【インタビュー】高中正義、『SUPER STUDIO LIVE!』に「誰にもできない自分の音というものを」

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35年の時を経て蘇る名盤の記憶。1979年12月に日本武道館で収録され、翌年3月にリリースされた高中正義の初のライブアルバム『SUPER TAKANAKA LIVE!』は、日本のフュージョン/ロック・ムーヴメントを燃え上がらせる決定打として、当時のギターキッズやロック少年の心に深く刻まれた名盤だった。あれから35年、その内容をスタジオで完全再現レコーディングしたのが、9月3日リリースのニューアルバム『SUPER STUDIO LIVE!』だ。新曲を2曲プラスし、永遠のギター・ヒーロー・高中正義の過去、現在、未来が一望できるこのアルバムを、当時のギターキッズは、そして今の新しいリスナーは、どのように聴くだろうか?

◆『SUPER STUDIO LIVE!』15秒SPOT動画

■青春時代に聴いた音楽が一生モノだと思うのね
■僕はたぶんビートルズとかレッド・ツェッペリンとか

──まさかと思うんですけど、今回のCDジャケットで高中さんが着ている青いスーツ、当時のオリジナルのものとは違いますよね。

高中:違うんです。たぶん昔のやつは捨てちゃったか、カビ生えちゃったか。

──そうですか。残念。ちなみにオリジナルのスーツはどこで?

高中:あれは高橋幸宏がデザインして、原宿に店を出してたんだけど、そこで売ってた吊るしのやつ。革のジャケットスーツをいくつも売っていた、そのうちのひとつを買ったんです。

──いきなり余談ですみませんけども(笑)。ああいうステージ衣装って、その後どうされてるのかな?と。

高中:いや、昔のやつはたぶん……クローゼットの中って、カビが生えやすいんですよ。全部駄目になっちゃったような気がするんだけど。それと、作ると10万とか20万とかかかっちゃって、着るのはその一回か、そのツアーの時だけじゃないですか。次の年にまた着てると、なんだよってことになるし。

──そんなこともないと思いますけど(笑)。

高中:ということは、高いものは無駄だということなんですよ。だから今は、スタイリストがレンタルしてくれたものを着ていれば、値段が安ければそれでいい(笑)。終わったら必要ないですから。

──真っ赤なスーツも着てましたよね。アルバムジャケットにもなってますが。

高中:昔の赤いやつは、今井(裕)っていうキーボーディストがロンドンで買ったんですよ。ミカバンド(サディスティック・ミカ・バンド)でロンドンに行った時に、ロックンロールのお店があって、そこで今井が買ったんだけど、すごい派手で、みんなで馬鹿にしてたんだよね。チンドン屋みたいじゃんって。

──いやいや(笑)。

高中:それで着なかったのを、僕が「マンボNo.5」をやる時に……もともとペレス・プラードという人が、タキシードを着てやってたんですよ。それは赤ではなかったんだけど。“あの赤いスーツはいいかも”と思って、借りて、恥ずかしいけど着てみたら、目立ったのか何なのか。

──トレードマークみたいになっちゃいましたからね。高中さんといえば派手なスーツ。レインボーカラーとか。

高中:ミカバンドが最初に結成された時って、加藤さんとミカさんと僕とで原宿の美容室に行って、髪の毛を脱色して染めたの。僕はグリーン、加藤さんはオレンジ、ミカは赤いメッシュを入れて。その頃グラムロックが流行っていて、Tレックスとか、ジャケットにラメが入っていたり、靴は10センチヒールのロンドンブーツだったり、誰がどれだけ派手にするか?という時代だったんですよ。青山に衣装を作ってくれるところがあって、ラメとかいろんな生地があって、ミュージシャンはみんなそこへ行ってオーダーするんですよ。深町純さんもそこでラメのジャケットを作ってたし、みんなそこに行って注文してた。そういう時代もあったよね。

──そして今回の『SUPER STUDIO LIVE!』、素晴らしかったです。当時のサウンドに忠実でありつつ、とても新鮮に聴きました。最近、“名盤再現ライブ”的な企画があちこちで行われてますけど、ライブ盤をスタジオ盤にするというのは高中さんが初めてじゃないですか(笑)。

高中:そうだよね。井上陽水も『氷の世界』のライブをやってるんでしょ? あのレコーディング、僕も参加したのにな。全然声がかからなかった(笑)。

──えー(笑)、ちなみに79年の『SUPER TAKANAKA LIVE!』を収録した武道館公演も、井上陽水さんとのジョイント・コンサートだったんですよね。今回どんなきっかけで、このスタジオ再現レコーディングが実現したんですか。

高中:レコード会社の社長さんがちゃんと“CDは売れるものなんだ”と言ってるんでね。若い人は買わないけど、売れる世代があるんだと。それは40代50代だという話を聞いて、じゃあいいかなと。CDが売れたら北海道とかも行けるかもしれないじゃない? それでいいなと思っていて、その社長がこのアイディアを出してきた。

──はい。

高中:僕は、最初の頃はライブが嫌いでね。六本木にピットインというライブハウスがあった頃に、みんなそこでやるのが流行ってた時代があったの。山下達郎もやってたし。だからライブは嫌いだったけど、ピットインで毎月やるようになったら、すごい盛り上がるようになって、だんだん自信がついてきて、日比谷の野音でやるようになって。それから半年ぐらい経ってから、陽水とジョイントができたわけ。その頃は、僕の唯一のヒット曲「BLUE LAGOON」が出た頃で、ライブハウスから日比谷の野音に行って、初めて武道館ができて、そのあと横浜球場でサンタナとかと一緒にやって、その次にはナラダ・マイケル・ウォルデンとシーラ・Eと一緒にやったりして、とてもいい時期だったんですよね。だからきっと、やってる曲も演奏も良かったのかもしれない。この35年前のライブを聴くと、あんまり好きじゃないんだけど。

──ええっ。そうですか?

高中:まず、上がってたんだよね。初めての武道館で、緊張して、間違えて、リズムが走ってる。若いな、突っ走ってるな、勢いはあるなとは思うけど。僕はあんまり好きじゃないけど、たぶん見に来た人はすごい良かったんだろうと思うんだよね。まぁ自分が自分を見ると、欠点ばかり見ちゃうから。ただその時学生だった人も、35年経つと、もうけっこういい年で。ここの社長も高校生ぐらいだったのが、今や社長になってるわけでしょ? だからきっと、自分の青春時代に聴いた音楽が一生モノだと思うのね。

──そうだと思います。

高中:僕はたぶんビートルズとか、レッド・ツェッペリンとか、そのへんだと思うんだけど。やっぱり一生モノなんだよね。だから今、AKB48を青春時代に聴いてる人は、50、60になってもAKBを聴いてるんだよ。

──ということになりますね。

高中:今の子がさ、ジジババになってからAKBを聴いてる姿は想像したくないけどね(笑)。

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