福岡県の幻の名城と言っても過言ではない、福岡県が誇る水を生かした元祖平城、柳川城である。この城を私は「堀の城」と予備隊、いや呼びたい。今なぜこう書いたかと言えば、最初に「呼びたい」と変換しようと思ったら「予備隊」と変換されたので、お!おまえ面白いやんか、と、てめえのMacを褒めたわけである。で、それをネタにコラムを書いているわけである。疲れてる時はその変換に腹立つのである。そうじゃねえし、そんなわけねえし、と真夜中にシャウトしてしまうのである。


柳川城、ぶっちゃけ上級者篇である。というか想像力が乏しいと無理な城である。想像と想定がものを言う城である。初めて来城した小学1年の頃は確かに私でもイマジンが難しかった。だけどもう一度、それでももう一度、訪れてみてもう一度イマジンをしてみたかったのである。「だけどもう一度 それでももう一度」という名曲が収録されている卓偉のアルバムは「BEAT&LOOSE」という名盤である、ちなみにLoVendoЯもアルバム『不器用』でカバーしてくれている。ナイスアレンジ!聴き比べるには両方買うってことですよね。一人10枚かな?一人10枚買ったら田中れいなも中島卓偉も、嬉しか~!って言います。

去年春(2014年)実に30年ぶりに訪れてみたのであるが、これがまた本当に素晴らしかった。全然城が残ってないというのは語弊がある。地元の方でもそういうふうに言う人が多過ぎる。いや違う、しっかりそこにまだ名城柳川城は存在しているではないか。中島卓偉の「存在」という名曲と同じように。

築城は1601年とあるがもっと歴史を辿れば古くからこの街に城の原型があったことがわかっている。何も戦国時代の終わり、江戸時代初期に日本のすべての城が築かれたわけではないのである。意外とお古をもらって城を増築するというのが基本ラインだったようである。ビンテージの楽器を買うように、ライブの衣装を古着屋で探すように、中古でオールドの車を買うように、我々ミュージシャンがビートルズをバレないようにパクって曲を書くように、いや、むしろバレてほしい的な、むしろそう指摘されたい的な、でもロックを知らないファンを持つとそういう意見一切来なくてむしろ残念みたいな。

城主は田中吉政、その後は立花氏の居城として明治まで代々続いた城である。

柳川城には5層5階の大天守が聳えていた。たったの1枚だけ、明治初期の古写真が残っている。もちろん建てる上でいろんなデータは残っているが古写真はこのたった1枚のみなのだ。だからこそ夢がある。

その天守も明治5年に失火、放火、理由は定かではないが焼失してしまう。美しい天守だっただけに300年近く柳川のシンボルとなっていた天守だっただけに、家来達は燃え盛る天守をただ見てることしか出来ず、泣きわめき泣き崩れたと伝えられている。広沢タダシの名曲「おしり」を聴いたファンが感動して泣き崩れるのと同じようで同じような、また違うような話である。

柳川という街は平地にある。その先は有明海。上は佐賀、下は熊本、心は卓偉、その周りを川に挟まれ、自然な防御に囲まれている。そこに3重にも4重にも広がった堀を引き、総石垣で作られた城であった。本丸には本丸御殿、3層の櫓も含め、いくつの門、そしてたくさんの堀を仕切る水門も存在した。


柳川にある歴史資料館に行けば当時の模型、平面図などがあるのでまずはそれをLOOKしてほしい。その地形を頭に叩き込んだら城を見学に行く前に「川下り」をしてほしい。これは柳川に来たら鉄板である、この川下りはいわゆる柳川城の残された堀を小さな船で巡るというものだが、これが凄いのだ。これに乗ることで柳川城がどんどん見えて来るのだ。むしろ川下りをしないと柳川城は伝わらないのだ。私も初めて来た時は川下りをしなかったからこそ把握が難しかったのである。40分と70分のコースがあるが絶対に70分のコースを選んでほしい。40分じゃ伝わらない。40分じゃ物足りない。40分じゃあっという間です!お願いします!70分!70分でどうですか?ソープランドの接客のお兄ちゃんと同じお勧め方法である。ここへ来て初めての下ネタ、か!

そう、柳川城の魅力は「堀」なのである。唯一残されたのがこの堀なのだ。この川下りの船頭さん達の解説、これがまたたまらんわけだ。本当にわかりやすく、なおかつギャグを挟んでくる。とてもお話上手だ。質問にも答えてくれる。MCの下手なボーカリストは是非勉強してほしい。

城に興味があると伝えれば城の作りから何から説明も入れてくれる。水門の跡など橋の下などを船でくぐるのでちょっとしたアトラクションだ。しかも途中で売店が存在し、ビールやアイスクリームが買える。凄いシステムが付いてくるのだ。これがまた川下りをより一層ハッピーなものに変えてくれること請け合いだ。

ロック好きとしては最高の楽しみは、世界で一番有名な日本人である小野洋子さん、言わずと知れたパンクロッカー ジョン・レノンの奥さんである。洋子さんの祖父、小野英二郎さんの屋敷跡が残っているのだ。それが柳川城内に、しかも川下りのコースにあるってのがまた凄い。もちろん明治以降、城が廃城になった後に城内に土地を買って著名人が家を建てたわけだが、その屋敷跡が川下りのコースに含まれている。ちなみに英二郎さんは銀行家で大富豪である。


川下りの景色の中で見れる住宅、屋敷は家の裏が堀になってるので、いわゆるお勝手口が堀りに面しているので、家の裏に石垣がかすかに残っていて本当にうらやましい。そのかすかなディテールにも注目だ。それは私のヘアーメイクの松本さんが私の顔を塗った後に、私の真っすぐで綺麗で高い鼻のあなたから見て右側にあるホクロを、カリカリと爪で擦って落とすのと同じ、実に細か過ぎるディテールと似ている。

ホクロは人間のチャームポイントであるからして、隠してはならず。by 松本恵(天才ヘアーメイクアーティスト)

柳川出身の巨匠と言えばやはり、詩人、北原白秋であろう。彼が柳川をより有名にしたと言っても過言ではない。彼の生家も川下りの終着駅のすぐ近くにある、歩いて行ける距離である。資料館にもなっているので見学も楽しい。白秋先生が東京から柳川に帰省された時は街中の人が道の両サイドに並び盛大に迎えたようだ。自分が住んでいた福岡県古賀は卓偉が帰ってきても両サイドに人が集まるほど住民がいない。そもそも古賀市民は卓偉が古賀出身ということを知らない、というか卓偉そのものを知らない。NOBODY KNOWS…。

もっとも白秋先生は柳川城の保存に一役買っている。

というのは、明治初期に台風で有明海の防波堤が崩れたことで、なんと柳川城の石垣を移して修復することになった。(城マニアには刹那過ぎる話だが)かなりの石垣を使ったことによって柳川城の面影はいっそう薄くなってしまった。ちなみに海辺や川の下流に行けば今でも石垣が残っているのでここにも注目したい。

しかも道路を通す為に堀も埋め立ててしまおうという話が持ち上がる。柳川のお偉いさん達でいろいろとミーティングした結果、白秋先生が、

「そこまで堀を埋め立てんでもよかろう、本丸跡は公園や学校にしようではないか」

まさに鶴の一声。おかげで今以上は壊されることなく今に至る訳である。今ある城の中心には柳川高校、柳川中学がある、ここをよく見れば上から半分は剥がされて低い位置にはなるが石垣もちゃんと残っているし、土塁のようなものは元はと言えば石垣が組んであったと考えればいい。水路は堀の跡である。これがもっと幅があったと考えてほしいのだ。

本丸跡、天守台跡は校庭の中に唯一高くなった場所にある。そこに登る階段もしっかり石段であり本丸の入り口の防御の固さを感じる。石一つ一つもでかい。天守台もコーナーにあったわけではなく単独の場所に付け櫓有りの5層の天守だったという。今でもそんなに高い建物がない柳川、ここにそれだけの天守があったと思うだけで感動する。

とにかく堀が多く、堀に囲まれまくっていた柳川城。はっきり言って野球、ラグビー、ゴルフなど出来やしない。別にしなくてもいい。幅が無さ過ぎる上に次の堀が来る。門をくぐってもくぐっても次の堀が来る仕組みになっている。切っても切っても金太郎飴と同じシステムだと言いきっていいのかどうか、それに1週間ほど悩んでみたい。堀はカーブはなく全部角張った堀で構成されている。実に四角い城なのである。


柳川の魅力、もう一つは何と言っても鰻のせいろ蒸しだ。うわ~食いて~!!!!!!美味過ぎる~!!!

柳川に来たら、まず北原白秋先生の生家や資料館を見学、その後に川下り、柳川城本丸跡を見学、で、最後にせいろ蒸しと。これが黄金のコースだとお勧めしたい。これ鉄板。

初めて柳川に来たときにせいろ蒸しを食わせてもらったのだが、親父が何度も何度も、

「鰻はな、高いんだぞ、高価な食い物なんだぞ、しょっちゅうは食べれないんだぞ、味わって食えよ、高いんだぞ、おい!わかってんのか?これが鰻だぞ、鰻はな、高いんだぞ、」親父の言葉も柳川城の堀と同じようにROLLしていた。

おかげで自分で働くようになっても食う気にならず次に鰻を食ったのは23歳を過ぎてからだった。ディレイタイムが遅過ぎるにもほどがある。U2のエッジもびっくりだ。確かに今でも鰻は本当に高い。ありがたい気持ちを持って食いたいと思う。名古屋の櫃まぶしも大好きだが、故郷福岡県柳川の鰻のせいろ蒸しも大好きだ。超お勧めだ。

こないだお世話になった川下りの船頭をされているお爺さんと馬が合い、ひたすら歴史の話になったのだが、私がとても派手な格好をしていたために、(「どんなことがあっても」のシングルジャケットとまったく同じ格好で柳川に観光に行ったのである、それも想像して柳川に訪れていただきたい、見事なまでのTOO MUCHである)

「あんた何の仕事ばしとるん?」とお爺さん。
「僕ですか?土方です」と私。
「そげん格好しとう人が土方はしよらんばい、あんた芸能人やないんね?」とお爺さん。
「芸能人やないけど歌ば歌いようとです、ミュージシャンばしよるとです」と私。
「そうね!古賀出身って言いよったね?」とお爺さん。
「そうです、福岡出身なんです」と私。
「福岡出身芸能人の人は応援せないかんたい」とお爺さん。
「いやいや、芸能人やないんです、ミュージシャンやけんね」
「しかしあんた東京出てからまだそげんなまっとったら馬鹿にされるやろうもん?」とお爺さんが言うので、
「お爺さんに合わせて方言ば使いよるとですけん」と返して二人で大笑いであった。

お?なんだ?普通にいい話やないか。そんないい話も書くんか?なんだ卓偉っていい奴やないか。
そうです、いい奴だから、私の性格がいいから16年も続けられるんです。いい奴じゃなかったらスタッフはまず協力しないですからね。そそそそそそそそそそそそそそ~!!!!!!

続かなかった人は、性格が悪かったか、金に走ったか、女に走ったか。やっぱり性格に問題があったか。それとも性格に問題があったか。原因は柳川城の堀に葬られたまま、ということにしておきます。

柳川城、また訪れたい……。


◆【連載】中島卓偉の勝手に城マニア・チャンネル