四国徳島県のど真ん中に位置する名城、徳島城である。この城も日本にたった一つしか無い魅力を兼ね備えた最高の城である。

築城は1585年、定かではないが1580年代後半に完成、卓偉が欲しいのは大きな歓声。蜂須賀家政25万石の居城である。
以後蜂須賀家によって明治維新まで守られた立派な城なのである。
ちなみにこの家政公の銅像が表御殿跡に建っているのだが、長さんの「次行ってみよう~」のポーズと同じである。
しかもなんだか顔も和服の感じも作りがヘタクソ過ぎやしないか?図工が得意な私とトライセラの和田さんとで作ったらもっと上手く家政公を作れると思う。
日本の銅像も実は本人と似てないデザインがザラで作った人間の勝手なイメージで作られてることが多いので気をつけよう。
例えば上野公園の西郷さんなど、銅像が完成した時に奥さんが見て、「うちの人に全然似てないし……」とコメントしたのは有名な話である。


さて、徳島城の日本にたった一つしかない魅力をまずは伝えたい。
それはズバリ、石垣の「石」のディティールである。ガキの頃、いろんな城の本を読み漁っていたのだが、写真で見る徳島城の石垣の感じが、使われてる石自体が他のどの城とも違うということに気付いたのである。
なんかこの城の石垣だけは違うぞ?そう思わせる石だったのである。それをずっと胸に秘め、ようやくキャンペーンやライブで徳島を訪れる時が来た。

最初の見学でようやくわかったのだが、まず、城の場所は歴史をどんどん遡ると海だったことがわかっていて、城内には貝塚の跡も残っている、城山自体も岩山であり、この岩を削って石垣にしていることがわかる。
よって、用いられた石垣はこの辺りだとほぼ海水に打ち付けられていたわけであり、海水によって削られていた石垣を使ったことにより、石自体の目が粗いのである。
目の粗い生地と言えばツイードジャケットと同じである。ハリスツイードのジャケットを誰かプレゼントしてくれないものだろうか。伊勢丹や三越で売っているのは良く見かけるのだが。

城全体にこういう石を用いた城は徳島城だけなのである。
石垣の積み方は場所により、野面積みだったり、打ち込みハギだったり、卓偉の活動でいうと地道だったりするのだが、この波打った目の粗い石垣は徳島城にしかない実にナイスなブランドなのである。
格好良過ぎる。
唯一無二、まさに中島卓偉と同じである。
よってどの石垣を見ても徳島城らしさが垣間みれる、そしてどんな写真を見ても徳島城の石垣は一発で徳島城とわかるほど石自体にインパクトがあるのだ。
珈琲で言うところの「つこてる豆がちゃう!」と言うのと同じように「つこてる石がちゃう!」ということになるわけである。


城の作りも実に素晴らしく、今は埋め立てられてしまっている寺島川を内堀にして城山を真ん中に、後ろに助任川を外堀にして自然防備を固めている。
大手門の威圧感も半端無く、大手門を正面に見ると全部で6つの櫓が聳え立ち、その櫓も多門で繋がれ、バックには城山があり東二の丸にあった天守代わりの御三階櫓に見下ろされる仕組みになっていた。
古写真でも残っているが、城の建物はすべて木目のデザインで統一されており、無機質とは真逆でこれぞ和風といった感じの情緒ある作りをしていた。
それに駄目押しで目の粗い石垣ときてる。最高だ。粗挽きウインナーソーセージは嫌いじゃないが、速弾きギタリスト、イングウェイ・マルムスティーンは嫌いである。
そう、私はメタルを一切通っていないのである。

城山も本丸を頂上のど真ん中にして、東に一つ降りて東二の丸、西に一つ降りて、もう一つ降りると西三の丸、その先には西の丸御殿も存在した。
城の奥が更に充実した建物が存在したのである。卓偉もアルバム後半にいい曲が多い。奥が深い曲が多い。が、ファンは後半の曲になるとその深さに気付かずにもう寝てしまっているケースがほとんどだ。

大手門を正面に見て、左側、埋め立てられた寺島川は今JRの線路と同じように流れていた。その先に西の丸御殿が存在したのである。この川が埋め立てられたことで城の魅力が半減していることは否めない。


話を東ニの丸にあった御三階櫓に戻そう。

もともと本丸に天守があったとされるがそれはないような気がする。
本丸に行けばわかるが天守台跡らしき石積みは見当たらない。コーナーに櫓があったことだけがわかる。
本丸に行けば十分見晴らしも良かったことで、それより一段低い東二の丸に天守代わりの御三階櫓を建てたと推測。
しかもこの櫓はさっき説明したように大手門に対して真正面に位置することで、威圧感を出すには持って来いのアングルだったのではないかと思うのだ。
本丸に対して一段低い場所に天守があると言えば島根県の名城、津和野城もそうだ。

東と西に広がった縄張りを持つ徳島城だが、城山に登る場合は是非表御殿跡を突っ切って西側から西三の丸から登って、本丸から今度は東二の丸に降りていく道で見学することをお勧めする。
これが徳島城の魅力をより感じてもらえる道順である。中島卓偉を聴くならまず『BEAT&LOOSE』から聴いて、結局全部買うといいかもしれない。

意外にも西側の石垣の方が作りが凄いのだ。もしかすると、最初は西側が大手になる予定だったのかもしれない。築城の途中で大手の向きを変更したかもしれない。
お隣香川県の名城、丸亀城などもそうである。
卓偉も15年ロックしてきたが、もうこのまま城マニアな人に矛先を変更したかもしれない。もうそれでいいのかもしれない。そのほうがいいのかもしれない。そうするべきかもしれない。最初からそうしたほうが良かったのかもしれない。そうしておけばこんなに傷つく事もなかったのかもしれない。

今、表御殿跡になっている場所には庭園が若干であるが残っている。
この御殿も当時は岡山城の後楽園に匹敵するほどの豪華さと美しさを兼ね備えていたそうである。
明治維新で廃城令が出て鷲の門以外はすべて撤去されてしまったのである、実に惜しい。その鷲の門も空襲で焼失、だが1989年に復元されている。

家政公は幕府に従う前からすでに、政治は城の麓で、戦いの備えのみ城山を使うという発想でもって城を築城していることが素晴らしい。
よって、自分の生活する場所には貪欲に美しさと住みやすさを優先した。ならば天守などいらないということだったのかもしれない。
現在この徳島城表御殿が残っていたら、とっくに世界遺産である。阿波踊りではなく、徳島ラーメンでもなく、徳島城表御殿庭園、これが徳島県の一番の売りになっていたはずだ。
徳島出身のアンジェラ・アキさんも絶対知らないはずだ。いや、むしろ城なんて興味がないと思う。
と言いつつ、やはり徳島に来たら徳島ラーメンは鉄板だ。美味過ぎる!
また徳島でライブがしたいという気持ちと、また徳島城に行きたいという気持ちはどっちが強いか?その想いはどっちが勝つのか?それは決まってるではないか。

徳島城に行きたいから。(ライブもしたいです)

徳島城、また訪れたい……。


◆【連載】中島卓偉の勝手に城マニア・チャンネル