倉木麻衣が2014年12月、デビュー15周年を迎える。BARKSでは15年の歴史を振り返るべく、倉木麻衣、BARKS編集長の烏丸哲也、デビュー当時からのディレクター西室斗紀子を迎え、約1年間にわたって大型連載企画を展開中だ。前回は、テレビ初出演をはじめ、メディア露出増大による新たな挑戦を語ってもらった。そして、第五回目となる今回は2005年から2006年。よりアーティスティックなスタンスへ踏み出したこの2年間に迫る。

◆倉木麻衣 画像

2005年の倉木麻衣は、19作目となるシングルで初のセルフプロデュースを敢行したほか、同年3月に大学を卒業するなど、音楽へひたすら邁進することとなる。能動的で自覚的な制作作業は、彼女本来が持つ表現欲求をますます高め、あらゆるチャレンジは刺激となって倉木麻衣というアーティストを形づくっていったようだ。

【連載対談第五回:2005~2006年 <セルフプロデュースや大学卒業がもたらした目覚め>】

■やらないで後悔するよりもやって結果を出したいという強い信念を持って
■楽曲の選曲からプロモーションまで全部をやらせていただいて

烏丸:そして時が経って、大学を卒業する頃には……僕がびっくりしたのは、大学を卒業する頃にはすでに20枚ぐらいシングルを出していて、紅白にも出ていて、ベストアルバムも出して。ずいぶんえぐいんですよね。

西室:確かに。大学生でベストアルバムって、えぐいですよね(笑)。

烏丸:何ですかこの大学生は!?って(笑)。

倉木:その当時はまったくそういう自覚がなくて、今お話を聞くと、えぐいなとも思うんですけど(笑)。当時はわからなかったですね。

烏丸:僕は改めて思いましたよ。えぐいアーティストだなって。

西室:倉木同様、私も気づいてなかったです(笑)。

倉木:その頃は、私もスタッフの方々も含めて、情熱=パッションという言葉をすごく大事にしていた時期でもありました。私は情熱という言葉がすごく好きで、よく使っていたんですけど。その当時は、ラテンの曲ばっかり聴いていたり。

烏丸:あはは(笑)。

倉木:2003年から2004年ぐらいは、本当にそうでした。

西室:シャキーラとか、よく聴いてたよね。

倉木:マーク・アンソニーとか。ラテン・ブームが到来してました。前に「Simply Wonderful」というラテン調の曲があったので、その続編を作りたくて、「mi corazón」(アルバム『If I Believe』収録)という曲を作ったり。大学でも、スペイン語を専攻していたので。ラテン系に目覚めた時期ですね。

西室:ラテン女子だったみたいです(笑)。

烏丸:ああ、なるほど。それはしっくりきますね。だからこうやって、パッションを持ってやってきたんだなと。それで、20枚目ぐらいのシングルで、セルフ・プロデュースをされたんですよね。

▲19thシングル「Love,needing」
▲21thシングル「P.S MY SUNSHINE」(2005.6.1発売)
▲22thシングル「Growing of my heart」(2005.11.9発売)
倉木:「Love,needing」(19作目)ですね。これも私の中では反抗期だったんですよ。

烏丸:反抗期という言葉を使いたい年頃なんですね。

倉木:ふふふ(笑)。この時は楽曲も、ジャケットも含めて、大人っぽい感じにしたかったんですよ。ちょうど大学を卒業する時期で、女性としても大人っぽく見られたいと思う時期だったのかな?って、今振り返ると思うんですけども。大人な倉木麻衣を見せたいという思いがあって、「Love,needing」という、女性らしさを意識した楽曲にトライしてみて。初セルフ・プロデュースということだったんですけど、全部手掛けることがプロデュースじゃないですか。今まではいろんな人の力を借りながらやってきたので、ネガティブに考えると、“これは違う”と思われたらどうしよう?とか、いろんな気持ちもあったんですけど。

烏丸:それは当然、ありますよね。

倉木:でも、やらないで後悔するよりも、やってみて結果を出したいという強い信念を持って、楽曲の選曲からプロモーションまで、全部をやらせていただいて。

烏丸:自分からやりたいということで、やらせてもらったということなんですね。

倉木:あとはライブだったり、いろんなところに出て行って、ファンの方と交流していく中で、もっと自分の中にあるものをすべて見せたいという思いが芽生えてきまして。それを形にしてみたいなという気持ちがどんどん生まれてきた時期だったので、そういう気持ちで楽曲を作っていたんですよね。

烏丸:こんな私もあるし、あんな私もあるという、いろんな私がある中で、まだ表現できていないことがあるんだという気持ちが。

倉木:そうですね。女性らしさを歌詞にして、共感してもらいたいという気持ちで作っていたので。当時は……どんな自分でした?

西室:そういうことだと思いますよ。大学も卒業に近くなって、音楽だけじゃなくて、プロモーションビデオとかビジュアル的な表現も含めて、たぶん映画が好きということもあると思うんですけど、音楽だけの枠にとらわれずに、自分の世界観を表現したいなって、一番思っていたピークの時期だったと思います。

烏丸:変な質問ですけど。アーティストとして、シンガーとして、そこを基軸にいろんな幅を考えていくと、女優業をやるとか、モデル業をやるとか、舞台をやるとか、いろんな選択肢があるじゃないですか。そういうことって、やったことはあります?

倉木:ないですね。

烏丸:そこは全然興味外なんですか。

倉木:その時の私は、歌がすべてといいますか、歌うことと表現したいことを、もっとどんどん形にしていきたいというふうに思っているので。女優は私にはできないですし、そういうふうに思ったこともなかったですね。

烏丸:でも、声はかかりません?

西室:かかります。

烏丸:ですよね。僕がなんちゃらテレビのプロデューサーだったら、“ちょっと倉木くん、どうかな”って言いますよ。

西室:お声がけはいただきます。

烏丸:でも、良くも悪くも音楽しか見てないんですね。

倉木:そうですね。音楽がすべてですね。

烏丸:それは今も、今後も変わらないですか。

倉木:私の基準は、音楽がすべてなんですよね。何度も言ってすみません(笑)。女優業とか、それはそれで、いろんな自分になっていくことだと思うんですけど、音楽も一緒だと思うんですよ。曲によっていろんな自分を表現して、形は違うけれど、共通する部分もあると思うので。ライブをすることによって、それを発信した時に、みんながそれを受け止めて、キャッチボールで返ってくるというあの瞬間が、やっぱりライブというものを経験すると、私は音楽がすべてだなと思うんですよね。

烏丸:今、ものすごくニコニコしてますね。

倉木:今はナレーションとかは、やらせていただくようになったんですけど。女優は考えてないです。

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