【連載】Large House Satisfactionコラム「夢の中で絶望の淵」Vol.17「絶望の捕物控望」

2014.10.01 15:05

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今、俺の家に本棚はない。

なぜなら貧乏で買えないからである。

しかし十代の頃から買い求めた本は溢れかえって山の如しである。

仕方なく俺は家の押入れを一つ潰し、そこへ引越し用の段ボールに入ったままの本を詰め込んだのである。

それが最早、七年前である。

七年も経って、まだ本棚も買えないの?この穀潰し。馬鹿猿。溺れた豚みたいなメンズ。などと言われても反論できない情けない俺は、貧乏で新しい本を買えないので、今日も押入れを開けて昔買った本を引っぱり出すのである。

本を読むことは癒しであり、ときには奮起の素にもなったり、心を成長させてくれたりする特別な行為なのである。

俺は自分が読んできた素晴らしい本を、みんなに紹介したいと思った。

なぜならみんなで感動したいから。

みんなで成長したいから。

みんなでこの国の明日を創りたいから、である。

頑張ろう、ニッポン!である。

ちなみに本棚を買えてないのは、金が入るなり、酒や煙草にガンガン使ってしまうからです。

※※

とにかく今日も俺は、古びた押入れから気分に合った一冊の本を探して、旅にでるのである。

旅っていってもちょっと電車に乗って上野とかに行く、みたいなことなんで、あんまり大袈裟にとらえないで欲しい。ちょっと言ってみたかっただけなんだよ。「旅にでる」って。

というわけで今日の一冊。

「銭形平次捕物控傑作選2」

である。

まず、この俺のコラムの読者諸君のなかには、銭形平次を知らない人もあるだろうと思う。

そんな、モノを知らない愚かな人たちに簡単に説明してあげよう。

銭形平次とは、野村胡堂という人が書いた小説「銭形平次捕物控」の主人公であり、架空の岡っ引きである。

岡っ引きというのは御用聞き、目明かしともいい、現在で言う警察官、と思われがちだが実は公儀非公認の存在であり、民間の協力者と言ったところである。

銭形平次は優れた推理力で難事件をすぱっと解決する名探偵であり、その名は江戸中に轟いており、市井の人々や、奉行所の同心たちからの信頼は絶大である。

ちょいと頼りないが平次との息はぴったりの子分・ガラッ八こと八五郎にも慕われ、女房のお静は優しく思いやりのある超絶的美人だ。

しかも、平次の必殺技の「銭投げ」は肉に食い込む威力を誇る。

俺が幼い頃観たテレビ時代劇の銭形平次では、曲者の手の甲に銭が半分ぶっ刺さってた。

つまり超人である。

俺も幼い頃よく真似をして銭を投げていたものだ。

主題歌も良かった。

「お~と~こだったぁらぁ~、ひとつにぃかけるぅ~」

である。

「かぁ~け~て、もぉ~つれぇたぁなぁぞを~とくぅ」

である。

「だれがよんだか、だれがよんだかぁっ、ぜぇ~にがぁたぁへぇええ~いじぃ~」

である。

聴いただけでわくわくしてくる。

ビールで例えるならキリンのクラシックラガーって感じ。

キリッとして渋い。

花のお江戸は八百八町なのである。

※※※

ある読者が調査をして判明したことがある。

銭形平次は、事件の犯人の七割を逮捕していないのである。

何故か。

それは平次が人情に溢れるナイスガイだからである。

今回読んだ作品中の半分は下手人をあえて見逃している。

私利私欲で人を殺めた悪党は必ず逮捕しているが、例えば悪い奴に騙されて自害に追い込まれた妹のための復讐だったり、殺人には間違いないが、辛い事情のある事件に対しては、平次は知らんぷりをして手柄を捨ててしまうのである。

現代社会において、このような仕業は絶対に認められない。

罪を犯した者はいかなる理由があろうとも、必ず法によって裁かれなければならない。

ただ、江戸時代とは「法の外の法」が現代より生きており、現代より少し融通のきく、そういう時代だったと著者は捉えているのである。

そして、その「法の外の法」がこういった大衆小説の最大の魅力であり、大衆小説たりえる最大のファクターなのだ。

みんなが笑ってみんなが泣ける。

それでこその大衆小説である。

手柄を簡単にふいにしてしまう平次は、江戸中に名を轟かせているにもかかわらず、八五郎などの子分に気前良く小遣いをやったり、昼飯をガンガンおごったりするので、いつも貧乏であった。

まさに「清貧の人」である。

見習いたいものだと思う。

でも実際俺、お金は好きだな。と強く思うので無理だよ。清貧は。

いやー。銭形平次はやっぱりかっこいい。男の中の男。憧れの存在。

生まれ変わるなら銭形平次がいいな。

銭形平次よ、永遠に。

そう思って俺は今、筆をおこうと思ったんだけど、一つ気づいたことがある。

できれば気づかないでおきたかった。

今回の作中の平次、全然銭を投げてない。

マジで投げてない。

四話に一回くらいの割合でしか投げない。

俺は戸惑った。

確かに卓越した推理で事件をズバズバ解決していく銭形平次は頼れる親分さんであった。

でも、銭、投げなかったらただの「平次」じゃないっすか。

俺は俺のなかの銭形と小説のなかの銭形のズレに錯乱し、近所のちびっ子が食べているたまごボーロをとりあげてドブに捨てる、みたいなことをしたい衝動に駆られたので、とにかく酒を、と思い、近所のバーへ走り、着くなりモンゴル産のウォトカをかけつけ三杯、あおった。

あとはもう何も覚えていない。

気がつくと俺は、寂れた飲み屋街の中心にある自動販売機の前にボロ雑巾のように打ち捨てられていた。

なぜか握りしめていた銭を自動販売機に入れ、缶コーヒーを買った。

ふと、銭形平次は投げた後の銭って回収するのかな?と思った。

そして、やっぱり銭は投げるより使ったほうがいいな。と思って。帰って泥のように眠った。

合掌。

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