【インタビュー】石川智晶、細部に心宿る新作ミニアルバム完成「心がそう言ってるか否かで何事も決めてきた」
2014年10月8日に新作ミニアルバム『私のココロはそう言ってない』をリリースする石川智晶。前作ミニアルバムから7ヶ月というスピードで送り出される本作には、自らの直感に忠実に動く彼女のこだわりが細部にまで張り巡らされている。深みのある歌詞と楽器遣い、またその制作スタイルなど、今回もスリリングで美しい石川智晶ワールドを探求する。
◆石川智晶 画像
――1年でアルバム2枚とは、ずいぶんハイペースじゃありません?
石川智晶:『前夜』(2014年発売の前作アルバム)を出した時点で、もう“次は10月に出そう”って決めてましたからね。たぶん、自由度をアピールしたかったんだと思います。
――自由度とは?
石川智晶:自分のレーベルを持たないかぎり、普通は自分の好きなタイミングでリリースをするなんて不可能なんですよ。通常はある程度のスパンを置いて制作するもので、実際、今までは私も3年に1枚くらいのペースで出していたんですけど、それだと自分の中では既に終わったものになってしまってることが多いんですね。今の世の中のスピード的にも遅いし、もっとリアルタイムで自分の気持ちを形にしたい。じゃあ、自身のレーベルを立ち上げ今、それを実行に移そうと。ま、なんだかんだ言って、結局は自分がそうしたかっただけだと思います。ちょっと騒がしい感じを自分にも他者にも見せたかった。
――じゃあ、なぜ今作のタイトルが『私のココロはそう言ってない』なんでしょう? もし『私のココロはそう言っている』だったら、今のお話とピッタリ繋がって納得できるのに。
石川智晶:それは自分でも気づきました。ただ、『私のココロはそう言っている』だと普通すぎて私には響かないし、NOを言うことでYESを強調できることもあるじゃないですか。例えば“私、この人じゃない”と確認することで、逆に自分はどういう人を選ぶかがハッキリしてきたり。ま、そこまで私が考えていたのかわからないんですけれど、フッとその言葉が出てきたので、とりあえずアルバムのタイトルに決めてしまいました。そこから表題曲を作って制作を進めるうちに、タイアップも入ってきて……という流れですね。
――確かに表題曲は、とにかく「私のココロはそう言ってない」という文言をそのまま楽曲化したようなナンバーですよね。独特のコーラスワークを手始めに、ちょっと不思議な趣の中で、タイトルのフレーズがサビで繰り返されていますから。
石川智晶:ここ2、3年の自分が、まさにそうなんですよ。心がそう言ってるか否かというシンプルなところで何事も決めてきたので、人に言われてどうこうというのは絶対に無い。どんなに美味しい話があったとしても、自分の中にしっくり感がなければ一歩も動けないっていう、まぁ、そういう気性なんでしょうけど(笑)。だから“私のココロはそう言ってない”理由についてはくどくど触れたくなかったんです。そのフレーズだけがバシッと残る曲にしたかったので、サビ以外は別にいいというか。
――とはいえ、出だしのAメロは石川さんの思想を恐ろしく端的に表してません? 種を植えたら大きく木が育った。だけれど、葉が生い茂ったぶんだけ影ができてしまって、そこには種を植えても芽吹くことができないという。
石川智晶:そうなんです! 要するに、富も増えるけれど不安も増える。そういうことを全部ひっくるめて“私のココロはそう言って”なかったのに……ってことなんですよね。世の中って、そういうものじゃないですか。
――つまり、プラスがあれば必ずマイナスがある。でも、それって突き詰めてしまうと人間側の意欲が失われてしまうから、世の人々は無意識に目を背けているじゃないですか。それを躊躇なく書き表しているあたり、やっぱり石川さんって残酷だなぁと思うんですよ。
石川智晶:本当のリアルですよね。だから正直なところを言ってしまうと……音楽も含めて、私、あんまり面白くないんですよ。私にとっては出世とか、例えば素敵な人と結婚するとかってことも、さして意味が無い。そのぶんだけ影ができることがわかっているので、何があっても着地も無ければ、達成感も無いんです。でも、それとは真逆の思想も私にはあって、例えば2番ではピアニストが虚空で指を動かしているという非現実的な情景を描いているんですけど、そこで何かを語れないか? ということを追求しているという意味では、夢を見ているんですよね。醒めた目で俯瞰しているのとは対照的に、可能性を信じているんですよ。だから私は残酷ではないと思います!(笑)
――面白くない=ダメじゃないですもんね。面白くないからこそ、見える世界を提示しているだけ。
石川智晶:そうです。みんな私の曲を聴いて“石川さんは鬱だ”とか“鬱ソング”とか言いますけど、全く鬱ではない。普通に明るい人間ですし、むしろ母性は強いような気がしてますよ。だから“私のココロはそう言ってない”って、ハッキリ言えちゃうんですよね。そうやって私のスタンスにブレがないということ自体に、皆さんが安心感を持つという不思議な状態に今はなっています。実際に私が何を言って何をやっているのかは別にして、どこを切っても私であるということに対して吸いついてくるのは、逆に現代がブレやすい時代であることの表れでしょうね。
――2曲目の「北極星~ポラリス~」はTVアニメ「戦国BASARA Judge End」のエンディングテーマとして制作されたものですが、では、そういったブレのないスタンスと乱世を舞台にした作品のどこに接点を見出しました?
石川智晶:その次の「ティル・ナ・ノーグ」もそうなんですが、やはり“潔さ”でしょうね。今も昔も変わらない保守的な世の中で、やっぱりある種の現実を突きつけている。戦国の人たちって、みんな、北極星を見て自分の位置を確かめるじゃないですか。それって星だけじゃなく、人の世でも同じだと思うんですよ。例えば戦国時代だったら、御館様だったり君主を北極星として動いているわけで、現代でも家族、同僚、友達……そういった身近な相手を基準にして自分の位置を確認したり、“これは言わないほうがいいかな?”とか判断していたりする。星座図のように、そういう隠れた座標で支えられている部分が誰しもあるんじゃないか?ということを歌っているので、共感はしやすいでしょうね。
石川智晶:これまでにアニメ、ゲーム、舞台と、いくつか『戦国BASARA』に関わるタイアップ曲を担当させていただく中で、いわゆる和楽器を演奏される方々とも親しくなってきたんですよ。そこで改めて和楽器の可能性というものに気づかされて、じゃあ、そちらをフィーチャーした楽曲を、石川智晶のもう一つの世界として広げていきたいという意志を表明したのがコレですね。来年は『戦国BASARA』の10周年でもありますし、和楽器というのは西洋の楽器と違って、余韻というところで非常に優れているんですよ。
――余韻?
石川智晶:日本のオカルト映画って、よく海外と違うって言うじゃないですか。ドカン!と来るんじゃなく、なんとなくゾワッとする、あの感じを和楽器自体が持っているんです。例えば、リコーダーとかフルートっていう洋物のエアリード楽器は“震え”というものが出なくて、少しずつ音を小さくしていくと一定値を超えたところでスッと音が消えちゃうんですね。でも篠笛とか尺八みたいな和楽器は、いわゆるビブラートみたいに最後まで音が残るんですよ。どこまで吹いても音が出るから、人間の感情グラデーションと上手くリンクして怖いし、美しいんです。今回も篠笛を吹いていただくときに“血の匂い”というイメージを出させていただいたら、“ピーッッ!”っていうイカレた感じを見事に出してくださって! それが日本人の持っている感情の奥行きであり、そうして感情の扉を開いたところにあるのが『戦国BASARA』なんですよね。そもそも『戦国BASARA』という作品が持つ独特の激しさや一種の達観――そういったものは石川智晶自身にも、すごくハマるんです。
――それが潔さに集約されるわけで、なのにタイトルは日本語ではなく、常若の国を意味する外来語というのが面白い。
石川智晶:「北極星~ポラリス~」にも“ウラノメトリア”っていうドイツの星座絵図の名前を入れたりね(笑)。あえてファンタジックな言葉を入れることで、ちょっと二次元の要素を出したいというのが、私ならではのこだわりというか。例えば着物を着てない家康が出てきたっていいし、言ってみれば昔の角川映画みたいな感じを出したかったんですよ。
――なるほど(笑)。
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