【連載】中島卓偉の勝手に城マニア 第34回「岡山城(岡山県)卓偉が行ったことある回数 8回くらい」

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ここ最近、天守も無ければ石垣も無いちょっとマニアックな城ばかり紹介していた気がするので、もうちょいPOPな城を紹介したいと思う。それはまさに、売れたバンドを抱える事務所の社長や現場マネージャーが言いそうな、

社長「ここ最近出してきたアルバムやシングル、まあすげえ音楽的だし?音楽マニアにはたまらないアレンジっていうの?センスも半端ない感じで?やってきたわけなんだけどさ、かっこよすぎる曲って売れないっていうか?やっぱファンがついて来てない感じも?しちゃうとさ、まあなんつうの?ここで1曲わかりやすいPOPな曲をシングルにして?リリースしとけば?この先もまたこういうかっこいいことやってもファンもついて来るっていうのかな?そういう曲?そろそろ欲しいよね」

マネージャー「やっぱ天守がないとさ(サビが地味な曲じゃさ)物足んないしさ、石垣がないとさ(イントロが長過ぎる曲じゃさ)伝わりづらいしさ、土塁と空堀だけ語られてもさ(全部英詩じゃさ)わかりづらいしさ」という感じに近い。

以前広島城を書いた時に、「広島城があるなら岡山城も書いてください」と岡山県民のファンの方に言われたが、岡山でライブを切ると「何で岡山でライブやるのに広島ではないんですか?」という声を広島県民のファンの方から言われた。隣の県、あるよね!あるよね!そういうのあるよね~~~~!!!!!!


photo by Reggaeman

今回紹介するのは岡山のシンボル、甲本ヒロトである。それも間違いではないがここでは岡山城である。この城も不運の名城と先に言っておきたい。素晴らしい天守が聳え立っていたが1945年の空襲で焼失。もし残っていたらこの天守もとっくに世界遺産だ。しかも5層の天守として戦国時代から江戸時代にかけて建てられた日本に現存した天守で唯一、不等辺五角形の天守であったのだ。日本の天守は大抵四角い。が、信長が建てた安土城は不等辺八角形であった。だがそれも戦国時代に焼失。カメラがない時代なのでもちろん古写真もない。しかしこの岡山城はその安土城の天守を継承する形をしていたのである。不等辺五角形の天守が残っていたのは岡山城ただ一つしかなかったのである。当然明治時代から昭和20年までの古写真もたくさん残っている。

初代城主の宇喜多秀家はおそらく本物の安土城を見た人間の一人。そのデザインを見事に継承して建てたのが岡山城天守だったのだ。中には不等辺の天守台が残る城も無くはない、だが安土城のグルーヴをストロークをスウィングを一番近いとこで継承していたのは他でもないこの岡山城天守だけなのである。天守内も各階ごとに変わった面積になり、長方形の横広で奥行きがない実に面白い形をしていた。おかげで瓦も入り組み、場所によって瓦の長さも変わり、どの角度から見ても同じ顔がない素晴らしい天守だったのだ。

全部黒塗りで非常に不良っぽい天守だ。我々ミュージシャンは黒人のグルーヴをアレンジに取り入れる時は「黒っぽい」を使うのだが、不良っぽくて外観は黒っぽくてそりゃもうカッコいいに決まってるわ。グルーヴがハネまくってそうだわ!スネアのタイミングがビット後ろでカンカン言ってそうだわ!ゴーストが色っぽ過ぎて踊りたくなるわ!スナッピーがザラザラザラザラ言ってて余韻がたまんねえわ!サビだけリムかけるっていう一番お洒落な叩き方な気がするわ!
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