【倉木麻衣×BARKS連載対談】第八回(2011~2012年)「音楽だけは正直であってほしい」

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倉木麻衣が2014年12月、デビュー15周年を迎える。BARKSでは15年の歴史を振り返るべく、倉木麻衣、BARKS編集長の烏丸哲也、デビュー当時からのディレクター西室斗紀子を迎え、約1年間にわたって大型連載企画を展開中だ。前回は、デビュー10周年を迎えて作品発表やツアーに没頭した充実の2年間を語ってもらった。そして、第八回目となる今回は2011年から2012年。東日本大震災が自身に与えた影響と、その後の精力的な活動に迫る。

◆倉木麻衣 画像

2011年の倉木麻衣は、3月に開催された<東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!>で国歌斉唱を務めたことをはじめ、4月には東日本大震災チャリティーソング「あなたがいるから」を配信限定でリリースするなど、早くから復興支援活動に積極的だった。そしてそれは現在も継続して行われている。また、2012年にはマカオで開催されたアジア最大の音楽祭<2012 Channel [V] “Migu” Chinese Music Award>にて、アジアで最も影響力のある日本人歌手『The Most Popular Asian Influential Japanese Singer』を受賞したほか、フルオーケストラとのコラボライブ<Mai Kuraki Symphonic Live-Opus 1->を開催するなど、ボーカリストとして飛躍を遂げた時期でもある。

【連載対談第八回:2011~2012年 <倉木麻衣に出来ること~悲しみを超えて届く希望の歌>】

■自分も頑張らなきゃいけないと思って現地から帰ってきました
■ここからさらに、音楽への意欲が湧いたと思います



▲<MAI KURAKI LIVE TOUR "FUTURE KISS">(2010.12.10~)

烏丸:この年はやはり、東日本大震災の話から始めましょう。倉木さんはあの日、どこにいらしたんですか。

倉木:あの日はちょうどツアーの和光公演(<Mai Kuraki LIVE TOUR "FUTURE KISS">3月12日@和光市文化センター公演)前日で、家で歌詞を書いていたんです。そこに地震が起きて、怖くて外に出たら、隣のマンションのスプリンクラーが作動して水浸しになっていて、人の叫び声も聞こえてきて……本当に怖かったです。安心できる場所を探して、駐車場の車の間にずっとしゃがんでました。しばらくして落ち着いたので、部屋に戻ってテレビのニュースをつけたら、東北のほうでああいうことになっていて……。その時感じたのは、自分の身を守ることに精一杯で、現地はこんなに大変なことになっているのに何もできないんだという無力さと、じゃあどうしたらいいんだろう?ということでした。そのあともしばらく、気持ちがふさぎこんでしまった期間が長かったと思います。

烏丸:あの時は多くの人が何をしていいのかわからなくて、動きが止まってしまった時期がありましたね。

▲配信限定シングル「あなたがいるから」(2011.4.11)

倉木:翌日の和光公演も中止になってしまって。このまま不完全燃焼のまま終わらせたくないという気持ちがあったんですが、その時はすぐに行動に移すことができなくて、いろいろ悩んで模索していました。でもやっぱり音楽で、少しでもみんなの傷を癒したいという気持ちになって、チャリティーソングを作っていただいて、歌詞をつけて、できあがったのが「あなたがいるから」という曲だったんです。その曲をいろんな場所で聴いていただいて、“決してひとりじゃないよ”ということを伝えたくて……そこで改めて“ONE FOR ALL,ALL FOR ONE”ということを、強く感じるようになったんです。





▲女川町で行なった炊き出し(2011.8.11)

烏丸:倉木さんは子供の頃からチャリティや社会活動に興味があったというお話は以前に聞きましたけど、それにしてもあまりにも事が大きすぎたと思うんですよ。一体何から手をつければいいのか?と。

倉木:まず実際に、自分の足で現地に行きたいという気持ちは強くありました。でもやはり現地に救援物資を送ることが先で、それも本当に届いているのか?という不安もあったので、なかなか現地に行くことはできなくて。それから時間は経ってしまったんですけど、スタッフの方もみんな手伝ってくれて、宮城県の女川町に炊き出しに行かせていただきました。そこで逆に元気をもらえたと言うか、みんなこんなに大変な状況にいるのに、なんで「頑張ってね」って言ってくれるんだろう?って、複雑な気持ちになったんですよ。家を流されて、体育館の中でずっと過ごしてるのに、逆に私を応援してくれるんです。そこで改めて、音楽でもっとみんなの笑顔を作っていきたいと感じたんですね。それがのちに『“RE:”プロジェクト』につながっていくんですけど。

烏丸:そういう方たちに「頑張ってね」と言われたら、僕なら泣いちゃいますよ。

倉木:女川町に小さなラジオ局があって、プレハブみたいなところで放送していて。そこで情報を流したり、みんなで気持ちを高めあうという活動をしていたんですよ。

西室:コミュニティFMみたいな感じで、高校生の女の子がしゃべってるんです。そこに倉木が出演させていただいて。

倉木:その子は家族をみんな失って、たったひとりになってしまったんです。もしも私が高校生の時に両親をなくしたら、本当につらい気持ちになると思うんですけど、彼女はしっかりと前を向いていて……何て言葉をかけたらいいかわからなかったです。そういう子たちと出会って、自分も頑張らなきゃいけないと思って帰ってきました。なので、ここからさらに、音楽への意欲が湧いたと思います。

◆インタビュー(2)へ
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