST(2007年10月)でライブをやったときには、もうあったよね。当時、シーンで活躍しているバンドにそういう“決まり文句”みたいなのがあって「ウチらもそういうの欲しいな」っていうのが始まりで。

――例えばどんな?

幸樹:俺らはMCで「本日も全身全霊で務めさせていただきます。ダウトです!」って言ってたんですが、「あなたの命、頂戴します!」って言ってたのがゾロさんで、「敬礼!」っていうのがアンドだったんです。

――なるほど。では当時のダウトの活動方針というのは?

幸樹:怖いもの知らずというか、行き当たりばったりで打算的なところがなかったですね。計算機をパチパチはじくんじゃなくて衝動で「やろうぜ!」っていう。結果、どうなろうが別にいいじゃんっていう感覚だったので。

――体当たりの姿勢だったんですね。

幸樹:今もそこがダウトの良さだと思いますね。

ひヵる:“こういう曲をやっておけば盛り上がるだろう”っていうような計算はなかった。

幸樹:あれ?「シャングリラ」はどうやって作った曲だっけ?

ひヵる:(笑)突っ込むなぁ。「シャングリラ」はみんなで盛り上がればいいなって(笑)。でも、純粋に楽しみたいなって。

――ははは。全身全霊でないと乗り越えられなかったインディーズ時代の忘れられない思い出というと?

幸樹:最初は自分たちで髪の毛も立てていたし、物販も会場で売ってましたね。サービスでそうしていたんじゃなくて、スタッフを雇えなかったんです。ボランティアでもいいって言ってくれる人にお願いするか、自分たちでやるか。そういうところからのスタートだったんですけど、今、思うとそうやって活動してきたプロセスが大事だったなと思います。雑誌もずっとモノクロページで「どうしたらカラーになれるんだろう」って一生懸命考えたりとか。

玲夏:雑誌の取材も幸樹の知り合いにお願いしたりして、自分たちでとってきてましたからね。

幸樹:自分たちで考えて動かないと何も始まらなかった。客観的に見るとダウトってまわりの人から見て「このバンド、売れそうだな」って思われるポジションじゃなかったと思うんですよ。無鉄砲な勢いが売りのバンドでした。

玲夏:誰にも知られてないわけだから、いかにいろいろな人に知ってもらうか。イベントに出るからには印象づけたいから、出演前にメンバーの陰アナを入れたり、ステージのパフォーマンスの練習したり。今も形は変われど、基本的な姿勢は一緒なんですけどね。

――1人でも多くの人に知ってもらいたい一心で無我夢中でイベントに出ていたんですか?

玲夏:そうですね。当時のシーンでいうと、いちばんライブしてたと思います。年にイベントツアー3本やってましたもん。

◆大きい会場で誰かのライブがあるときはビラを配りに行ったりとか
自分たちのライブが終わったあと、会場ごとに分かれて行ったこともあったし


――っていうと、ほとんど東京にいられないですよね。

威吹:その当時のビジュアルシーンで47都道府県ツアーをやってるバンドってほとんどいなかったんですけど、そういう耐久ライブみたいなことやってましたからね。

――どれぐらいの期間で制覇したんですか?

威吹:2ヶ月ぐらいですね。1ヶ月、出っぱなしで東京に帰ってきて、また行くみたいな。週に5日ライブとか。

幸樹:2ヵ月に1回は福岡に行かないとやばい、みたいな気持ちでいましたからね。でも、そんな気持ちが1周した今、また同じこと思ってるんですよ。半年、行っていないところがあったら、行かないとって思う。イベントだろうがワンマンだろうが生の演奏をちゃんと届けてアップデートしたダウトを見てほしいって。ファンの人も音源や握手会、インストア、いろいろある中でやっぱりライブがいちばん好きだって言うんですよ。

威吹:とにかく、当時は海外ツアーも無鉄砲なスケジュールでやってたし、がむしゃらでしたよね。

ひヵる:考えたら最初の2~3年は大阪でライブやるときは神戸にある幸樹の実家に泊まってましたね。

幸樹:ホテル代、浮きますからね。今だったらどうする? メンバーの実家に泊まる場合は、浮いたお金がもらえるってことになったら、どっちを選ぶ?

威吹:俺はポケットマネーでシングルに泊まる。

玲夏:場所にもよるよね。俺は神戸なら幸樹の家に泊まる。ほとんど住み慣れた家みたいなものなので(笑)。

幸樹:俺はホテルじゃなくていい。昔はそういう決まりがあったね。車中泊ならホテル代もらえるから、メンバーの部屋のシャワーだけ借りるとか。ミナセはそうしたことあったよね?

ミナセ:(笑)ありましたね。ダウトの前にやってたバンドは車中泊とか当たり前でしたからね。大阪から東京まで高速使わないで行ってたし。ダウトも最初は知ってもらうために無料ライブに出たり、大きい会場で誰かのライブがあるときはビラを配りに行ったりとか。自分たちのライブが終わったあと、会場ごとに分かれて行ったこともあったし。

幸樹:ありましたね。

ミナセ:イベントに出るときは他のバンドとは違う何かを打ち出そうって考えたりとか。衣装も毎回、同じにならないように上に何かもう1 枚着たり、必死で考えてましたね。

幸樹:グッズにしても全部自分たちで考えて、ネットで調べて発注したりしてましたからね。

威吹:グッズのパッケージ詰めをみんなでしたり。でも、どんな小さいことでもムダなことはなかったなって。

幸樹:今は関わってくれてる人たちが増えたけど、昔も今も「ああしたい」って自分たちで発信して動かないとダメだなと思います。

◆今も売れたとか、昇りつめたっていう気持ちはないので、
ハングリーなのは変わらないし、くすぶってるからまだ続けられるんだと思います


――そんなダウトのこれまでのいちばんのターニングポイントというと?

ひヵる:そのときどきであるんですよね。自主でやっていた2年目ぐらいに初めてPVを撮って初めてフルアルバム(『ZIPANG』)を2008年に出したあたりから今思うと認知され始めたのかなって。そういう転機がずっと続いている感じですね。何かをキッカケに爆発的に動員が増えるとか、そういうんじゃなくて、積み重ねでちょっとずつ上に上がっているっていう印象がありますね。

――曲線を描いて上昇していった在り方は今、考えてみると良かったと思いますか?

幸樹:思いますね。それに今も売れたとか、昇りつめたっていう気持ちはないので、ハングリーなのは変わらないし、くすぶってるからまだ続けられるんだと思います。

――そんな中でもひヵるくんが言ってくれたように積み重ねの中で、全身全霊だからこそ成し遂げられたことがあるんじゃないかと思います。

幸樹:俺個人は毎回、100でやってるから、このポイントって決められないのが率直な気持ちですね。

ひヵる:あの、たまたま僕、誕生日近くにワンマンが多いんですよ。

幸樹:11月だっけ?

ひヵる:そう。よく祝っていただいていて、ときには母親が映像で登場したり(笑)。でも、ライブを親に見せられるようになったことって、ひとつ成し遂げられたことなのかなって。東京に出てきた頃は「いつ、やめて帰ってくるの?」っていう感じだったので。

威吹:だから、全てがそうなんですよね。

――例えばライブで誰かが100を出しきれてなくて、今日、気合い入ってないなっていうときはどうするんですか?

ひヵる:ライブでは例え自分が100じゃなくても他のメンバーに感化されるのでアゲてもらえるんですよ。

威吹:ありますね。「やべえ、がんばろう」って。

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